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ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

7月の頭に書いていた文章

この1年ほどは、明るく平穏な生活だった(卒論という恐ろしいものがあったので、忙しさだけは類を見ないものだったものの)ので忘れかけているが、ぼくの大学生活はつねに、例のどんよりとした空気の中にあったのだ。深夜の松屋で食べる牛めしの味とともにあったのだ。あの世界の延長としてのぼくが、あの積み重ねを足場にして立っている……。こうしてブログを書くのも、そのころのぼくの、ぼく「たち」の物語に、一区切りをつけるためでもある。あのぼくたちの語り口でいまのぼくを書こうとすれば、描こうとすれば、ぼくはどんなふうに書く(描く)だろうか。(あのぼくたちの文体で、などとはとてもいえまい。おそらくは表層にとどまらないレベルで、ぼくのことばづかいはずいぶんといろいろなところが変化してしまったから……。)

一部の人には報告したが、ぼくは「予定どおり」(つまり、この1、2年に説明していた「予定」どおり)、ぶじ6月末に大学を卒業することができた。途中に出たり入ったりがあったけれど、ともかく6年と3ヶ月前に入学した大学である。長い戦いだった、という冗談めかした表現も、さすがに今回は許してもらえるだろう。

少し堅い話から入る。ぼくの大学は、入学時に専攻を決めなくてもよい。規範的には三年生になるときに、事実上は遅くとも四年生になるときに、専攻をきちんと決めることになる(むろんここでいう四年生とは卒業研究を開始する年のことであり、ぼくの場合はn年生[nはぼくが大学で経験した最大値]とでもいうしかない)。入学時に提出した、専攻の希望に関する文章を掘り出して読み返してみると、ぼくがそのとき考えていた専攻は(第三希望まで書くことを要求された)、第一に言語学、第二に数学、第三に哲学・宗教学であった(ぼくの大学では哲学と宗教学でひとつの専攻である)。この提出文書の存在はすっかり忘れていたが、あれから6年の時を経て、最終的にぼくはその第二、第三を組み合わせた専攻となった。特に意図したものでもないが、結果として卒業論文は、言語とも数学とも哲学ともそれなりに接点があるようなものであった。意外と、人間の興味の核心というのは変わらないものだなと思う。

この記事を書くにあたって過去のブログをざっと眺めてみたりした。1年目、2年目のぼくというのは、ほんとうに苦しんでいたというのがわかる。紡がれる言葉こそ前向きだが、いつも悲壮感と焦燥感と、そして底知れぬ孤独感がまとわりついている。あの苦しみは、なんというか、若さによるものとしか言いようがない面が多くある。はたちそこそこの、愛すべき若さ。軸足を置くべき場所がわからない、勉強の枠がわからない、どれだけ学べば人と話せるようになるのかわからない……。

あのころ、そうした悩みは時が経てばいつかきっと解決されるのだと信じてもがくしかなかった(いや、信じてなどいなかったかもしれない。それでもそう口にするしかなかったのだと思う)が、実際たしかに、悩みのリアリティをほとんど思い出せないくらいには、そういう悩みは「解決」した。ぼくは自分がわかっていることについてはそこそこ人と話せるようになったし、わかっていないことについてはそれほど動じなくなった。城壁(=自分の専門領域)を築くときがいつか来るといった言い回しを1年目の冬に書いているが、たしかにぼくは、いつからか城壁がどこにあるのかをそれなりに自覚しながら生きることができるようになった。自分の好きな世界の目次は頭の中にあって、ある程度、いろいろなエリアを見渡せるようになった(自分の、ある特殊な視点でもって)。憧れていた人たちに、ある面では追いつき、ある面では分岐点でお別れした(ちがう世界へと歩んだ)。そしてもちろん、ずっと憧れている。

