ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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自主製作映画(笑)のこと

若人よ、

自分にとっての幸せとは何か、

それを問うことこそが前向きな悩み方だ。

そしてそれをつねに問い続けるのさえ忘れなければ、

人生は有意義なものになる。

(『夜は短し歩けよ乙女』森見登美彦)

 

 

某映画(笑)の撮影が予定よりも早まり、そのために脚本も早まり、なんだかんだで妙に忙しい感じの数日でした。

 

映画(笑)のこと詳しく書いてなかったような気がするのでもっかい書いておきます。

中学時代、2人の友人と映画(と名のつく何か)をつくったのが全てのはじまり。

高校時代、人数が増えて4、5人の友人とその続編映画(らしき何か)をつくったことでそれがシリーズものとなり……。

大学生になり、そのさらに続編――3作目を作ろう、というわけです。

身内に見せるだけの、完全内輪ネタストーリーです。

(それでもまぁ、こだわりたいところはあるわけです、色々。)

中高時代の友人なので、その中でも上京してきた(正確には東京以外に神奈川、埼玉、茨城などにのぼってきた)メンバを中心につくってるわけですが、集まるだけでも大変ですねぇ。

 

んで、その撮影やら脚本やらで忙しくしていたわけです。

ブログ書きそびれる程度に(笑)、ぐらいですけど。

さらにさらに、僕のスケジュール管理が徹底してなかったことにより脚本……というかストーリー自体を大幅に変更させなければならないかもしれない、となって今震えてます。

 

でも楽しいですね。

話考えるのも、脚本書くのも、実際に撮るのも。

自分のやりたいことやってるなぁ、という感じ。

時間無駄にしていない感覚。

不安じゃない感触。

やっぱりこれが大事ですよ。

実際にそういう幸せな時間の使い方してるそのときは、あまり意識していないもんですが、この⅔年(こんな文字あるんですね!!あ、2/3ってかいてます。見えない人すみません)そういう感覚をほとんど感じることがないままグダグダ生きてた分、そういう良い時間の使い方したときは実感としてわかります。

失って初めてわかる何とやら、ですかね。

 

まぁ、中高時代も、人よりはそういうの意識してた自信はありますけど。

あとから「あのときはわかっていなかったけれどあの頃はよかった」って言いたくないなってのは常に思って行動してました。

その分、「あのときから言っていたようにやっぱりあの頃はよかった」はよく言いますけどね(笑)

 

ともかく、楽しいこと大事大事。

そして楽しいことを楽しむアンテナも大事大事。

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映画『キサラギ』感想

「もっとほかに言うことがあったんだ」
「そういうものだ。人間は後悔するように出来ておる」
(藤沢周平『蝉しぐれ』)

 

 

脚本を思っていたよりだーいぶ早く書かないといけないとわかり、結構あわあわしております。

明日ブログ更新できるかわからない……うぅ、今週と来週くらいは毎日更新したかったんだけど……

 

 

さて今日、以前から気になっていた『キサラギ』という映画をついに観ました。

とあるアイドルの一周忌に、ネットに集うそのアイドルのファンたちがオフ会を企画し……というところから始まる映画です。

 

5年ぐらい前の映画とはいえ、ネタバレ感想なので一応伏せて「続き」以下に書いてます。

「いつか見るかもしれないからネタバレは読まないよ!」って人はこの記事はスルーでw

実際、観てない人にはネタバレなしで一度観てほしい作品ではありますね。

 

では、以下感想。

 

続きを読む

限りあるから限りなく

命には限りがあるから大事なんや。

限りがあるから頑張れるんやで。

(青山剛昌『名探偵コナン』<漫画>)

 

 

今日は高校時代の友人とラーメンを食べに行き(おいしかった!)、その後そろそろ始動する映画づくりについて多少話し合いました。

話し合ったと言っても、途中からずっと昔僕や彼がつくった動画を見直しているだけでしたけどね。

どうしてあの頃は、ここまでインパクトのある作品を作れたんだろう、と二人で思いながら。

 

 

