ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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それに気づくための一年だった

遠いところまで来たな、と不意に思った。

これが大人になるということか。

かつては口に出すことすら、

考えることすらできなかったことが .

口にできるようになる。

(恩田陸『黒と茶の幻想』)

 

数年ぶりに年賀状を書いていたら、「紅白も残すところあと4曲です」という声が聞こえてきてハッとした。

年が変わらないうちに何か書こうと思っていたけれど、数十分じゃ大したものは書けそうにないね。

でもまぁ、変に凝ったものを書くよりも、こうやって今思いついたものだけ書いた方が今年のストレートなまとめが書き残せるかもしれない。

 

今年は二回目の受験があり、志望校に現役時と同じくらいの点差で落ち、それでも東京の大学へ進学を決めて上京。

大学に入ってから色々崩れ始め奨学金の手続きをしそこねるわ、単位は落としまくるわ一時期大学にあまり行かなくなるわ、某部活をやめようとしてもなかなかやめられなくて精神的に色々負担になるわ、ある人と色々あって縁を切られるような終わり方になってしまうわ……ともかく文句なく人生史上最悪の年だった。

 

ただ、今年わかったこともあった。

 

人生は面白い

 

この一年は、これに気付くための一年だった。

ほんとうに、ただそれだけ。

 

この世界は、思わぬところで伏線回収があったり、自分が忘れていることを誰かが覚えていてくれたり、昔強く願っていたことが回りまわって叶ったり、本当にほんとうに面白くつくられている。

時間もないので具体的なことを書くひまがないけれど、色んなことでこれに気付かせてくれた人たち(主に地元の友人達)には本当に感謝している。

ありがとう。

 

おっとっと、ゆく年くる年が始まってしまった。タイムリミットか。

来年は、文句なくいい年だったと言える年になるといいな。

皆さん、よいお年を。

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君はいつだって自分で意思決定をしない

自分の投げた矢が絶対、的に当たっているものだと思っていて、

それがてんで外れた地面に突き刺さっていたら、

それは残念だろう?

落ち込むだろう?

僕はそう説明をした。
「そういう時はだ」
彼は足取りが軽い。
「落ちたところに自分で的を書いてしまえばいいんだ」

(伊坂幸太郎『オーデュポンの祈り』)

 

 

今日の記事のタイトルは、さっき高校生の弟に言われたこと。

 

あながち間違ってもいないかな。

大学進学だって、何をやりたいのかわからないまま、できるだけ何も捨てずに済む道を選んでしまった。

最近は捨てないどころか過去には興味のなかったものにも手を出したりしてるな。

そうやって色んな分野の狭間を漂っている。

浪人した友人は多くいるけれど、高校を卒業して2年経っても「文系?理系?」という質問に答えられない奴って元同級生の中にいるんだろうか、と考えると少し笑える。

 

ま、逆に言えば、やっぱり幼い観点で進路を選んでしまわなくて良かったかな、といえなくもない。

高校時代に思っていた通り、「触れてみないとわからない」学問の分野って山のようにある。

レイトスペシャライゼーションに身を助けられたわけだ。

高校時代にそういうことを言っていたのが単なる言い訳で終わらなくてよかった。

 

とはいえ、より専門性の高い大学や学科に行った人たちの話を聴くと、羨ましいな、と思うこともある。

高校時代の化学の先生(とてもお世話になった大好きな先生)が「これを捨てて残りを頑張ろうなんて言ってる人は、ひとつ捨てるとまたひとつ捨てたくなって、結局全部捨ててしまう」みたいな話をしていたことがあるけど、捨てきれないというのも考え物だな。

3色ボールペンは必ずしも赤ペンや青ペンより優位にあるわけじゃない。

 

大学で何やってるの?と聞かれてまだ自信を持って何かを答えられないのが淋しい。

まーこればっかりはね。

人文科学と社会科学のわりと主要な各分野の輪郭を掴むために、片っ端から基本的なことを「とりあえず一度頭に通過」させてます――ぐらいが嘘のない解答だろうか。

数学と英語はほとんど大学の授業でやってるぐらいで、やってるからってどうこう言えるもんでもないし……。

あ、時々ロシア語。

 

ん?

ここまで書いてて思ったけど、自分で選んでないわりに、誰でも選びそうなスタンダードなチョイスってわけでもないような。

なんかいいような気もしてきた。

浅く広く、もひとつの選択か。

どうでもいいような気もしてきた。

 

色んなことをまんべんなく、と思ってやってるうちにも、きっと偏ってくるはず。

その偏りを個性にすればいい、のかな?

前に「大事なのは、自分がどう偏ってるかを把握しておくこと」みたいなこと書いた気がする。

そう、幅広くやっていって、何かしらの自分の興味がおぼろげに見えてきたそのときに、少しずつ自分の守備範囲に囲いを立てればいい。

自分のテリトリーを意識するための目印を。

外のことをこれ以上気にしないように、という目隠しのための柵を。

 

……うーん、今日は時間をかけずに思いつくままに書いたから、話がどんどん違う方向に行って支離滅裂かもしれない。

 

ともかく、いつかは、城壁を築かなきゃいけない日が来る

だけど、今はまだその時期じゃない……たぶん。

できる限り、広く探してみようかな。

日記らしい日記を書いてみた

いいときもあるだろうし、

わるいこともある。
そして、だいたいは、

なんでもない日なんだよね。
その「なんでもない日」に、
いい日じゃなかった、

と残念がることもないでしょう。
――糸井重里

 

 

特に何をするでもなく過ぎた二日間だった。

 

