ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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向こう数ヶ月ほうりこまれる世界観のカスタマイズ(=履修登録)を終えました

春です。

しばらく記事を書いていなかったけれど、新学期も始まるのでまたちょこちょこ書いていきます。

ようやくついったーの方にも連携させたので、そちらから来た人もいるかもしれません。(そっちしかいない)

今まであっちに書かなかったのはいつ繋げるか迷ってて放置していただけです。

ツイート同様、ここにも大したこと書いてません。

はい、では、春です。(二度目)

この時期だけあって、【新入生へ】うんたらかんたら、といったアドバイスをたくさん見かけますね。

こういうやつです。


当たり前っちゃ当たり前なんですけど、これは全ての大学生が従う「べき」ことがらではないんですよね。

強いて言うなら、この手のツイートを読んで、「そうだ、そういう大学生になりたい!」と思う大学生が従えばいいわけです。

【(そういう文化に浸っていたい)(そういう文化に浸っている自分が好きな)新入生へ】……ということになります。

(まぁ、僕は上のツイートで言われているような大学生になりたいんだけど!)

要するに、まぁ改めて書くのも痛々しいですが、そこには優劣はなく様々な文化があるだけです(文化の中で優劣をつける文化はあるかもしれないけれど)。

僕は、勉強しようよ!本読もうよ!っていう文化が好きだし気楽なので、基本的にそういうところに浸っていたいです。

それでも例えば、この春に観に行った京都の学生演劇祭で「この公演終わったら、退学届を叩きつけて来ますわ!(`・ω・´)」と言い放った京大の十回生(!)の人も、僕にはずいぶん眩しく見えました。

文化というか、まぁ、平たく言えば環境です。

僕たちは自分たちでも驚くほど自分のおかれている環境の影響を受けて変わります

いや、自分自身が何も変わらなくとも、自分自身の捉え方がびっくりするほど変わるものですよね。

卑近な例でいえば、ついったーにいると単位はちょこちょこ落とすものみたいな感覚になりますが、春休みに高校の同級生の前で僕が言った「n単位落とした(テヘペロォ」(nはご想像にお任せします)の発言に「「「!?」」」という反応が返ってきたときは文化の違いを感じましたね!!

あるいは、地元で別のつながりの方々(クリエイティブな趣味をもつ人が多い社会人&大学生)と集まった時は、もう少しゆるやかな、「無理せず、頑張ろう。でも真面目にね!」みたいな、また違った空気が流れていました。

ひと昔前の「読まなければならない本、というものがあった…。」時代に書かれたようなものを読んでいると、”自分はどのくらい教養をつけているか?”という目で内省するくせに、翌日いろんなサークルが新歓している様子を見れば(あー自分はこういうこと何もやってないなぁ)なんて思います。

先日京都で演劇を続けている某友人と会ったときには、自分が高校以来演劇の世界から離れていることをはっきり意識したし、そのあと地元で演劇関係の知り合いの方に会って「そのうちまた芝居もやろうと思ってるんですけどねぇ」なんてセリフが自然に口を衝いて出てきました。

なんというか、参照枠が変わるんですよね。自分が変わらなくても。

それが唯一の評価軸じゃないことは理解しながらも、それを基準に考えてしまうことは免れない、って感じでしょうか。(=エクリチュールの囚人)


なんでだろうね、楽だからかな?

ある方が”学校”は不安を安心にシフトチェンジするレバーのようなものだとおっしゃっていましたが、実際のところ僕たちは「自分が向上しているか」「どちらに向かえば向上になるのか」「向上して意味はあるのか」という不安を「とりあえずその世界観に沿って、その基準において測られるものを向上させている」という安心で、しばしば塗り替えているんでしょうね。

わぁ、受け売りだ!


僕が昨年度ずっと「軸足が定まらない」と言い続けていたのは、結局のところ、よりどころとする文化を決めきれなかったことによる不安からだったのかもしれません。

(そういえば、中学高校は極端に閉じた世界でもあったので、そのひとつの世界観だけ見ていれば良く、あまりこういうことを考えることが僕はなかったですね。高校を卒業して「それぞれ」の世界へうつってはじめてちゃんと意識しました。)


でまぁ、大学生の場合、まずは大学生という文化がひとつあって、その上に○○大学の文化があるわけですが、意外と受けている講義の影響(あるいはそこで何かを話す人の影響)なんかも受けていたりします。

僕の大学はとくにそこそこ広い範囲から雑多に授業が選べるので、なおさらそう思うのかもしれませんが、人文系のクラスばかりとるのと理数系のクラスばかりとるのではものを考えるときの世界がだいぶ変わる気がします。

あぁ、そうだ、英語の授業が半分以上を占めていたりなんかすると、周囲に比べて英語が喋れない僕などは途端に自分がダメ人間に見えてきます!!

それからそうそう、ベジタリアンや肉食文化についての文章を練っていた先学期末は普段の食事から肉が激減しました!!(あれ、これは何か例がおかしい?)(ちなみに、春休みを越えたら、戻りました。人間って薄情。)

まずそもそも、何となく大学生ってこういう風に勉強してるんだろうなーの基準がそれになっちゃうってこともありますよね、不思議ですけど。

僕は読書論だとか独学の方法についてだとか、そういう自己啓発本の類がわりと好きで、定期的に読みたくなって手を伸ばすのですが、それは具体的なテクニックを得るためというより、「モチベーションがあがるから」です。

言い方を変えれば、そういう世界観づくり。

自分が好きな(好きな自分で居られる)世界観づくりですね。

新学期にその学期に履修する科目を選ぶ作業というのは、大学生が自分の世界観を自分好みにあつらえる、身近で手軽な方法のひとつでしょう。

(数ヶ月で解放されるから、ローリスクハイリターン! リセットしたければリセット可能!)

僕たちは、自分たちが環境に影響されることを理解はできますが、実際に今この瞬間自分がおかれている状況の作用に抗うことはなかなか難しいです。

でも、入る前にそれを選ぶことはできます。

さぁ、世界観のオーダーメイドを楽しみましょう!!!(もう履修登録なんか終わってる大学がほとんどだろ!!!)

まぁ、そんな感じで、今学期とる授業も無事決まりました。

自分の好きな文化の中で、自分が好きな自分で居るためにも、昨年度みたいなクズ生活をしないことを祈りつつ寝ます。ばたり

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