とにもかくにも、あの日々のぼくのおかげで(そしていつか別途書くけれど、もちろん周囲の支えのおかげで)、ぼくはなんだかんだ、それなりにまっとうに、いかにかして昇りたいと願っていた1段目を昇ることができたのかもしれない。たった1段、されど1段……なんと長かっただろう。ここまで書いたことはもちろん学問の話が念頭にあるのだが、べつに学問に限った話ではない。

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たとえば、1年分の日記を練るとして(バイバイ、2017年)

2年ぶりの、人生で4度目の、実家に帰らない年末で、それもあって年末感がない。紅白のコナンくんも観てない。年末だからとブログを書こうとはしてみるけれど……そうだな、でも、Twitterでも追わずに、このブログだけを見てくれているひとなんて、ほとんどいないだろう。あ、こないだひとり、会ったっけ。

良い一年だった。ほんとうに二十代になって初めてといってよいような、底抜けに穏やかな一年だったし……、大きく束ねてまとめられるようなこともないから、単なる、日記として書こう。

19歳のぼくを知る友人と6年ぶりに再会した。ぼくはたぶん、あのころは若かったねと、あのころは必死だったねと、なにより「あのころはあのころだったね」と、ずっとあのときのひとたちと話したいと思っていたんだと思う。もちろんそれは、四捨五入して二十歳だといえていたころの、いまよりもウェットで切実な感情ではなくなっていて……、たぶん、「そういう物語をそういう物語として掬いたかったころのぼく」を救いたいというような、マトリョシカのように重なったぼくをひとつひとつ日に晒して供養したいというような、今あるのはそういう穏やかな気持ちだった。それでもやっぱりというのか、だからこそというのか、ほんとうになにかがそっとすくわれたような、そういうきもちになった。からりと笑いながらこんなことを話すのは、回顧ちくわ(懐古ちくわ)には難しかったかもしれないから、そんなぼくを解雇してここに至るのにこれだけの時間が必要だったのなら、それもよかったのかもしれないね。ともかく、こうして会えてよかった。(白状すると、当日のテンションで書いためもを切り貼りしたので長くなってしまった)

22歳のぼくを知る友人と3年ぶりに再会した。会うとは思わなかった。そしてもうきっと会うことがないかもしれないけれど、会えて嬉しかった。突然だったのでそんなことさえも言えなかった。ぼくはこの3年、ずいぶんと変われたつもりでいたけれど、成長したつもりでいたけれど、あなたと会って、そんなことはなかったような気がしてしまった。わからない。そんなこと、あなたにはなにも関係ないことだけど。でもというか、なんというか、説得力がなくなってしまったけど、教えてもらったことがたぶんたくさんあって、ありがとうといいたかったのです、もう忘れてしまったようなことも含めて。どうかお元気で。

こうやって過去について書けばいくらでも饒舌に語れるが、いまのこととなると、今年のこととなると、筆が止まる。だけど、ぼくは現在の大切さを噛み締めている。大学で、勉強の話を含めていろいろ話せるような友人ができた。3年ぶりくらいにそういう友人ができた。ので、とても良かった。小学生の感想みたいになったけど、ほんとうに、春からこちら、ほんとうにごく普通に大学生ができた。春休みぐらいは最高に勉強意欲が低迷していたのが嘘のようである。そりゃあ嫌なこともあったけれど、成績も、日常の勉強も、それなりに安定していた。

あとはそう、どう書けばいいのかわからないけれど、ぼくのもとで羽を休めてくれるひとがいて、とても感謝しています。ぺこり。

ふむ、やはりぼくはいまのことを書くのがずいぶん下手くそになってしまったと思うな。青い鳥のSNSも、もうすこしこう、いまぼくを通過しているあふれんばかりの欲望とかをかくばしょだったと思うんだよね、欲望っていうか、じぶんの自覚をはんぶんくらいしか通していないなにかね。もうそこにはもどれないな。歳をとったのだな。といういいかたが、すでにもうとてもベタ(真顔に戻る)。