昨日は昼過ぎに起きて帰省前日が徹夜だったために14時間ぐらい熟睡ひとり食パンをかじっていると家族がぽつぽつ帰ってきて、1日遅れのクリスマスケーキを食べつつとりとめのないことをしゃべり、数日遅れのゆず湯のような何か(ウチの風呂は照明が壊れているため、そこに浮かんでいる丸いものが何なのか判別不能だった)に浸かり、実家に帰ったら食べたいと思っていた鍋にありつき、たまたまやっていた2012年のスポーツハイライトを見ながら「あー今年は去年以上に世間の動きをよく知らない年だったなー」とぼんやり思い、映画()のオープニングやエンディングに使えそうな曲を漁っているうちに時間がすぎてそのまま寝た。

 

今日も昼過ぎに起きて、猫と戯れながらようやく年賀状のデザインを絞り(といってもネットで見つけたもの)、年賀はがきを買いに行ったコンビニで「インクジェット20枚ですね」と地元のイントネーションで言われたことに何となく安心し、夕食を食べながらコナンの『11人目のストライカー』のDVDを見て「あーやっぱり最高だなぁ」と思い、年賀状を書きつつ 2年前にハンディカムで撮った映像をパソコンに取り込んでいた。

 

(少し脱線(というほどしっかりと線路あったっけ?)。『11人目のストライカー』は映画館で観たのも合わせて2回目だけれど、これは劇場で思った通りここ数年の中でダントツなんじゃなかろうか。Jリーグを多少知ってる分さらに楽しめるってのもあるかもしれないけど、そこ差し引いてもたぶん。まず、ここまで等身大のコナンが描かれた作品ってあんまりない気がする。改めてドキドキしながら見てた。)

 

 

本当に、何かするでもなく気付くと時間がすぎていて、あぁ実家に住んでいた頃ってこんな風に時間が流れていたのか、とふと思った。

東京で一人でいるときに1日の過ごし方が『この密度』だったら、きっと「あー今日も何もせず終わってしまった」って軽い自己嫌悪に陥ってるに違いない。

ココにいると、それがない。

時間って、他人と共有されているだけでこれほど穏やかに流れるものなんだな。

この感覚は、覚えておこう。

 

さて、この記事を書き終えたら、引き続き年賀状を書きながら、この春に撮った映像をパソコンに取り込もう。

のんびりしてても気が楽なのはいいけれど、そろそろ明日には某映画()の脚本の仕上げと編集作業をしないと……

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12/24 よりも 1/2 の方が、僕にはよっぽど意味のある数字だ。

学校を好きだと思っている人がいるとすれば、
その人は学校を知らないか、

あるいは学校しか知らないか、

どちらかでしょう。
どちらにしても、好きな場所のある人は幸せです。
――西尾維新

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ついさっき、実家に帰ってきた。

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昨日のうち……というか昨日だとごまかせるぐらいの時間のうちに記事をひとつ書いてしまいたかったのだけど(せっかく一週間連続更新だったのに!)深夜2時に友達から家に来ないかと呼ばれ、友達も友達だけど僕も僕でなぜかOKしてしまったので、結局更新はできなかったという次第。笑

荷造りを急いで済ませて彼の家へ行き、今朝にそこから直接空港へ向かった。

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前々から薄々思っていたことではあったけれど、この年末年始は 過去との決着の節目になりそう。

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年明けすぐに、母校の高校で卒業生のための成人式が行われる。

その後には同窓会のような会もあるので、会いたい人にはほとんど会えるわけだ。

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僕にとって中学から高校……過去&現在という話題は避けて通れないもので、自分の行動のほとんどがその文脈に沿って説明できるのだけど、僕がその物語に何かしらのピリオドを打てるとしたら、これが本当にラストチャンスだと思う。

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僕はいつも――たぶん中学生や高校生だった頃から、後ろばかり見ていた。

まぁあの頃は、同時に「現在」も十分に楽しんでもいたと思う。

でも、過去にあった何かを求めて必死だった。

いや逆に言った方がいいのかな。

どうにかして過去の再現をしようと、なりふりかまわずその時その時を本気で生きていたのかもしれない。

そしてまたその時間さえもが過去へと変わる。

振り返る「後ろ」はどんどん大きくなる。

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高校を卒業し、さらに一年して受験からも解放されると、僕はそれまでのよりどころをほとんど失って、現在を必死で楽しむことさえも忘れてしまった。

大学一年の前半は、そんな中で一歩一歩を踏み外し、何もかもがから回って、気付けば色んなものが崩れていた。

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「今はどうかしらないけど、少なくともあの頃のお前は色々やってたよ」

そう言ってくれる人もいた。

僕も、その思いだけが自分の支えだった。

だから結局……、僕はあの学校から卒業できていないのかもしれない。

なにより僕は、あの学校が大好きだったから。

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それでも、いつかは、変わらなきゃいけない

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こうやっていつまでもふっきれずにいた思いがたくさんあった

それをきちんと整理するには、この2年間は短かった。

だけど、もうこれが最後だ。

僕らがあの頃の僕らとして集まれるのは、本当の本当にこれっきりなんだから。

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で、まぁ、その成人式の日が1月2日、1/2。

今日の記事のタイトルは、規約分数にしろよわかりにくいだろ!という意味ではなく、普通に日付の話だったわけだね、うん。(昨日このタイトルで書きたかった……悔しい)

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……1週間後、僕は何を思っているんだろう。

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この世界には、僕たちしか生きていなかったわけじゃない

「人生というのは、ひどいものなのです。

当たり前です。常識です」

「夢も希望もなくなるようなことを、いうなよ」

(妹尾ふゆこ『パレドゥレーヌ』))

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ローカルな話になるのだけれど、ノーベル文学賞を受賞した川端康成が、僕が中高時代を過ごした某県を舞台とした小説を書いたことがある。