僕と彼は中学生の頃から、よく映像作品を作っていました。

そして僕たちがいま作るそれは、中高生だった頃に比べ技術が格段にグレードアップしています。

それは経験値ということもあるでしょうし、編集ソフト等が当時より進化していることにもよるでしょう。

さらに、普段からスマートホンなどでも動画を撮り溜めているために、当時に比べると相当に豊富な素材が手元にあります。

しかし……、しかしそれでも、どういうわけか昔つくったものほどの衝撃を作品から受けないのです。

 

思えばあの頃は、静止画を動かすこともできないわ、動画はほとんどないわ、0.1秒ずらすだけで違う動画とみなされプレビューに膨大な時間がかかるわ、ファイルの形式の変換の方が編集より長くかかるわ……なんかもう色々大変でした。

それでも、その限定された中でできることを見つけて。

足りない技術をアイディアでカバーして。

持っている素材はぎりぎりまで使い切って。

一見そのソフトでできないような演出を、ちょっとした発想で無理矢理再現して。

……そんなあれこれを経て出来上がった粗削りな作品たちは、どれも再生した時にワクワクするものでした。

 

まぁ、僕が彼の作品を観て、あるいは彼が僕の作品を観て、「おぉっすごいな、いいなこれ」って心が動くのは、多分お互いに「つくる苦労」をわかってるからというのも大きいとは思います。

だからまぁ、それを実際の評価にスライドさせるのは、結構ずるい((笑

とはいえ、今より環境が悪かった数年前の製作の方が、何か美点があるのは確かです。

 

 

うーん、限定されて、縛られていた方が、いいものはつくれるのかもしれません。

 

山のような食材や調理器具を前にして「何かつくりな」って言われたらパニくるでしょうが、目の前に数えられるほどの材料しかなければ、「さて、これで作れるものといったら……」と早速考え始められます。

 

そもそも、高校生までの状況と今との違い自体がそうかもしれないですね。

高校までは、自分の行動なんて基本的には学校の枠内で、大体決められていました。

そしてその中で「自由に」自分を出す方法を試行錯誤します。

逆に言うと、それは材料を与えられていたってことで、その材料をどう活かすか、というところに焦点を当てればすんでいたわけです。

(人参とジャガイモと牛肉で、カレーを作るか肉じゃがにするかバーベキューを始めるか、という選択に十分”個性”は現れますし)

一方今はもう何をすればいいのやらさっぱり……いやいやだめだこんなとこで挫けるわけにはっ……あー、まぁ、そういうことです。

 

ってわけで、動きに制限や束縛がある方が、かえって立ち回りやすく、自分なりに全力投球した表現ができるんでしょうね。

 

 

 

……ところで、ここ数日の記事、なんというかやっぱり、幼稚で痛々しい。(別にいま読み直したわけではないけれど……)

同年代の人でも、上手な文章をさらりと書ける人は様々浮かびます。

本当に彼らはすごい。

まぁ、毎日書くことがさしあたっては目的なので、幼稚で痛々しい文章をこれからも量産していくことになるんでしょう……

いやいや、きっとこの限られた文章力で書こうとすることでいいものができるに違いない……(おいおい)

みんな一生懸命 いまここを生きていけば

君のおかげで
もっと良い人間になりたいと思うようになった
(映画『恋愛小説家』)

 

 

生活リズム直すために徹夜したのですが眠すぎるので今日は動画一個貼って終わりにします。





高1ぐらいに見つけた動画でその時も随分気に入ったのですが、最近また見つけて、相変わらず励みになるのでたまに見ている動画です。

使われている、玉置浩二の『ルーキー』って曲がまたいいんですよね。

この動画ではその部分がカットされていますが、ルーキーの2番のサビは

 

 なんだって頑張ってやっていたあの頃
 想うと何でだろ胸が熱くなる

 

という歌詞で、高校生の時も好きな部分だったんですが、今きくと何ていうかもう逃げ出したくなります。

なんだって頑張ってやっていたあの頃」なぁ。ほんとになぁ。

そういう頃から成長するどころかどんどん駄目になっていってるんだよなぁ。

 

 

成長してない繋がりで痛々しい話をひとつ。

 

中学生の頃「いつかこの人のような人を守れるくらい強い人間になろう」と中2病っぽいことを心に決めたことがありました。

また別の人を見て「この人のように辛い時でも前を向いて生きよう」と思ったこともありました。

なんだかんだ、それからの人生、自分の中にそういう意識は残っていたと思います。

 