来年の目標は、真人間になる、あるいはその準備をする。無限に続くかと思われた学生生活も終わりが近づいている。今とっている授業をとりきれば卒論以外の単位はようやくすべて回収できる。そして順当に行けば、つまり春学期に卒論を出せば、半年後(6月)には卒業か。その後のこともこれから決まる。来年のことをいえば鬼が笑う。

さて、実家から届いたそばでも茹でようと思ってたけど、間に合うかな。ぜったい間に合わないな。はい。よいお年を。

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アドベントカレンダーは始まらなかった

(この記事は全てネタです。多くのうちわネタが含まれ、読んでもなんの情報も得られません。)


ぼくはオフトゥンの中にいた。それだけがぼくの世界のすべてだった。世界はオフトゥンに満ち溢れ、そこここから暖かさが感じられた。そしてぼくはオフトゥンの中で世界中を旅した。ぼくは外国語のおしゃれな看板がかかった遊園地で、メリーゴーランドに乗った人々を眺めていた。その隣を流れる川では、三角の花火があがっていた。猫又とじゃれている妹が、ふとぼくのほうを見て笑う。
「お兄ちゃん、
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さらば2016年、たのしかったよ。

(投稿直前の追記:らららぎさんが「ちくわさん、ぼくから見たよ、ちくわさん」を書いてくださいました。)


今年は本厄だったのでびくびくしていたけど、高校卒業以来ではもっとも穏やかな年だったのではないだろうか。穏やかじゃないところがあるとすれば、あんまり人にはいってないけど、春頃に大学のことでひとつ大きな手続きミス(?)があって、そこがいちばん厄っぽいとこで、それでけっこう真ん中らへんは低空飛行でもあったのだけど、いっぽうでとても幸せなこともあったので、トータルとしては良い春、良い夏だったと思う。相変わらず抽象的なことばばかりが続くけど、いろいろとたいへんななかがんばれたのはあなたのおかげです、ありがとう。

そのあと秋冬は学業で忙しくなってきて、ようやく学生らしい過ごしかたをしていたんじゃないかな。この歳になってえらそうにいうことではないけど、先学期は量質ともに大学入学以来で最良の成績もとることができて、ほっとした。


人間関係的な意味での原点回帰にあふれる一年というのか、新しいコミュニティと知り合うみたいなことは少なく、これまで仲良くしてたんだけどなんとなく疎遠になってたような人とじわじわ再会して、またよく連絡を取り合うようになって、24歳の自分なりの距離感を見つけていくみたいなことが多かったと思う。

あと、中高の仲の良かった友達がまたふたりほど東京に引っ越してきた。ひとりは、また東京を去ってしまうけれど、全体としてみんな東京に集まってくるなあという感じだし、それもあって今年はわりと中高の友人と会った。今年はほんとうに、いろんな人間関係(いろんな文化)がぶつかり合わずに人生のなかにある感じだった。バランスというと味気ないけど、たくさん諦めかけてたものを、欲張りなくらい取り戻した。そのことだけでも、いい1年だった。

ちょっと昨日今日、身近なところでいくつかそれっぽい話を見たので抽象的に触れれば、依存とか自立とか承認とか後見とか、それこそ上京したてのころにねぎくんあたりとよく話してた。お互い、なんてぼくがいっていいのかわからないけど、あのころに比べるとずいぶん自分の足場を持てるようになったね、と思うし、そういう話もした。

(散々いろんなとこで書いてるので多くは触れないけど、一昨年はじまった合同文芸誌も、編集さんはじめみなさんのおかげあって今年も続いています。闇のカーテンの如く概念を織り成す彼とかモチベ強い人とかみんなのおかげで今年も楽しく創ることができました。ついでに今月は複数の妖怪にそそのかされて3週間以上ブログを更新してしまって、楽しい時間でした。ありがとうございます。)