彼はその取材にやってきた際、ある川に沈む夕日にいたく感動し、「明日もこの夕日が見たい」と 当初2~3泊の予定だった滞在を二週間にまで延ばしたという。

地元民にとっては感慨深いそんな逸話もある。

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最近になって、もうひとつ新しい話を知った。

当時世話役を務めていた人によれば、その地で海を眺めていた川端が「自殺は人間の道に背く。自然の姿で死ぬのが美しい」と呟いたというのだ。

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川端はその8年後、仕事場でガス自殺を図る。

某県を舞台とした小説は、永遠に未完のままとなった。

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* * *

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この週末、地方に住むいとこ一家が東京に遊びに来たので、その観光に同行した。

今日はいとこがジブリ美術館を予約していたので、三鷹駅から歩いて向かうことに。

チケットによれば、玉川上水沿いを歩くとジブリ美術館に辿り着くとのこと。

玉川上水って何だ……? と思いながらも川らしき物があったので多分これのことだろうと、それ伝いに歩く。

――と。

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玉川上水

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一九四八年(昭和二十三年)六月、太宰治は近くの玉川上水で自らその三十九年の生涯を終えた

ふーん……って、え!? この川がその……?

太宰治が亡くなった場所ってこんな近くにあったのか、となんとも言えない気持ちになる。

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でも、そうなんだよなぁ。

僕が生きているのは、これまで無数の人生が延々繰り返されてきたのと同じ空間なのだった。

なんだかそれを考えると、気が遠くなりそう。

こんな狭い場所の中で、いったいどれほどのことが今まで起きたっていうんだよ……。

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* * *

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太宰は、何を思ってこの川沿いを歩いたのだろうか。

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川端は、何を思ってあの海岸の波打ち際を――そしてあの川に沈む夕日を、見ていたのだろうか。

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数えきれない人々が、それぞれの悩みを抱えながら歩いた道。

その道の上を、僕らはいつも歩いてる。

そんなことは忘れて、てくてくと。

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英単語であそぼ

「人間って、時間をかけて強くなるものなのかな」

「そりゃおまえ、時間をどう使ったかによるだろう」

(なるしまゆり『少年魔法士』)

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色々反論の余地はあると思うけど、正直この年になると、まったく未知の英単語を覚えるというのはほとんど道楽みたいなもんな気がする。(各分野の専門用語とかは別にして……)

英語を使う上で英単語の勉強するっていうなら、現時点で知っている(つもりになっている)単語の細かいニュアンスを知ったり、たくさん用法を確認したりに時間費やした方が随分と役に立つんじゃないかな。

そちらだって無限の時間が必要なのだ。

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少し脱線(?)。あまりいい例ではないかもしれないけれど、このあいだ電子辞書に入っていた『英和活用大辞典』を使って、demonstrateをコロケーション検索してみたところ、 demonstrate affection (親愛の情を表に表す)」とか「He demonstrated an aptitude for mathematics (彼は数学の才を示した)」とか「That demonstrated his audacity (あれで彼が無鉄砲だとわかった)」みたいな例文がでてきて、あぁdemonstrateってそういうニュアンスだったのか、とイメージに修正が入った。

こんなの調べなかったら、自分がこういうことを言いたくてもdemonstrateを使うことはまずなかっただろう。

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……ということで話は最初に戻って、未知の英単語を覚えるのは趣味

だから今日いまから書くようなことは全部遊びでやってる。

でも、そういうのが、本当に楽しいんだよね。

(多分単語を大量に覚えてる人ってきっと遊びでやってるのに、「そんな単語チマチマ覚えたりしても意味ない」みたいな的外れな非難をする人が時々いる。別に意味を求めてやっちゃあないだろう。これは高校生クイズを叩いてる人にもいえる)

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初めて見た単語を見つけたときに最近僕がよくやるのは、twitterでのツイート検索

実際に英語圏の人たちがその単語を使っている呟きがひっかかるので、面白い。

マイナーだと思っていた単語が意外といつでも使われているような単語だと気付いたり、英単語のはずがフランス語のツイートばかりが引っかかって「あぁこれ元々フランス語だったのかな」なんてことを思ったりする(もちろん実際にはほかに色々可能性が考えられる)。

ほかにも、画像検索してみたり、いろいろ。

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実際に、手元にある変な単語帳(昔きまぐれで買ってしまった)を開いて載っている単語で適当に遊んでみる。

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abate 減らす
検索すると、「阿部、糸を減らす」なんていうごろ合わせが出てくる。

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abdicate 辞任する
比較的文章がヒット。そこそこ使うのかな?
"Do not abdicate your accountability"
責任から逃げんなってことかな?身に沁みますね…←
例文にも abdicate a responsibility が。

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lesion 病巣
acute gastric mucosal lesion(AGML/急性胃粘膜病変)なんてのがヒットしたぞww
あとはまたスペイン語なんかがでてきたぞー
どう見てもlessonの間違いみたいなのもいくつかあるんだけど、
(lesion I have learned in lifeとか)
sとiって打ち間違えるか?予測変換とかだろうか。
日本人がregionと間違えてるのも一個見つけてしまった。

メガアーバン病巣とかこわいですよ……おかげで覚えそうだw

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accede 同意する、継承する
「握手で同意」っていう語呂合わせが引っ掛かる。

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duchy 公爵領
"Duchy Damson Preserve"っていう美味しそうなジャムの写真が出てきた。
そういえばpreserveって砂糖漬けにするって意味もあるって単語王にあったなぁ…
ダムソンはスモモの一種らしい。
どうやら、「Duchy Original」というのが、チャールズ皇太子が始めたオーガニックブランドのようだ。
なるほどなるほど。
……ってかduchyを覚える前に僕は公爵(duke/女性ならduchess)を覚えるべきだった。

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arbitration 仲裁、調停
まぁ普通。あまり面白くないね

