ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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たとえば、1年分の日記を練るとして(バイバイ、2017年)

2年ぶりの、人生で4度目の、実家に帰らない年末で、それもあって年末感がない。紅白のコナンくんも観てない。年末だからとブログを書こうとはしてみるけれど……そうだな、でも、Twitterでも追わずに、このブログだけを見てくれているひとなんて、ほとんどいないだろう。あ、こないだひとり、会ったっけ。

良い一年だった。ほんとうに二十代になって初めてといってよいような、底抜けに穏やかな一年だったし……、大きく束ねてまとめられるようなこともないから、単なる、日記として書こう。

19歳のぼくを知る友人と6年ぶりに再会した。ぼくはたぶん、あのころは若かったねと、あのころは必死だったねと、なにより「あのころはあのころだったね」と、ずっとあのときのひとたちと話したいと思っていたんだと思う。もちろんそれは、四捨五入して二十歳だといえていたころの、いまよりもウェットで切実な感情ではなくなっていて……、たぶん、「そういう物語をそういう物語として掬いたかったころのぼく」を救いたいというような、マトリョシカのように重なったぼくをひとつひとつ日に晒して供養したいというような、今あるのはそういう穏やかな気持ちだった。それでもやっぱりというのか、だからこそというのか、ほんとうになにかがそっとすくわれたような、そういうきもちになった。からりと笑いながらこんなことを話すのは、回顧ちくわ(懐古ちくわ)には難しかったかもしれないから、そんなぼくを解雇してここに至るのにこれだけの時間が必要だったのなら、それもよかったのかもしれないね。ともかく、こうして会えてよかった。(白状すると、当日のテンションで書いためもを切り貼りしたので長くなってしまった)

22歳のぼくを知る友人と3年ぶりに再会した。会うとは思わなかった。そしてもうきっと会うことがないかもしれないけれど、会えて嬉しかった。突然だったのでそんなことさえも言えなかった。ぼくはこの3年、ずいぶんと変われたつもりでいたけれど、成長したつもりでいたけれど、あなたと会って、そんなことはなかったような気がしてしまった。わからない。そんなこと、あなたにはなにも関係ないことだけど。でもというか、なんというか、説得力がなくなってしまったけど、教えてもらったことがたぶんたくさんあって、ありがとうといいたかったのです、もう忘れてしまったようなことも含めて。どうかお元気で。

こうやって過去について書けばいくらでも饒舌に語れるが、いまのこととなると、今年のこととなると、筆が止まる。だけど、ぼくは現在の大切さを噛み締めている。大学で、勉強の話を含めていろいろ話せるような友人ができた。3年ぶりくらいにそういう友人ができた。ので、とても良かった。小学生の感想みたいになったけど、ほんとうに、春からこちら、ほんとうにごく普通に大学生ができた。春休みぐらいは最高に勉強意欲が低迷していたのが嘘のようである。そりゃあ嫌なこともあったけれど、成績も、日常の勉強も、それなりに安定していた。

あとはそう、どう書けばいいのかわからないけれど、ぼくのもとで羽を休めてくれるひとがいて、とても感謝しています。ぺこり。

ふむ、やはりぼくはいまのことを書くのがずいぶん下手くそになってしまったと思うな。青い鳥のSNSも、もうすこしこう、いまぼくを通過しているあふれんばかりの欲望とかをかくばしょだったと思うんだよね、欲望っていうか、じぶんの自覚をはんぶんくらいしか通していないなにかね。もうそこにはもどれないな。歳をとったのだな。といういいかたが、すでにもうとてもベタ(真顔に戻る)。

来年の目標は、真人間になる、あるいはその準備をする。無限に続くかと思われた学生生活も終わりが近づいている。今とっている授業をとりきれば卒論以外の単位はようやくすべて回収できる。そして順当に行けば、つまり春学期に卒論を出せば、半年後(6月)には卒業か。その後のこともこれから決まる。来年のことをいえば鬼が笑う。

さて、実家から届いたそばでも茹でようと思ってたけど、間に合うかな。ぜったい間に合わないな。はい。よいお年を。

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アドベントカレンダーは始まらなかった

(この記事は全てネタです。多くのうちわネタが含まれ、読んでもなんの情報も得られません。)