ローカルに、具体的に、精神的なコストから逃げずに、プライドより速く、言い訳をいなしながら、というそんなことばの、理解がいくら深まろうとも、ことばだけでは届かないことも多く、アイドリングのまま進まないことが多く、それこそ怠惰だったのだけど、そんなときこそ周りを使えと、周りを頼れといってくれるひとたちがたくさんいた。というか、周りにいる人ほとんどからそれぞれ具体的に言われた気がする。たとえばねぎくんからは「自分ひとりで考えて突破するにはもう限界がきてる」みたいなことをいわれた、その通りだと思う。

あと、冬さんが「自分のことを考えてあげられるのは自分だけ」といってたのがすごく記憶に残ってる。自分だけなんだよなあ。ぼくは「ひとは究極的にひとり」と負の面を削るようないいかたしかしてこなかったけど、それはいいかえれば、ぼくへの配慮ができる可能性を唯一持ってるのがぼくだけということで、ぼくはそういうことを考えてこなかったんだなあと思った。ぼくにはぼくのことを考えられる力があるのだ。来年はもう少しそのことを考えていきたい。

いやはや、ことばは頼りにならないといいながら、こうやってぼくはまたことばを紡ぐしかできないのだなあ。最近はひとつひとつの表現なり弁明なりに、反省につぐ反省が3重4重に織り込まれているので、安易なことはいえないのだけど、まあなんというか、2017年はいっそうことばに生活が追いつくような人生を送りたいなと思う。備えとかな、コミュニケーションとかな、あと素朴にお金もな……ある程度は自分で稼がないとな……(今年のけっこう重要な反省)。


ここ数年、意図したものしてないもの含めて隠しごとチックなのが多くてどんどん元気がなくなっていくので、変なことにならないうちに現時点の今後の予定を公開しておくと、再入学のタイミングやらその時点の取得単位やらなんやらのこともあって、ちょうど1年半後の2018年6月卒業予定。

最後の学期を休学して3月卒業に揃うようにずらすとか、就職関係のことで細かい変化はあるかもですが、ひとまず在籍はあと1年半ほどで、みなさん(もう周りは社会人ばかりだぁぁぁ)にはもうしばらく遅れをとることになると思いますが、よろしくおねがいします。

書類上次の秋から4年生なんだけど、卒論の準備とかは春から4年生になる方々と同時期にちょこちょこと始める予定なり。ただしく忙しい年になりそうだけど、「適切な形で」心穏やかにすごせる一年になればいいなあ、まあ、来年はいい年になるだろう、なんとなくそんな気がする。

ではでは、1年の半分くらいロンパの話をしていた(何万字も書いた!)2016年にふさわしく、ダンガンロンパ3希望編の引用(?)でおわる。よいお年を。


 未来なんて、だれも見たことがない。
 ぼくらの行く先は、いつだって灰色の曇り空だ。
 希望も絶望も入り混じって、どっちがどっちだかわからない。
 それはとても怖いことだけど……
 でも、待っているだけじゃ、なにも変わらない。
 なにが起きるかわからない未来のなかに、ぼくたちは一歩一歩進んでいく。
 大切なひとのことを思いながら。
 空を見上げて、明日はきっといい日になる、って思いながら。


だれかとおなじ世界に住むということ

視線を動かすと、色とりどりの「何か」がシャンプーとリンスの上の棚に置いてある。なんだろう。興味の方が勝って、ぼくはお湯から出た。静かだった水面がザバリ、と音を立てて、ゆらゆらと揺れている。四角くて、表面に緑と赤のギンガムチェックが印刷?されている。触るとぬるっとして、きっと石鹸なんだろうと思った
——青砥みつ「学生最後の冬」(小説)

他人と住むというのは、自分の知らないものが置いてあるということである。逆にいえば、自分(ひとり)の家というのは、自分の知らないものがおいていないということである。多少の幅はあれど、一人暮らしを始めて1、2度引っ越しでもすれば、家の中に「自分の全く説明できないもの」を残しておくのは難しいだろう。