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allay (恐怖/心配)を和らげる
こういうのは断然、日本語を介さずに英英とかで見た方がぱっとつかみやすいな、という感覚。
alleyとの誤用も見つけ、なんとなく「allay alley」でぐぐると、
What is the difference between alley and allay?
というページが出てきてびっくりした。

でもこれ、allayについて何も触れてないぞww
謎である。
ていうかwhat is the difference も何も全然違うだろこの2単語……まぁ僕にとってはそれで覚えられそうだからありがたいけどw

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hemorrhage 出血
hemoはヘモグロビンのヘモだろうね。血液関係の接頭辞。
ほかは何があるんだろう…と思ったけど医学の専門用語ばっか出てきても困るので、こういうときは紙辞書の和英あたりが便利。
・hemorrhoids=痔
日本語でも痔は「ち」に点をつけた雰囲気だから、なんかそれっぽいなw
・hemophilia=血友病
血友病って直訳なんだなぁ。まぁ専門用語(?)はそういうの多いか。
・hemoblast=血小板
まぁ、こんなもんか。

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こんなことをやっているうちに何個かに一個くらいは覚えてたりする。

どうしても覚えようと思ってやってるわけでもないので、ちょっとでも記憶に残ってたら儲けもの。

遊びとはいえ、めぐり巡って役に立つようなことはあったりするからまた楽しい。

(頻度が低いから効率的ではないというだけで、そうやって覚えた単語を目にする機会は普通にある)

世界の終わりは空飛ぶ円盤のお話で

人類は滅亡するような気もするし、

やっぱりしないような気もしました。

ただひとつはっきりとしているのは、

自分の人生はまだしばらくは続くのだな、

ということだけでした。

(浅野いにお『おやすみプンプン』<漫画>

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フライング・ディスクというものをご存じだろうか?

UFOではない。

じゃ知らない?

いや、多分知っているはず。

いわゆる、フリスビーのことだ。

ただ、ホッチキスやバンドエイドみたいに、「フリスビー」は実は登録商標で、その、なんだフリスビー的なあれのことを「フライング・ディスク」という。

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何でいきなりそんな話をしたかというと、今学期の体育でフライング・ディスクを選択したのだ。

まずそんな授業があったのにもびっくりだったけれど、何よりあの円盤を使ったれっきとした団体スポーツが存在していたことに驚いた。

のんびり家族で投げ合って遊ぶだけのもんだと思ってたよアレ……。

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もっとも、フライング・ディスクという一つのスポーツがあるわけではなく、ディスクを使った様々なゲームがあるようだ。

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いま授業でやっているのはultimate

ディスクをパスしていき、ゴールラインより向こう側で味方がキャッチすると点が入るというもの。

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ルール的にはバスケットボールが近いかなぁ。

たとえば、ディスクを持っている人は歩いてはいけない。

(ただし、フライングディスクでは走りながらパスを受け取ることも多く、どう考えても急停止できないので、露骨に距離を稼いだりしない限りとやかくいわれない模様。そうそう、このスポーツには審判がおらず、自分たちでジャッジするんだと。)

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それから人が持っているディスクを奪うのは駄目で、あくまでも投げるのを邪魔したり、飛んでるディスクをはたき落したりして防御する

さらに、ひとりの選手に二人以上マークがつくのもNGだとか。

(はたき落されたりした場合も含め)パスが渡らなければ、相手ボーr……ボールじゃなかった……相手ディスク(!?)になる。

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細かいルール言い出すとキリがないけど、大まかにいうとこんなところ。

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やった感覚としては、そう、少人数でポジション固定せずにサッカーやってる感じ。

パスが通らなかった瞬間ディフェンスとオフェンスが突然変わるので、コートの両端をいったりきたり、まるでシャトルランでもやってるようなノリになる。

かなり疲れる。

「ひとりの選手に二人以上ついてはならない」ルールがここで利いてくるんだよなぁ。

向こうが全員攻撃してたらこっちも走って防御に行く以外に選択肢はない。

だから走るしかない。

体力ないのですぐゼーハーいってるけれど、わりとこういうがむしゃらな感じは好きかも。

あるていど色々慣れてくればここまであっちゃこっちゃしないんだろうけどね。

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僕はとことん球技が苦手なのだけれど、これは出来ないなりにも純粋に楽しめるスポーツで良かった。

たぶん、バスケのドリブルみたいな「これできる奴とできない奴のチャンスの差が激しすぎるだろ」的作業もなく、バレーみたいに「自分がミス=相手に点が入る」という運動音痴殺しのルールもなく、野球みたいに「(味方ではなく)敵方から飛んできたものを落とさず捕る」みたいな無茶ぶりもないからだろう。

よく考えてみたら、そもそも球技じゃなかった……

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そうそう、特に面白いなぁと思ったのは、走って間に合う、ってこと。

バレーとかサッカーでも、飛んでったボールめがけて駄目元で全力疾走してみたりするけど、まぁ普通追いつけるわけもなく。

一方フライングディスクは、比較的ゆっくり飛んでいく上に滞空時間をも長く、さらにカーブを描くことが多いので、うまく軌道を読めばかなり離れた位置にいても「走って間に合う」ってことが起きるんよね。

これが独特。

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まぁ、まだ始まったばかりだから、何週かやっているうちに「えっ、こういう競技だったのコレ!?」みたいな大転換が今後あるかもしれない。

正直全授業の中で体育が一番面倒なんだけど(ここまで書いといてそういうこといっちゃうか……)これからどうなるか楽しみにしていよう。

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ほかにも陸上のトラック競技っぽいのやら、フィールド競技っぽいのやら、ゴルフみたいなのやら、PK風なのやら、本当に色んなディスク競技があるんだけど、とりあえずそれらについてはまたいつかということで……。

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さぁ、大学の授業が終わって明日から冬休み!