ぼくはオフトゥンの中にいた。それだけがぼくの世界のすべてだった。世界はオフトゥンに満ち溢れ、そこここから暖かさが感じられた。そしてぼくはオフトゥンの中で世界中を旅した。ぼくは外国語のおしゃれな看板がかかった遊園地で、メリーゴーランドに乗った人々を眺めていた。その隣を流れる川では、三角の花火があがっていた。猫又とじゃれている妹が、ふとぼくのほうを見て笑う。
「お兄ちゃん、
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さらば2016年、たのしかったよ。

(投稿直前の追記:らららぎさんが「ちくわさん、ぼくから見たよ、ちくわさん」を書いてくださいました。)


今年は本厄だったのでびくびくしていたけど、高校卒業以来ではもっとも穏やかな年だったのではないだろうか。穏やかじゃないところがあるとすれば、あんまり人にはいってないけど、春頃に大学のことでひとつ大きな手続きミス(?)があって、そこがいちばん厄っぽいとこで、それでけっこう真ん中らへんは低空飛行でもあったのだけど、いっぽうでとても幸せなこともあったので、トータルとしては良い春、良い夏だったと思う。相変わらず抽象的なことばばかりが続くけど、いろいろとたいへんななかがんばれたのはあなたのおかげです、ありがとう。

そのあと秋冬は学業で忙しくなってきて、ようやく学生らしい過ごしかたをしていたんじゃないかな。この歳になってえらそうにいうことではないけど、先学期は量質ともに大学入学以来で最良の成績もとることができて、ほっとした。


人間関係的な意味での原点回帰にあふれる一年というのか、新しいコミュニティと知り合うみたいなことは少なく、これまで仲良くしてたんだけどなんとなく疎遠になってたような人とじわじわ再会して、またよく連絡を取り合うようになって、24歳の自分なりの距離感を見つけていくみたいなことが多かったと思う。

あと、中高の仲の良かった友達がまたふたりほど東京に引っ越してきた。ひとりは、また東京を去ってしまうけれど、全体としてみんな東京に集まってくるなあという感じだし、それもあって今年はわりと中高の友人と会った。今年はほんとうに、いろんな人間関係(いろんな文化)がぶつかり合わずに人生のなかにある感じだった。バランスというと味気ないけど、たくさん諦めかけてたものを、欲張りなくらい取り戻した。そのことだけでも、いい1年だった。

ちょっと昨日今日、身近なところでいくつかそれっぽい話を見たので抽象的に触れれば、依存とか自立とか承認とか後見とか、それこそ上京したてのころにねぎくんあたりとよく話してた。お互い、なんてぼくがいっていいのかわからないけど、あのころに比べるとずいぶん自分の足場を持てるようになったね、と思うし、そういう話もした。

(散々いろんなとこで書いてるので多くは触れないけど、一昨年はじまった合同文芸誌も、編集さんはじめみなさんのおかげあって今年も続いています。闇のカーテンの如く概念を織り成す彼とかモチベ強い人とかみんなのおかげで今年も楽しく創ることができました。ついでに今月は複数の妖怪にそそのかされて3週間以上ブログを更新してしまって、楽しい時間でした。ありがとうございます。)


ローカルに、具体的に、精神的なコストから逃げずに、プライドより速く、言い訳をいなしながら、というそんなことばの、理解がいくら深まろうとも、ことばだけでは届かないことも多く、アイドリングのまま進まないことが多く、それこそ怠惰だったのだけど、そんなときこそ周りを使えと、周りを頼れといってくれるひとたちがたくさんいた。というか、周りにいる人ほとんどからそれぞれ具体的に言われた気がする。たとえばねぎくんからは「自分ひとりで考えて突破するにはもう限界がきてる」みたいなことをいわれた、その通りだと思う。

あと、冬さんが「自分のことを考えてあげられるのは自分だけ」といってたのがすごく記憶に残ってる。自分だけなんだよなあ。ぼくは「ひとは究極的にひとり」と負の面を削るようないいかたしかしてこなかったけど、それはいいかえれば、ぼくへの配慮ができる可能性を唯一持ってるのがぼくだけということで、ぼくはそういうことを考えてこなかったんだなあと思った。ぼくにはぼくのことを考えられる力があるのだ。来年はもう少しそのことを考えていきたい。