それは少し大げさにいえばことばと機能の問題とも考えられるかもしれない。ぼくひとりが生活する部屋のなかで、それがなんであるかはぼくが決めた機能に応じて決められる。みかん箱は本を入れれば収納グッズで、その上でパソコンでも使えば机、潰れないように工夫して上に座れば椅子になる。そうして使われるものは「きっと机」とか「椅子のようなもの」ではなく、ただ机であり椅子であるだけ——「それって箱じゃないの?」というかもしれない誰かはそこにいないから。

「ねえ、母さん。お風呂場のチェックのやつ、あれ、石鹸?」
母さんは水道の水を止めて、緑のビニール手袋を外しながらこっちを向いた。
「そうよ、デコパージュっていうの、石鹸の上に紙を貼るのよ」
「それって必要なの?」
「かわいいものは味気ない生活を変えてくれるのよ」
「またそんなこと言ってるの?」
「いいじゃない、かわいいものに理由なんかなくたって」
(同上)

知らないものがあれば、会話が生まれる。それがなんなのか、じぶんの呼び方はそのひとの呼び方と一致するのか、一致しているとしてそれはおなじ意味なのか、ちがうならいったいそのひとはどういう意味をそこに付しているのか、石鹸の上に紙を貼るなんて行為は必要なのか、このカホンには座っていいのか、この空瓶はコップなのか、変な形をしているこれはほんとうにスプーンなのか、レンゲでカレーを食べたりしてバチがあたったりしないのか、このうずたかく積まれた本の山はなんなのか、なにを大事にしなければならないのか、なにを雑に扱って良いのか、優先順位のパラメータはなんなのか、それを受け入れるロジックはどういうものなのか、じぶんの世界観をどう書き換えればそれをじぶんは受け入れることができるのか、じぶんと相手のみている世界は果たして馴染むことができるのか、「ぼくはここにいていいのか」、聞きたいことも考えることも無限大である。

自分の知っているものがあって、知らないものがある、だからぼくたちは日々自然に変化していくのだけれど、そういうことをぼくたちはつい忘れてしまう。じぶんの部屋にこもって、じぶんの知っているものに囲まれて、自分の意味づけした概念に囲われて、自分の検索した世界をサーフィンして、おなじ世界に閉じこもる。それは怖い話を聞いたあとに布団にくるまったときのような、ひとまずの安心感を与えてはくれるけれど、それは平常時なんかではなく、そうとうイレギュラーな状態であるということを、ぼくたちは普段どれくらい意識しているだろうか。

幼いころは、そうじゃなかったはずで、日々、知らないことがあって、もちろんそれは不快なこともあって、なんならつらいことのほうが多いかもしれないけれど、それがあたりまえで、それだからこそ毎日が世界観のリセットの連続で、いろんなことのバランスがとれていたはずなのだ。そういうことを、ぼくたちは自然と忘れてしまう。ひとりで暮らし始めたことが具体的にどんな意味を持つのか考えることなく、ぼくたちはひとりの世界に入っていく、現実的にも、比喩的にも。

無菌室のような自分の部屋では、よくないことはすべて「よくないもの」として現れる。じぶんにとってじぶんを取り囲む概念たちは、すべてわかりきったもので、つるつると滑るもので、だからもう、よくないものはすべてよくないもの以外の解釈を許されず、ぼくは蟻地獄のなかをおちこんでいく蟻のごとく、どこにもすがりつくことができず、奈落の底へと堕ちてゆく。

だから、無茶なことはせずにだれかに助けてもらうことに慣れていこうと思う。この世界には、ぼく以外のだれかしか知らないものもたくさんあるのだという前提をもっていれば、この世界の意味づけはいつだって仮の姿(「きっと石鹸」)なのだから、ふとした違和を起点に「話を進める」生き方ができるかもしれない。

すこし文芸誌に書いたこととかぶるような気もするけど、よくわからないことが起きたとき、それを1から10まで自分の世界に帰責しすぎないようにするためには、世界そのものをいつでも変化させられるような備えが要るのだ、というようなことが書きたかったのだと思う。

この世界には、きみもぼくも住んでいる——そういうことに、しておこう。
 
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