色々ある年末年始になりそうだ。

たとえ明日世界が滅びようとも、私はリンゴの木を植える。

「仕方がなかった? そんなことないよ」

アクリラは強く首を振って、カドムを見つめた。

「できることはあったし、今からでもある。

僕らは行動しなきゃいけない。

泣いたり悔んだりするのは 今やることじゃない」

(小川一水『天冥の標 I』)

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色々あって”からひと月が経ったけれど、最近不思議と精神が落ち着いてる。

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その間やってたかなぁ、と思い出してみると、自分なりに何かしらの勉強をやろうともがいていた一ヶ月だったように思える。「やろうともがいてた」程度で、お世辞にも勉強していたとは言えない……)

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本も、数は多くないけれど、ちょこちょこ読む時間が増えた。

「そっち方面の学問やるなら常識だよね^^」というような基本的なことをできるだけ身に着けたいなぁとは前から思っていたけれど、そこらへんの目標を多少クリアにして、大学一年のうちに出来る限りのことをやることにした。

ここ数日は構造主義について色々並行して読んでいる。

核心部分がまだ霞がかかっているけれど、どういった経緯で生まれたかくらいは掴めた。

それにしても、読み進めていくうちに、記号論や言語学の講義で聴いたことや、別の本で聞きかじった哲学者の名前少し前にtwitter上でたまたま見ていたアンドレ・ヴェイユの話春頃から漠然と興味があったトポロジーや射影幾何学去年予備校の現代文で出てきたクラ交換、……だとかがみるみるリンクしていくのが楽しくて楽しくて、結局昨日は3時過ぎぐらいまで寝られなかった。

やっぱり学びってこの「そこがそう繋がるか!」って感覚が最高だよなー。

あとはきちんとしたものを何度も読み直して本質がちょっとでも理解できればいいのだけれど。

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ついでに、高校時代のように”何でもノート”を復活させて、やったことや読んだ本、ちょっとしたメモなどをきちんと記録するようにした。

これがなかなか良かったみたいで、具体的にその日なにかしてた証拠をを残せるっていうのはやっぱり大事だなぁと再確認。

記号論の講義のノートも同じノートにとるようにしたのもわりと正解だった。

パソコン内やクラウドのメモは授業中に参照できないというのが今のところの最大の欠点かもしれない((笑

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とにかくそんなこんなで、最近、毎日無駄に生きてる感じはあまりしなくなった。

(だらだらしすぎて時間をもったいなく使ってるなぁと気が咎めることはしょっちゅうあるけどね……)

それこそひと月前に 『人はなぜ学ばなければならないのか』という本についてもちらっと書いたけれど、あの中で斎藤孝さんが言っていた、 「学び」を軸にして生きることで「存在意義の自給自足」ができて孤独にも耐えられるようになる といった話の意味が少しわかった気がする。

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そういえばどっかの私大は「地球滅亡するんなら、就活しなくていいんじゃね?」みたいなのが学祭のテーマになってたんだっけ?

方向性としては逆でありたいものだよね。(就活は嫌だけど……)

明日世界が滅ぶとしても、この生活をするだろう、と言えるぐらい充実した時間をいつも過ごしてたらきっといいだろう。

さすがに今はそこまではいってないけど、でもそれなりに楽しいかな。

何かのためにやっているというより、こうやって過ごす時間が面白い。

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ちなみに、今日のタイトルにもしたリンゴの台詞はマルティン・ルターが言ったとされてますが、実際のところはよくわからないそうです。

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……色々かいたけど、感情に悪い波が訪れていないのは実際のところ、嫌なことが特に起きていないことや某映画製作で友人とちょいちょい会ってることがメインの理由だと思う。
せっかくだから、できれば世界滅亡はクランクアップまでぐらいは待ってほしい。

灰原哀というキャラクターの揺れについて<1>

運命なんてものはな、
にげるものでも、

あきらめて受けいれるものでもない。
たたかうんや。

たたかって、はじめてどうにかなるもんなんやで。
(あさのあつこ『時を超えるSOS』)
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まず、昨日のコナンの記事でブログを読んでくれた方が予想以上にいました。

いや、正直に言うと多少は期待していたけれど、本当にこんなに来ていただけるものなんですね。

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べ、別にそれで急に読者を意識しはじめたわけじゃないんだからねっ!

今日こまごまとしたことを書こうとしてるのは偶然なんだからねっ!

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以下、こまごまとしたことを3つ

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1.

頻繁にブログを読んでくれている人ならわかるとおり(哀しいので一度しか言わないが、アクセス解析を見る限りそんな人はいない)、数日前からフォントをゴシック体に変えてみました。

そもそもWindows Live Writerのデフォルトがゴシック体でも明朝体でもなかったのは謎です。←僕の勘違いかも

とにかく少しは読みやすくなりましたね。

背景は白の方がいいのかな?

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2.

日によって記事を「です・ます」調で書いたり「だ・である」調で書いたり、表記がゆれてますが、許してください。

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3.

出来る限り毎日更新を目標にしてます。

ただし日付が変わって更新したものは(日付的に)前日の23時50分の設定にして投稿します。この記事もそうです。

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さすがにこの記事がここで終わってしまってはアレ(ここでいうアレとは、万が一昨日の記事を読んでここを読もうか迷っている人がいたときに、「なんだこいつコナンの記事書かないじゃないか」と思われて見放されてしまうことである)なので、コナンのことを書きます。

水曜日だしサンデーの感想書けばいいやん、って思ったけど先週が合併号だったから今週はないんだよ!!