いやはや、ことばは頼りにならないといいながら、こうやってぼくはまたことばを紡ぐしかできないのだなあ。最近はひとつひとつの表現なり弁明なりに、反省につぐ反省が3重4重に織り込まれているので、安易なことはいえないのだけど、まあなんというか、2017年はいっそうことばに生活が追いつくような人生を送りたいなと思う。備えとかな、コミュニケーションとかな、あと素朴にお金もな……ある程度は自分で稼がないとな……(今年のけっこう重要な反省)。


ここ数年、意図したものしてないもの含めて隠しごとチックなのが多くてどんどん元気がなくなっていくので、変なことにならないうちに現時点の今後の予定を公開しておくと、再入学のタイミングやらその時点の取得単位やらなんやらのこともあって、ちょうど1年半後の2018年6月卒業予定。

最後の学期を休学して3月卒業に揃うようにずらすとか、就職関係のことで細かい変化はあるかもですが、ひとまず在籍はあと1年半ほどで、みなさん(もう周りは社会人ばかりだぁぁぁ)にはもうしばらく遅れをとることになると思いますが、よろしくおねがいします。

書類上次の秋から4年生なんだけど、卒論の準備とかは春から4年生になる方々と同時期にちょこちょこと始める予定なり。ただしく忙しい年になりそうだけど、「適切な形で」心穏やかにすごせる一年になればいいなあ、まあ、来年はいい年になるだろう、なんとなくそんな気がする。

ではでは、1年の半分くらいロンパの話をしていた(何万字も書いた!)2016年にふさわしく、ダンガンロンパ3希望編の引用(?)でおわる。よいお年を。


 未来なんて、だれも見たことがない。
 ぼくらの行く先は、いつだって灰色の曇り空だ。
 希望も絶望も入り混じって、どっちがどっちだかわからない。
 それはとても怖いことだけど……
 でも、待っているだけじゃ、なにも変わらない。
 なにが起きるかわからない未来のなかに、ぼくたちは一歩一歩進んでいく。
 大切なひとのことを思いながら。
 空を見上げて、明日はきっといい日になる、って思いながら。


22日目のアドベントカレンダーをはじめるよ

はじめに夢日記。

結婚後ののび太がやってきて新婚生活についてのブラックジョークを言っていったり、イノムと浄土宗は法然だっけ、みたいな話をしたりする。日本史選択じゃないから〜とこういうときだけそういうことをいってみる。起きてから思い出すと彼も日本史やってたか記憶が定かじゃないが。ちなみに浄土宗の話くらいは中学で習う、というかじゃなきゃ夢に出てこない‥…あと母親に怒られたりする、家の間取りが小学生時代の家。布団から這い出して眠いので隣の部屋でごろごろしてると、千代恋がやってきて、隣の田中さんの家に間違って荷物が届いてるかもしれないというので、二人で取りに行こうとして、でもパジャマだからと気づいて着替えようとして、よく覚えてないけど隣の田中さんの家に行く前に場面は転換した。気づくとクラス替えをしている。知らないクラスはいやだなあ、1組がよかったなあと思う、中学のとき3年連続1組だったからその記憶の残滓だろうか。新しく知り合った隣の席の女の子がとても優しくしてくれてテンションがあがるも、しばらくして「あの人はネカマだよ」と教えてもらってテンションがガタ落ちする。どう考えても現実に話をしてるのでネカマとかありえないのだが、そうした整合性は夢ならではである。夢のなかとはいえ結構本気で落ち込んだ。どんより。夢でよかった。あとなぜか黒崎さんが出てきた記憶もある。起きる直前のことはよく覚えていない。

おはよう。ここまでは実話、いや夢だから実話じゃないけども、とにかくね、それじゃあ12月22日のアドベントカレンダーをはじめるよ。

いやはや、夢というのは不思議なものだ。起きたらすぐに消えてしまう。断片はおぼえてるんだけど、すごい勢いでリアリティを喪っていって現実のロジックに暴力的に書き換えられる。昨日の夜より今朝の夢のほうが最近の出来事のはずなのに、ボクたちは昨日の夜のほうだけを覚えてて、夢のことは忘れてしまうんだ。

つまりさ、こういうことがいいたいんだ。ボクはずいぶんといろんなボクの連続で生きているような気がしてて、たしかにいろんなボクがいるんだけど、そのときに名指されるいろんなボクっていうのは、ボクボクボクたちっていうとただの一人称複数になっちゃうから、インドネシア語式に重ねてみたよ!でも「われわれ」もただの一人称複数だね……)のなかでも、やっぱり強いボクボクのことを思ってる。