そして6年経ち、少しは強くなれたかも、前向きになれたかもしれない、なんて思っていましたが、そんな幻想はこの1,2年ことごとく崩されてゆきました。

そんな甘くはなかったね。

そして最近になって、またある人を見て「いつかこの人のような人の隣にいられるようなちゃんとした人間になろう」なんていう思考が脳内に流れたりしているわけです。

成長してるのかねぇ……。

 

 

『ルーキー』2番のサビはそのあと

 

 そうやってどうにかやってきたんだから
 君のためなら僕だってまだやれる

 

と続きます。

僕は「どうにかやってきた」んだろうか……「まだやれる」んだろうか……。

色々あって、そしてたぶんこれからも色々あるんだろう

あとになってしまえば、
みんな笑い話、だよ。
ぼくらが生きて、
いたってこともさ。
(真保裕一『奇跡の人』)

 

なんというか、色々ある一日だった。

色々あったが、まぁ、その色々を書いても、あとで消したくなる気がするし、別に自分の中で整理がついていないというほどでもないし、ともかくその色々をここに書くことはしない。

 

色々のうちのあまり重要ではないひとつ、そのさらにほんの一部分だけ愚痴のように書いておくと、飛行機に乗り損ねたりした。

正確には、空港にぎりぎり間に合う特急に乗り損ねた。

より正確には、その特急の券を券売機で買おうとしたが、前の二人組がなかなか券売機をどかず、その二人に隠れて実は隣に空いている券売機があることの気付けず、そのため間に合う時間に券を買い損ねた。

まぁ、色々を経て、そもそもその移動自体が必要ではなくなったので、これは単に笑えるネタだ。

……あ、もっとネタとして使えるタイミングで出せばよかった!!!

 

 

さて。

朝のその特急の駅への往復――行くときは片道のつもりだったけど――や、夜に友人と会ったときの行き帰りなんかで、結構な時間、電車に乗りました。(突如ですます調に戻る)

その電車で、この間から読み始めた『人はなぜ学ばなければならないのか』(斎藤孝)をパラパラと眺めていた……ところ。

 

  「今日これを学んだ」というのでもいい。そんな手ごたえが一つでもあれば、その一日が無駄ではなくなります。

  つけ加えると、学んだことで何をなすかは問題ではない。ソクラテスだって大事業を起こしたわけではありません。誤解を恐れずに言えば、語り続けただけの人です。

  前に向かって自分の可能性を切り開く生き方をしいて、学んで新しい意味を獲得した喜びを祝福する。学んだら、それ自体を祝えばいいのです。

 

なんて文章が目に飛び込んできて。

まぁ、いま改めて読み直してみると、誰でもいいそうなこと……かもしれないですが、前回の記事で「とにかく毎日なにかを学んで、それを残していくことで、クズ生活から脱しよう」とか書いてたところだったので、なんだか後押しされた感じで気分がよかったです。

 

あとは、“「学ぶ」という心の働きを軸にして人生を回していく” という表現がかなり気に入りましたね。

学ぶことを習慣化して、それを積み重ねているかどうか。

「この一週間何を学びましたか?」にさっと答えられるかどうか。

それが学びを軸にしているかにかかっている、と。

 

生活の軸っていうのもこの半年ずっと考えていたことだったので、いい具合に引っ掛かりました。

いやぁ、ほんと、書かれていることは特別ではないのかもしれないですが、いいタイミングで出会った本だったなぁと。

この本についてはまた別の日に詳しく書くかもです。

 

 

哀しいことに(結構悲しいことでした,はい)二週間フリーになってしまいました。

空いたなら空いたで色々やって、「この2週間どんなだった?」って質問に答えられるような2週間にしたいです。

これは”僕の”人生だから。

'Tisn't life that matters!
'Tis the courage you bring to it.