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てことで哀ちゃんのことについて書くことにしました。

そういえば僕は灰原哀が好きなのに昨日の記事では一回も灰原と言う単語を使っていなかったような気がします(シェリーとは書いた)。

以下、ミステリートレイン編……というか78巻のネタバレを含みます。

あと、突然「です・ます」調が消えます

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『名探偵コナン』78巻発売。 ミステリートレイン編について改めて考えてみた。

完璧なんてこの世にはねぇよ。
絶対どこかで歯車が噛み合わなくなる。
そのまま無理矢理動かして何もかもダメにするか
一度リセットして正常に戻すかはその人次第。
アンタは怖かっただけだよ……リセットするのがな。
(『劇場版名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌』)

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『名探偵コナン』を好きになって10年が経つ。
(最初に録画した回が2003年1月の『揺れる警視庁 1200万人の人質』だったと記憶しているので、ちょうど10年だなぁ)
まずアニメを毎週見るようになり、途中から古本で過去の巻を集め始め、高校に入る頃には新刊が出るたび書店で買うようになっていた。
いまでは少年サンデーの連載を毎週読んでいる。
.

そして、一部の世間を騒がせた"ベルツリー急行殺人事件"も、この夏サンデー誌上で読んだ。

78巻も発売されたことだし、その事件……ミステリートレイン編についてそろそろ書くことにしてみた。

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当然ネタバレの嵐なので読んでない方はここでさようなら!
(きっと来年の初夏にはアニメ化されますのでお楽しみに(?) )
続きを読む方は↓を展開してください

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続きを読む

なりゆきまかせの数学の話

記号を覚え、数式を組み立てることによって、

僕らは大好きだった不思議を排除する。

何故だろう?
そうしないと、新しい不思議が見つからないからさ。
探し回って、たまに少し素敵な不思議を見つけては、

また、そいつらを一つずつ消していくんだ。
もっともっとすごい不思議に出会えると信じてね……。
でも、記号なんて、金魚すくいの網みたいにさ、

きっと、いつかは破れてしまうだろう。
たぶん、それを心のどこかで期待している
(森博嗣『幻惑の死と使途』)

 

 

微積の演習を担当している院生の方から専攻について聞かれたので、「まだ決めてないです。***とか考えてるんですけど……」と人文科学系のとある分野を答えると「へぇそっちなんだ、理系に見えるのに」と言われた。

 

僕も元々一応理系だったけれど、最近はめっきり文系になってしまった。(めっきり、の使い方が変だ)

そもそも大学に入るまでは「文系/理系」の分け方自体に反対するようなこと言ってたのに、最近では「確かにこういう分け方したくなるのもわからんではないなぁ」なんて思うようになってしまった。

自然科学、もう少し絞るなら理学系周辺のエリアは、やっぱり特殊に見える。

この感覚は一度遠ざからないと気付かなかったかもしれない。

少し離れただけなのに、近づくのがドキドキする。

あぁ、こういうこと言うのがまた「文系」っぽいかもね。

 

まぁ、「理系」の世界を捨てたわけではない。

数学は昔から変わらず面白い。

だけど、どこまでもはついていけないんだろうな、という予感もある。

続けたとしても、世の数学徒(わりとラフな意味合いでも)たちの域に達する前に足がもつれてすってんころりんするんだろう。

それでも、少なくとも当分「道に迷う」ことはなさそうなところがまた不思議だ。

 

そう、改めて考えれば、大学での数学の学び方って不思議なのだ。

どんな分野を学ぶにしろ、高校までの流れがまずあって、それに大学の前半ぐらいまでで学ぶことを継ぎ足して、それがおおよそ共通の基礎になる。

そこまでの段階は大体やるべきことも順番も決まっていて、選択の余地があまりない。

この点は、ほかのフィールドとは少し違った趣がある。

もちろん最終的には、どこが道か分からないような広い世界につながっていくのが数学だけど、大学の学部という枠で見ると「規定のルートを通る時間」が占める割合がかなり多い。

 

きっと、意識しなくてもだらだら続けることができてるのはそういう理由もあるんだろうな。

ありがたいことなので、数学に関してはレールにのっかって興味が続くところまでいってみようと思う。

なりゆき任せで、いいじゃないか。

 

……んで、半独学のための気力みたいなものはとりあえず数学ではなく他の学びに回そう。笑

 

 

 

以下おまけ。

 

ついにというか、やっとというか、正式に双曲線関数を勉強する日がやってきた。

双曲線関数は、直接の名前こそ出てこないけれど、{e^x - e^(-1)}/2 と {e^x +e^(-1)}/2 という姿のままちょくちょく入試問題などにも顔を見せる。

(双曲線関数だと知っていると楽に解けたりすることもわりとある)

つまり(元)受験生にとっては「あぁ、ヤツらか」という微妙に馴染みのある存在なわけでで、こないだ書いた逆三角関数たちと同様、「いよいよこいつらの登場だ!」と勿体ぶって出てきてほしかったところなんだけど、彼らも拍子抜けするほどあっさり現れてしまったのだ。

そして何食わぬ顔で居座ってるんだよな。

 

次こそはドラマチックな展開が待たれる。

何を身につけよう? 緩い取捨選択、の話

少しでもやりたいことがあるなら
やってみればいいじゃないの。
やりたいことがまったく見つからない人は
沢山いるんだから。
(村山由佳『天使の梯子』)

 

 

「浅く広く勉強する」ということが、言葉でいうほど簡単ではなさそうだ、ということを最近もやもや考えている。

(前回の記事で偏りがどーのと書いたのもそれに関係がある)

 

ひとりの人間が触れられる知識の総量なんてたかが知れてる。

それに、量の多さで競いたいとも思ってはいない。(クイズも好きだけどガチ勢ではない)

だから、緩い取捨選択が必要になる。

 

 

「緩い」としたのは、この知識は捨てるべきか否かなんて基準をもっているわけではないから。

学びなんてどこで何が役に立つかわからないのだし、マイナな知識でも覚えていて面白ければ覚えるはず。

やりたいことに合わせて流されるほうが楽しいよね。

 

まぁ、自分のなかで「どうでもいい」と思ったものは早々に切り上げて、別の『浅く広くっていうならこれはやっとくべきだろー』的なものを吸収する方に時間を回す、程度の意味だ。

僕はQMAのアニゲー問を必死で覚えるよりはのんびり本でも読む方を選ぶなぁ、ぐらいの話。

それこそ人によりけりだよね。

(脱線するけど、アニメやゲームが好きな人は苦もなくやるんだろうなぁ。実際QMAで全国トナメとかすると、アニゲだけできるっていう人が結構多くてびっくりする。そういう人は問題覚えたというより普通に記憶や知識として知ってることが多いのかもしれないけど。わりと羨ましい。)

 

 

どうせ気まぐれなら「緩い取捨選択が必要」ということ自体ナンセンスなんじゃ?