今日は雨も降って、春みたいな気温だったからさ、春のボクが呼び出されてきて、不思議な感じだったんだけど(あほ山とばか山のあいだを通りながら、あ、山が禿げてるなあ、冬だからか、と気づいたのは、今日が春みたいな気候だったからかもしれない)、それでも、春夏秋冬のボクというのは、互いにべつのボクでありながら、それでも主流派のボクなんだよね。なんかもっと、夢のなかのボクみたいな、儚いボクもいるんだろうなって思った。

もちろん簡単にそいつらは出てこない。ブログを書くボクは、いくつかいてもやっぱり書くボクボクでしかなくて、そうそうマイナなボクボクに筆を執らせることはできないけれど、とはいえそれでも、毎日アドベントカレンダー妖怪が見張っててくれたおかげで、アドベントでもなければ書かなかったようなボクボクをたくさん呼べた。というか、全記事がそうだろう。ほとんど自己満足ではあったけれど、なかなか楽しかったよ。まだあと数日あるけど。

いろんなボクを呼ぶためには、それを呼ぶための文脈が必要で、その文脈を置くためには、なんていうんだろうね、それなりに安心感がないとできない。風呂敷を広げるためには広いスペースが必要で、怖くてガチガチに固まってるときってさ、とてもじゃないけどそんな場所を確保できないんだよね。

ボクはこの2年間、ずっとローカルであろうと言い続けてきた。よくおぼえてないけど、2年前にねぎくんと通話してたときにどちらからともなくそんな話になったんじゃなかったかな。あのころのボクというのはほんとうに世間というものが怖くて、社会というものが怖くて、その怖さはアカデミズムへの怖さと、おなじ構造を持ったものとしてボクのなかで重ねられていた。だから、そのころのボクにとって今よりずっと、そういう問題が切実だったのはなんとなくおぼえてる。

ローカルに生きるというのは、ボクひとりで生きないということであり、そして同時に世間のなかでも生きないということだ。いっけん無茶なようだけど、それを無茶だと思うところですでに罠にはまってる  ボクと世界という二元論にさ。たとえば市場原理信仰や科学信仰が強すぎて、そこから脱出するために極端に「ボク」に閉じこもる道へ進んでしまうみたいなこと。たとえば「社会に流布した価値観」を否定したいだけなのに「ボクさえ良ければなんでもいい」という独善的な思想を採ってしまうみたいなこと。

「『普通』の世界のすくいかた」から距離をおきたいのであれば、とりあえずは「ローカルな世界のすくいかた」を試すだけで良い、やけくそにならずとも、「仲間はたくさんいる」んだ、と、それがたぶん、2年前くらいに考えたり書いたりしてたことだった。時間が経ってみれば、ずいぶんと当たり前のことなんだけどね、あのころのボクはほんとうに疲弊してたんだ。

なんだかんだいってボクたちは、なんらかの価値観に身を浸すしかなくて、それはひとつより2、3あるに越したことはないんだけど、注意しなきゃいけないのは、それは「2、3」だからいいのであって、なんでもかんでも相対化して、ひとりで世界に立ち向かおうなんてしないほうがいいんだ、たぶんね。そしてその選んだ先というのは、間違いかもしれない、なんなら絶対に間違っている、ボクたちは神じゃないから、かならず間違う。だけど、間違わないことを目指すためにひとりになるよりは、間違っていることを織り込んで生きていくほうが、正しいとはいわないまでも、少なくとも「ボク向き」なんだと、そういまは思う。

数撃ちゃ当たるじゃないけどさ、いろんなボクを呼んではじめて、うまくいくこともある。それができるくらいには安心させてくれる場所がいくつかあって、ボクは本当に感謝してる。かっこうつけずにいえば、いい友達がたくさんいる、ありがとうってことだよ。これを読んでるだろうひとも、まず読まないだろう人も含めてみんなね。三日坊主なボクが22日もブログを書き続けられている(4年半の練物語史上、過去最長記録!)のも、キミたちのおかげだよ、ありがとう。