――Hugh Seymour Walpole

(イギリス作家)

 

飽きるまでエピグラフもどきつけることにしました。
受験時代のブログではよくやってたなぁ…。
もどきなので、記事の内容との関連とか意識せずにやるつもりです。
こういうのは凝りすぎるとおかしくなっていくので……

 


さて。大学に入ってから堕落の一途を辿っていた僕ですが、そろそろ無理矢理でも前を向いて”普通の大学生”やろうかな……とかまたすぐ撤回しそうなことを書いてみます。

 

なんかさも心を入れ替えましたみたいに書いていますが、それ自体に具体的なきっかけがあるわけでもないのです。
どっかでこの負の連鎖は断ち切らないといけないと心の隅で思いながらも、ついついだらだらと日々を過ごしてもう何ヶ月も経ってしまい……
でもいつかはやめなきゃいけない。じゃあいつやめるか?今d(ry
ってことで、区切りもいいのでそろそろ色々建て直していこうと、ほとんど脈絡なく決めたわけです。
(こんな中途半端な時期のどこが区切りがいいんだって意見が多いでしょうが、うちの大学ではたまたまココが区切りがいいのです…笑)

 


ちょうどブログの更新頻度も安定してきたので、これを着火材――助燃剤として使ってしまおうと。

やっぱり、毎日の記録じみたものを書く習慣って大事だと思うんです。

受験生のときも勉強記録的なものを続けていればよかったなぁ、とはよく思っていました。

先日ハーバードの先生が講演で「大学生活が終わった時、何が残る?あなたが書いたものぐらいでしょう?」みたいなことを言っていて(うろ覚えだしもちろん英語)、これはレポートとかそういった文脈だったのでしょうが、あらゆる記録に言えることでしょうね。

これはかなりクズ化している僕には有り難い言葉かもしれません。

だって、逆に言えば「これから先なにもできなかったとしても、僕が書いたものだけは残すことができる」ってことですから。

あぁ、ブログ続ける気でてきた ←

 

そうですね、(色々きっかけはあったものの)何となく始めたブログでしたが、ぼんやり方針が見えてきたかもしれないです。

そうこれは……、新生活のはじめの第一歩を踏み外しボロ切れとなった大学生が、ともすれば無為に過ぎてゆく日々に無様にすがりつき……ひと欠片でも意味のある物語に練り直そうともがく日々の……泥まみれな記録である。

……すいません適当に考えました(最低

 

とにかく毎日なにかしら学ぶこと、考えることはあるはずで、それを1日1個ずつくらいなら書き残していけるんじゃないか、と。

なんだかんだいって、これほど(色々な意味で)学ぶことに集中できる4年間もなかなかないでしょうから。

 

でまぁ、早速明日から気を引き締めて……といきたいところなのですが、わけあってあと2週間の自分の行動が予測できない状況でして。

新・練物語!! は12月の頭ぐらいからということになりそうです。(何

まぁ、それまでこのモチベーションを消さないように、ということもあって今これを書いているんですけどね。

 

 

ところで、今日いろんな”やるべきこと”から解放されたのですが、その途端こんなポジティブシンキング(?)に切り替わったってことは、どうやら僕はやはり『タスクに追われると崩れはじめる』ことは間違いないようです。

しかもこの半年の流れを見る限り 何か崩れる→自己嫌悪→何も手がつかなくなる→全部崩れる→塵と化す→ハイパー自己嫌悪→以下ループ みたいになってるので、正直基本的なとこはひとつも崩すわけにはいかない気がします。

ってことは色々キャパオーバにならないようにすればいいわけで…だからとりあえず早めに計画的に行動して……って子供か僕は……。

 

まぁ、それを踏まえて

・ラフでもいいから計画を建てる(それはそう)

・課題などなどで後手後手に回らないようにする(常識)。

・早く寝る(小学生かよ)。

・授業/講義は行く(当たり前)。

・できるだけ自炊する(…努力義務)。

・ブログ毎日更新(これによって正しい生活を連動させる作戦)。

なにかを残して、前に進む

先に書いたように今の時点では12月以降~としか言えませんがこんな感じですかね…。

バイトのこともかなり具体的に考えているんですが、これも今後半月の動き次第なので一応保留にしておきます。

どんな状態でも本読んだり自分のしたい勉強したりは多分すると思うんであえていれてません。

 

 

まぁただ、12月は友人との映画製作があるので多分それメインに生活が回るだろーなぁ……。それはそれでよし。

なんというか、すべてが三日坊主になる可能性は大いにありますが、以前にも書いた『三日坊主でも100回繰り返せば一年になる』を信じてやっていこうと思います。

あぁ、この空気は……

冬の東京、は僕にとって そのイメージしかない。

 