ふむ、まぁそうともいえそう。

とはいえ、せっかく記事の内容おもいついたんだから、ここでやめるわけにもいかないので続けよう。

 

うん、普段は、そういう考え方は必要ないかもしれない。

ただ、本当に何もかもを無自覚でやっているとふと「なんでこんなことやってるんだろう」という感覚に襲われたときに、支えになるものがなくなってしまう。

「なんでこれをやっているんだろう?」なんて問いは元気なときにやっておくほうがいい。

役に立ちそうだから?人に話すネタになるから?知ってたらかっこよさそうだから?

なんでもいいけど立ち止まって考えて、それでいいじゃん、っていう結論にしておく。

そうすると、いざ情緒不安定になったときに、すでに自分がOK出した理由にあてはめて安心できる。

これはだいぶ楽。

 

ほかにどんな場合があるだろ。

「(いわゆる)常識」

「クイズでベタ問っぽいもの」

「その分野を学ぶ上で知っておいた方がいいこと」

「読んでいて/学んでいて/覚えること自体が 面白いこと」

などなど、かなぁ。

 

もちろんどれかに当てはまっても全然身につける気が起きないものも多分あると思うけど。

(ただそこで「何を『どうでもいい』と思ったか」を意識しておくのはわりと必要……というのが前回の記事に繋がる話)

 

 

ともかく、色々書いたけど、基本は気まぐれ。

何度も言うけれど、こういうことを書くのは、自分が道に迷ったときのため。

分解し、分類し、分かる。

「もうすぐクリスマスだわ」
「順調にいけばね」

(森博嗣『封印再度』)

 

 

ある分野をどうでもいいって思うのはやりたいことをやるために大事なことだけど、どうでもいいと思ってることを自覚するのが第一歩だよなぁということを漠然と考えていた。

そして、その意味で「分類」というのは素晴らしい効果を発揮していると気付いた。

 

例えば時事的なことについて浅く広く簡単な知識を得ようと思って『現代用語の基礎知識』を広げ、「趣味・余暇(ゴルフ、ゲーム、マンガ、絵本、映画……)」の項はいま得たい知識ではないからとりあえず後回しにしよう、と考えたとする。

そのときに、そこを「後回しにしよう」と思ったことを意識しているのが大事だということ。

理由はいうまでもないけど、「愛犬家住宅コーディネーター」も「移動映画館『MoMO』」も「ゲーミフィケーション」も”時事的な知識”だから。

そこを外したのなら自分はそちら方面に疎いという自覚はもっていたほうが色々と便利だ。

 

 

分類するためには、個々を分解しておく必要もある。

 

紅色、橙色、桃色に塗られた玉がそこにあったとして、僕たちはそれが何となく偏っているような気はするだろうけれど、明確にどう偏っているかは説明できないかもしれない。

なんか赤っぽいのばっかりだ~までは言えたとしても、ところでじゃあ他に何色を用意すればその偏りが軽減されるのかまではわからないかもしれない。

 

そこで色を数値化する手段のひとつ、RGB法を導入してみる。

名前の通りRed,Green,Blueの原色がどれだけ含まれているかで色を表す方法だ。

これで3つの玉の色を数値化すればRedに偏りがあることは一目瞭然だし、頭をひねれば全体をバランスよくするために必要な玉の色も想像がつく。(極端に厳密である必要はない)

別にRGB法なんか持ち出さなくてもそのぐらいのことできるのだけど、持ち出さなくてもできるのは頭の中で ある程度しっかり”色の分類”ができているからで、結局同じことだ。

 

色ならともかく、世の中の”知識”なんかは意外と偏っていることを意識しづらい。

先の例で行くと、なんとなく時事的な知識と言われて政治経済のことばかりを考えてしまっていても、あまり偏っているとは意識しないと思う。

分類(赤、青、緑という成分がある)をもとに分解(赤=***、青=***、緑=***)してみて初めて気づくこともある。

そういえば自分がイメージしていたことって、堅い要素から構成されてるものが多いな(どれも赤成分が多いな)、とか。

 

 

ざっくり調べるだけなら、分類の仕方自体はそれほど問題にはならない。

色の例で言えば、光の三原色(加法混合)でも色料の三原色(減法混合)でも「大きな」偏りを調べる上ではそれほど影響はない。

厳密さは求めていないので。

 

気を付けるべきはまぁ、その分類されているものの大枠を忘れないようにすることかね。

『現代用語の基礎知識』には数学については載っていないし、近現代に直接つながらない歴史も触れられはしない。

日本十進分類法にアニメは入らない。(もっとも図書館にもアニメのDVDとかはあるから便宜的につけてると思うけど)

自分が「何の」分類を把握したのかも把握しなければならない。

 

 

めずらしく真面目なふりをして大して中身のないことを書いてみたけど、『浅く広く色々な知識を得たい』というフレーズを免罪符にしている身としては、これぐらいのことは一応考えておかないとだよね……。

浅く広くってどこまで広くなんだろう?とか。

小学校のプールぐらいの枠は決めていおかないと、地面に垂れ流しただけになっていつまでたっても水が溜まらない。

下手をすると逆に、たまたまできた小さな水たまりをみて「あー広く勉強したなぁ」と勘違いしてしまうかもしれない。

 

というわけで一回、いま自分の持ってる知識とか興味とかを「分解」して、自分の感覚と直接関係のない既存の「分類」に照らし合わせて考えてみたいとは思ってる。

自分の興味の方向とか、補強しなければならない部分を明確化するためにも。

……そのうち。

やっと逢えたね、私たち……のはずが

It might be true
that the average human being was better off now
than he had been before the Revolution.
The only evidence to the contrary
was

the mute protest in your own bones,
the instinctive feeling
that the conditions you lived in were intolerable
and that at some other time they must have been different.