いつも心に中二病というのなら、まずはこういう中二病を、持って生きていこうよ。ボクはそうする。こちらからは以上だよ、厨二スピリッツにあふれるボクよ、還ってきたときに、また会おう。

できること

先週、2回連続で休講になった授業、先生がインフルエンザにかかっていたらしい。気をつけねば……。そういうわけでゲストスピーカーさん(代がかぶっててもおかしくないくらいの近い先輩だった)が改めてやってきて、いろいろお話があった最後に、アートのオークション、それもお金以外のものを使ったオークションをやってみましょう、というワークショップが行われた。

じっさいにアーティストさんがこうこうこういう作品ですと作品をプレゼンし、学生がそれにお金以外のもので入札していく。お金以外なので最後まで順列がわからない。インスタで写真を載せます、その作品がつくられるまでを描いた演劇をやります、100人規模のセミナーで時間を提供できます、実家から送られてきた箱いっぱいのみかんをあげます、歴史があるものつながりでへそのおと交換します、などなどいろいろ意見が出たが、「ぼくはつい作品に込められた物語を忘れてしまって、今回まわりを見てないことがよくわかったので、このスマホと交換します」というひとがいて、そのひとが落札して終わった。

スマホ、ほんとに渡しちゃっていいのか……??? と思ったけどまあそれはいいけど(よくない)、いろいろいわれてもつい脳内で金銭に換算して順位づけしてしまう癖が抜けず、貨幣から自由になるのは難しいなあと思った、というそれっぽい感想もまぁわりとどうでもよくて、ぼくがその模擬オークション(?)中ずっと考えていたのは、「自分になにができるか」をパッケージ化する度胸がぼくにはないなあということだった。

バイトしてるときとか、フリーペーパーの手伝いしてるときなんかによく思ってたけれど、自分のちょっとした能力みたいなの(ほかのシンプルな言い方がないのでとりあえず便宜的にそうかく)が発揮されるときって、ぜんぜん本業じゃないところ、つまり蕎麦をつくったり勉強教えたりとはぜんぜんべつのところで、食塩水の問題よろしくつゆの濃度を暗算できたり、エクセルで簡単な原価率計算表をつくれたり、pdfを結合するフリーソフトの存在を知ってたり、無許可で外でチラシを配っちゃ(ほんとうは)いけないということをわかってたり、文章を切り刻んで整理することに慣れていたり、その程度のことにすぎない。

そういうことが積み重なって多少は無価値ではない人間になったような幻想をみることはできるかもしれないけど、それは小さな問題がおきたときに「たまたま」対処できたり、小さな問題が起きることを「たまたま」予防できたりする程度のことであって、なにも問題が起きていないときに改めて聞かれて「ぼくはこういうことができる人間です」といえるようなものではない。だれしもそうだと思う。

もちろん能力というのは結果のことだから、それがもとから実在的にあるというのはそもそもへんてこなのかもしれないが、今回の「その作品をもらう代わりに、提供できるもの/こと」という文脈では、どうしても事前にパッケージ化することが求められるし、であればその枠組の中では確かに意味を持った「問題」になる。いっそ、これが比喩であれば、つまり現実中の会話なりのコミュニケーションの話であれば、たぶん文脈は相手とのすりあわせの中で決まっていくのだけれど、とはいえ、オークションの性質上こちらが声をあげるしかない。そこに金銭を使わないという縛りが入るのはなかなか面白い。文脈なしで使える価値こそ貨幣なのだから。

(ちなみにいえば、これはいわゆる就職活動などの場合とは明確に異なると思う、あれは向こうが使える人間を探しているというコンテクストがはっきりしているので、こちらからしかアプローチできないとはいえ事実上は先方がさきに声をあげている。)

自分になにができるか、をひとつの形式に落とし込んで、文脈抜きでひとに投げるような強さ、ぼくにはないなと思った。誤解のないように書いておけば、今日のような場ではなにかしら思いついたことはいったほうがいいし(それはコミュニケーションの問題だから)、考えること自体は楽しかったし、ほかのひとのを聞くことも含めとてもためになる時間だった。ただそれはそれとして、「できること福袋」を、コミュニケーションとは別のところで純粋につくることがぼくにはできない、ということを強く感じたという話で、それがいいことなのか悪いことなのか、書いててどんどんわからなくなったけど……どうだろうか、そういうのってみんなすぐ、思いつくものなのかな。

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