 

おととい、バイトでとある試験をモニタとして受けた。

試験の性質上内容については書けないけれど、高校生範囲の数学、物理、化学の試験だった。

(あ、センターとかじゃないですw)

 

モニタをするのはこれで2回目で、2回とも、「あぁやっぱり楽しいな」なんて感じてしまった。

受験生のときは、本当に身動きの取れない圧迫感や、精神的な重苦しさがあったからすべてが幸せだったとはとてもいえないけれど、やっていること自体は当時から楽しいと思っていたし、実際久々にその手の問題を見てみてそう思った。

 

浪人してる後輩と話すときや、ふと昔使っていた単語帳を開いたときや、日常の色んな局面で、あぁもう受験生じゃないんだな……と淋しさを覚えてしまう。

正直こういうのは、色んなことから逃げてる思考だなぁとはわかっているんだけど。

最近、んなこというなら一生受験生やってろよ!!みたいなお叱り最近よく受けますがホントその通りで、ここはずっと留まっていていい場所ではないんだよね。

 

だんだんと寒くなって、”受験”の空気を感じる季節になってきた。

冬の東京、は僕にとって。

そのイメージしかない。

なおさらこういう考え事が感傷的になってゆく。

 

半年ちょっとで、気持ちがまとまった部分もあり、引きずってる部分もあり。

あぁ、もうちょい分析的なことを整理して書こうと思ったんですが、睡眠不足で頭が回ってないので別の日にします…。

 

 

さて、明日は終日フリー。

明後日としあさってに数学や英語や言語学や諸々の試験があるから、どうせだし一日くらい受験生の心に戻って勉強してみようか。(もう無理か…)

亡くしてしまつたのは 僕の心であつたらうか

いいニュースと悪いニュースがある。

 

悪いニュース。

携帯をなくした。

結構ショック。いや、さっきまでそれほそショックじゃなかったけど、あの携帯じゃないとできないことをひとつ思い出して、結構憂鬱。

それでなくても(別に携帯に未練がないとしても)解約したりなんやかんや面倒。

なくした場所はわかってるので見つかる可能性もあるのですが……はぁ。

 

そういえば最近ものをよくなくす。

最近は傘をどっかに置き忘れて3本くらい失ったし、運動靴と体育館シューズを一緒に紛失たし、筆箱に至っては一度なくして大学で見つけてもらったものの、それをまたなくしてしまったorz

不注意すぎるなぁ…。

 

それにしても、置き忘れた場所をしっかり覚えているのに戻ってこないというのはなんとも微妙な気持ちである。

昔から「どこにやったのか忘れた」というなくし方であれば、結構ものをなくしていた気はする。

大抵最後には見つかったが。

「どこにやったのか忘れた」ままなくしてしまったもので一番哀しかったのは、中学の頃つけていた”読んだ本リスト”。

あれは未だに残念でならない。

 

「置き忘れた」「どこにやったのか忘れた」以外で不意にものを失うパターンとしては、パソコンなどのデータだろうか。

致命的なデータの消失は2回ほどある。1回は中学生ぐらいの頃で、2回目は高校卒業くらいの頃でこっちは多少は復元できた。

手動でならあちこちバックアップはあるので万が一何か消えても瀕死状態にはならないとは思うけれど、どんなタイミングでもデータは消えてほしくないなぁ。

 

それ以外に消えてほしくないのは中学高校時代の日記なんかかな。

某友人がよく「思い出という忘れ物」って表現を使うけれど、やっぱり思い出やそれを繋ぎとめる物が一番大事かもねぇ……。

いや、こんないい話にするつもりは全然なかったんだが……。

 

 

そういえば、最初に書いた「いいニュース」の方は、携帯をなくしたことでブログのネタができたこと。

色んな物を失っても、それをネタにするぐらいのメンタルだけは失くしちゃだめですよ。

芯がないちくわが言っても説得力ないですけどね。

僕は日本人です、あなたは何人ですか? ――私は1人です

『名探偵コナン』の58巻には、こんな話が収録されている。

ある会社の社長がホテルで殺害される。

その社長は、モデルとしてスカウトした外国人と会う約束をしており、その外国人が疑わしいということになり、諸々の事情から4人の”外国人”が容疑者として捜査線上に挙がった。