(George Orwell『Nineteen Eighty-Four)

 

大学で、(3/4)年ぶりに微分積分と再会しました。

 

いやぁ、なんというか、受験時代あれほどまでに悪しき存在(!?)として”封印”されていたロピタルの定理とか当たり前のようにへらへら出てくると、いままでの引っぱりはなんだったんだという拍子抜けを感じますね(笑)(誰も引っ張ってない)

あぁ、やっと来たか……と思うのも束の間、なんだろう、ここまで引っ張ったんだから「いよいよこいつらの登場だな!」ぐらい言ってほしかった気分だよ(誰が言うんだ、誰が)

せっかく満を持しての登場だったのにアバウトな証明だけで流されてかわいそうに……

 

あと「やっときたか…」ってのは逆三角関数。

 

こっちは初めてちらりと知ったのは中3ぐらいですね。

3を3つ、に四則計算を使って指定された数字をつくる!っていうよくあるゲームを僕らは放課後にやっていました。

(2を作れだったら(3+3)÷3=2 みたいな感じです)

ところが、3を3つで10を作ろうとしても、いつまでたってもできず、これが多分四則計算じゃ不可能だろうってことに薄々気付いてきたわけです。

そこで ! だの √ だの ^ だのの使用はOKみたいに拡張したんですけどそれでもできず、最終的に3.3(3の上に・)×3=10 とかいう妥協案でごまかしていたのですが、ぐぐってみたところ(同じことで悩んでる人はやっぱりいた)逆三角関数を使うことでまぁとりあえず10になる方法を考えた人がいたわけです。

 

考えたい人もいるかもしれないので伏字にしておきますが、そのやり方がこちら↓

 

tan^(-1)√÷()゜= 10 .

 

おいおいそんなのアリかよ、って思う人もいるかもしれませんが、当時見つけたなかでは一番「うぉぉ!」って感じだったので、よく覚えてます。

ネタとしては結構面白いんじゃないですかね。

 

はい、英語の課題が終わらず震えてるのでここで終わります……

とりあえず更新再開


たとえば、

非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、
人間はほとんど無意識のうちに
自分の心の形に合うように
その現実をいろいろ変形させ、
どうにかしてその現実を受け入れようとする。
もうそこで一つの物語を作っているわけです。
(小川洋子『物語の役割』)

 

某えいがかっこわらいの脚本がほぼ完成しました。

 

……いや、お世辞にも完成とはいえない形なんですけど、しあさってに撮影なんで、大幅な修正はここで打ち止めとしました。

 

この半月、ちょっとでも参考になればと色んな脚本家や映画監督の話をプロ・アマ問わず読んでみたりしてたんですど、いやぁホント自分の世界って狭いなぁ、と思ってしまいました。

映画って、特に単館系のを想像してもらえるといいんですけど、結構『普通の道から外れたドラマ』を描くことって多いですよね。

そういうの描いてる人ってやっぱりどこか人と違う壮絶な人生歩んでる人が多いです。

あるいは、経験していなかったとしても、そういう”一線”への抵抗が薄いというか。

僕は正直ぬるま湯の中で生きてきた人間なので、そういう世界のどろどろした暗い部分ってそれこそ半分フィクションみたいな感覚でしか捉えてない部分あるし、周りの目を気にせずそういう世界を描けるような極端さを持ってないと気付きました。

そういう良識みたいなものをふりきれないと物語が全然かっこよくないよなって。

 

そんなこと考えるのと脚本進めるのが並行していたもんで、「ホントありがちなもの書いちゃってるなぁ……」と書いてる途中で何度も根本から変えたい衝動にかられました。正直。

結局大きくは変えずじまいだったんですが。

 

技術的に見ても、台詞で説明しすぎというか、映像で遊んでない、映像を使えてない。

誤解を恐れずに言えばラジオドラマの脚本みたいな感じになってました。

あーいくら内輪ネタの映画もどきと言ってもこれは面白くないよなー、と結構へこんでます……。

 

とかなんとかいってますが、「ま、どうせこんなの今しか書けないだろ」とも思ったのでもう諦めます。

少なくとも今をすぎれば忘れてしまうような言葉を入れるだけ入れてみました。

あとから見返して、「あーあのときこんなこと考えてたのか」って自分が思うようなものにはなりそうです。

「露骨に出しすぎ」って絶対言われるけど。

どうせあと一作か二作は同じメンバで作れるんだから、枠を飛び出すようなことはその時やればいいや……今はぐだぐだで見てられないようなのをとにかく真面目に作ろう……(逃

 

まぁ、文字で見ると面白くなさそうだったやりとりが、実際に人が演じるだけで面白くなるということはままあるし、正直その過程がすごく楽しいからやってるわけで。

誰か書いたのかわからん変な脚本が出てきたからこれを使って映画を撮ろうぜ、ってなノリです。(責任放棄)

撮影が楽しみ。

 

 

あぁ、眠い……寝よう……

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