さて、奇妙なことに、現場からは被害者が書いたメモが持ち去られていた。

そのメモには、”bring my tux”(=私のタキシードを取ってきてくれ)という、外国人の秘書に宛てた伝言が書かれていたと判明。

一体犯人はなぜこのメモを持ち去ったのだろうか。

これは被害者が残した何かのメッセージなのだろうか。

………。

…。

 

で、結局どういうオチかというと、犯人は外見は西洋人だが生まれも育ちも日本の日本人で、英語が読めなかった。

社長を殺害したあと、社長が英語で何かを書いていたことに気付き、何か自分のことを書かれていたのではと怖くなってそのメモを持ち去ったのである。

結局、英語が読めないことが手がかりとなり、別の証拠なども合わさって事件は無事解決される。

 

日本は、なんだかんだいってまだまだ色んな民族がナチュラルに共存してるとは言い難くて、生まれも育ちも日本の純粋な「日本人」でも、見た目(人種?)が日本人から離れているだけで、日本人として見てもらえないようなところがあったりする。

この事件は、そういった日本人の人種に対する感覚をうまく利用したトリック(?)だといえよう。

 

……みたいな例を2つ、3つ書いて、『名探偵コナンにおける、日本人の人種に対する感覚を利用したトリック』なる主題でエッセイ(英語)を書いて提出した。

テーマが”Race”だっから無理矢理こうしたんだけど……正直、やめとけばよかった。

 

今日大学でクラスメイトに内容を簡単に説明してる時点で「何言ってんだ俺…」状態になり、早くも後悔の念でいっぱいだったよ!!!!

しかも今これを書いてて気づいたけど僕たぶん「bring my tax」って書いてた!!!!税金もってこられても困るってね!!!!

 

まぁともかく、そんなこんなで昨日は徹夜してそれを書いてたのでめちゃ眠いです。

さっさと寝ます……。バタリ

アウトソーシングでかまぼこ産業が空洞化したら、ちくわ産業になるのだろうか

今日はoutsouricingについての短い英語のスピーチをしなければならなかったので、日本のアニメのoutsourcingについて話すことにした。

 

アニメは日本の文化です!!!なんて偉そうに言っているけれど、実は日本のアニメーション会社はその製作のプロセスの8割を海外に頼っている。

理由はもちろん人件費削減やスケジュール調整のためだ。

ジブリなんかは長らく海外への外注をしてこなかったが、そのジブリでさえ『千と千尋の神隠し』製作の際にはスケジュール調整のため作画や彩色の一部を韓国に委託したという。

良い面ももちろん多くあるものの、若手アニメーターが育たないなどの問題点もあったりする。

とにもかくにも、今や週100本以上のアニメを生み出している日本のアニメ業界は、こうした事情に支えられているのである。

 

…とかまぁそんな内容を多少膨らませて喋ったのだけれど…。

 

かつて、とあるアニメの製作作業の一部を韓国にアウトソーシングすることについて「アニメ業界の空洞化に繋がるのでは?」とNHKに対し国会質問がなされたことがあるらしい。

NHK側は、「韓国のアニメ会社は制作能力高いし低コストだから受信料の効率的な使い方でしょ」「日本よりも一話あたり100~200万円ぐらい安くすむんだよ」と説明した。

もう四半世紀ほど昔の話だけど。

 

で、このNHKの答えをスピーチに入れようと思ったんだけど、”韓国のアニメ会社に発注すると日本よりも一話あたり100万円から200万円ほど安くすむ”、って意外とぱっと英語にできなかった。

直訳って意味ではなく、とりあえず同内容が伝わればいいんだけど、かなり苦労した。

くそうこんな簡単なこともいえないのかよぐぬぬ……って感じでした。はい。

文章でとりあえず書くところまでは何とかなっても、「こんなに長くちゃ口に出したのを理解してもらえないんじゃないか?」なんてことも考えなくてはいけないし……。

「一話あたり」ってどの辺りにいれるのが一番わかりやすいんだ?とかね。

何度も説明しなおせる”会話”でもなく、何度も読み返してもらえる”文章”でもない、独特の難しさがあるなぁ、と。

 

 

ちなみに、outsourceって、”obtain by contract from an outside supplier” (New Oxford Dictionary of English) ってことだから、「韓国に△△を外注する」だと ”outsource △△ from Korea” にしなきゃいけないんだよね。

日本語につられて to とか使いそうになるけど。

 

 

ところで、記事の日付は11月7日になっていると思うけれど、実際にはこの文章は11月8日の午前3時すぎに書いている。

書くまでもないことだけれど、夜更かしして訪れる午前1時や2時、3時といった時間帯は感覚的にはその前日の日付の延長なので、日付を越えて(X+1)日になった場合でもX日の日付にして記事を書いているわけだ。(そうしないと、次の夜に記事を書きたくなっても、今日はもう書いたから…となってしまう)

その場合は23:50に時刻を統一してあるから後から見てもわかる。

今までの記事にも23:50に揃った記事が多くあるのは、そういうわけだ。(誰もそんなこと意識していない)

あ……あでぃっ…どぅ??

しばらく書いてませんでしたが、今週も忙しいのでちゃんと書けるかどうか…。

とりあえず、短い内容でも毎日更新って目標でいきます。

ある方が高校時代に、”ほぼ毎日更新”を実践していて、少しそれに憧れている部分もあったりするので。

 

英語での簡単なプレゼンがあったのですが、その中でどうしても added という単語(もちろんaddの過去系/過去分詞系です)を使いたい場面があって、でもaddedなんてうまく発音できねーよΣ(゚д゚lll)ってなってどうしようかすごい迷ってました。

まぁ別に変な発音でも言っちゃえばいいといえばそうなんですけど、聞いてる側に通じなかったらまずいよなーと。

そもそも外しても意味がわかるぐらいなら最初から外してるって話ですしね。

結局その部分はサーッと言ってごまかしました。

文脈だけ通じていたことを祈ります。

 

それなりにきれいな文章を書いても、それをそのまま読んだだけではスピーチやプレゼンの原稿としてわかりやすいとは限らない。

日本語でも英語でもセンテンスレベルならみんな意識してることなんでしょうけど(難しい構文は話し言葉では使うことが少ない、など)、これに今回みたいに単語の発音なんかにおける自分の能力というか、そういう細かい制限もかかるわけです。

それから、今日みたいな場合だと、聞いてる側もネイティブじゃないので、結局自分の限界を超えた英語を使おうとするとこれまたうまくいかない気がします。

自分も調べなきゃわからなかったような表現を説明抜きで使ったりはしたくないし、まぁそんな感じ。

 

あと余談ですがほかに今日発音しづらかったのはhereditarilyですね。

まぁこれは単語が長い上に、内容的に「出て来そうな単語」だったため、下手くそでも聴き取ってはもらえるだろうと思ってたのでaddedみたいな心配はしなかったですけれど。

(一応 for generation って一回は言い換えておきましたが)

 

ある程度内容決めておいてそれが頭の中に入っていれば、日本語でしゃべるときに多少は近いテンションで喋れるようになりつつある。

まだまだ即興でしゃべれるほどじゃないので全然だけど……。

表現力不足もあいまって、言ってる内容が小学生レベル止まりになるのにも慣れました(それは慣れちゃだめだ)

 

 

あとは聴いてる側としての感想をひとつだけ。

やっぱり抑揚って大事ですね。

英語らしい(?)あがりさがりをつけて喋っている人の言葉は、聞いてるだけですんなり頭に入ってきます。

発音自体はきれいでも全体的に平坦だと文字通り「棒読み」っぽく聞こえます。

(僕の英語も金太郎飴みたいにどこまでものっぺり聞こえていることでしょう…)

それにしても他の人、スタートや繋ぎや〆のちょっとした言い回しとかがうますぎるorz

 

 

明日は朝から準備しなきゃいけないものがあるので、『今日の〇〇』は休んでさっさと寝よう……

 

あ、ひとつ面白いの見つけたのでクイズで締めます。

Q.幕の内弁当の三種の神器ってなーんだ?

A.かまぼこ、卵焼き、焼き魚

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