ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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僕はどこから落ちて、どこに戻って、どこへ向かうのか、のお話。

まともな道に戻りたい……なんてせりふが頻繁に頭に浮かぶようになってから、どれくらい経つのでしょう(遠い目)。

だけど、いったい、まともって何なんでしょうね。

僕が「まとも」という言葉で想像している概念は、かなり狭い価値観によってつくられたものだということに気付くことが、時々あります。

とはいえ、「僕がクズだというのは思い込みだ!僕は十分まともだ!」とか叫ぶつもりもないです。

僕が、多様な観点から見てもやっぱり何かしらよろしくない崩れ方をしているのは確実なので、「まともな道に戻りたい」という表現におかしなところはないのだけれど、墜ちていく僕の頭上にある道は別にひとつなわけではないということ。

そして、僕がぼんやりと想定している「まともな道」に戻ることができたとして、そうしたら僕はきっと「まとも」になるだろうし安定した心地がするだろうけれど、そのとき僕が……たとえば幼い頃の自分でも「こういうの良いな」と純粋に思えたようなシンプルなことを メインにやれているだろうかといえば、きっとやれてはいないんだろうな、ということ。

そしてそれでも……どうにかどこかに戻って歩いて行くしかないんだろうな、ということ。

 

と、抽象的に書いてしまうのが僕の悪い癖です。

(どうしてこのことを「悪い」癖と言うのかというと、ひとつにはその抽象的な表現が抽象的なくせにまったく美しくないからでありまして、もうひとつには僕以外に意味が伝わらない自己満足ポエムになるからですね)

具体化したことを書けるかどうかは定かではないけれど、ここから関連した(僕の頭の中でだけ関連した)具体的なお話をぐだぐだ書いていきます。

 

今日は高校時代の友人二人と会ってきました。

二人とも学部3年生で、ひとりは情報系(たぶんねっとわーく関連)のことを、もうひとりはデザイン工学を、それぞれ大学でやっています。

 

僕が予備校生だった年に彼らは大学一年生で、たまに会うとよく大学の話を聞かせてくれました。

特にデザイン工学科の彼が話してくれる話はとても面白くてわくわくするもので(当時聞いた話は、自動販売機のコインの投入口をどう改良しうるかみたいな話とかでした)、僕はそれを受けて大学生活に夢と希望をもったものでした。

あれから二年が経ちました。

その状況は……どういうわけか大して変わっていませんでした。

僕は彼らが話す、やや専門的で、だけど学生らしい強引さにもあふれた話を聞きながら、「すごいな、僕もそういうのやってみたかったかもな~(´ー`)」なんて思っているのです。

(某企業の豆の売り上げを伸ばすような商品のパッケージや広告のデザインの話とか、公園にある座れそうな岩の話とか、スマートホンを使った自動車のうんたらとか、えとせとらえとせとら ※どこまで書いていいのかわかんないので適当にぼかしてる

で、話おわり。終了。僕から話すこと無し。うっうわああああああああああああああ!!!

 

……自分で書き進めながら、この「うわああああああああああああああ」をばらばら解体していきますよ。
「うわああああああああああああああ」を日本人に通じる問いに訳せば、「何で僕は彼らのようにならなかったんだろう?」ってところになるんでしょうか。
じゃあ、「彼らのようになる」とはどういうことでしょう?
大学生活を好調に進めていることでしょうかね?
うーんそうだとすると、そもそも大学生活が好調に進まなかったのは「道から転げ落ちた」からなわけですから、元の道に戻ったら「彼らのように」なるということになりそうです。
でも、そうとも言えません。
何故なら、僕が想定している「元の道」で僕がやっていることはいわゆる実学ではないので、戻ったところでかなり毛色の違った大学生になるであろうから、です。
まぁ、本質的な部分で実学と実学以外のものなんていう二項対立は存在しないともいえてしまうので、ここでの実学は勝手に「それが奥底にある"真実"であるかどうかよりも、現実世界にどう作用を与えるかによって評価が決まるもの」とでもしておきましょうか。
実学にせよ、そうでないにせよ、何かの専門性を高めれば似たような状態になるのでは?という考えも浮かびます。
それでも、どこまで似通うかはわからないし……どっちにしてもそこまでの専門性を高められなかったからこうなってるんだよ!!!!!
そ、そろそろ辛くなってきた……何でこんな自分の腹を自分でかっさばいて手術する某闇医者みたいなことせんにゃいかんのや……。

 

……気を取り直して、続けていきます。
僕はいつからだったか、スペシャリストよりゼネラリストを目指していた節がありました。
でもそこには大きな間違いがあって、のほほんとバイキングを食べる気分でやっていてもゼネラリストにはなれるわけないのです。
これにようやく気付いたのは大学に入って一年も経った頃でした。
かといって僕は、何かの専門性を高めるということを現実的に想像することもできませんでした。
でしたというか、現在も変わらず。
狭義のアカデミックな世界で、学部4年レベルだとしても、それなりに「こんなことを研究したい」とか言えるオリジナルなものを見つける段階まで上がっている自分はまったく想像できないわけです。
どんな分野に進むにせよ、ですね。

 

ちょっと話が細かいことに向きすぎた気もするし、長すぎるし、そろそろ終わりに向かいます。

 

きっと僕はこんな風になりたくはなかったでしょう。
昔の僕はもっとシンプルに、今のあの友人たちのように、純粋にやりたい遊びのようなものに自分の考えた発想をぶつけて、日々のちょっとした努力もプラスして、「自分がその道を選んでいなければできなかったようなこと、そして、いま、そこで、自分しかできないこと」を積み重ねて行くような、そんなことがやりたいと思っていたでしょう。

 

でも……、今さらどうしようもないのかなと思います。
だってまぁ例えば、「じゃあいまいる大学をやめて彼らが居るところに入れたとしてそれでOKか」って言われたらきっと全然そんなこともないでしょう。
これは極端な話ですけどね。

まったく違う生き方に移ることもできるかもしれないし、これから先いつかはそういうこともしそうな気はしますが、それは解決のための万能薬ではないでしょう。

それに、僕は自分が進んできた方の道もそれほど変な道だったとは思っていないし、嫌いでもないんです。

ひとつだけ言えるとしたら……、偉そうに理由をつけてトコトコ歩いてきた道中で、もしくはその歩いた先にあった場所で、人に話せるような何かを成し遂げてもいなければ身につけてもいないんだなってことです。

だったら、そうできるようにしてみるのもひとつの手かもしれません。

 

仕方ないよね、これが選ぶということであって、僕はこれまで逃避という形で消極的な(とはいえ言い逃れできないほど確かな)選択をしてきたんでしょう。
例えば僕は表面的な「選択」から逃げることによって、「専門学校」「専門色の強い実学寄りの学部」「入学段階から学科などが細分化されている大学」への進学を事実上諦めるという「選択」を高校時代、浪人時代にやってきたのでしょう。
今の自分が過去に何かしら選んだ結果であって、一瞬では生きるスタンスを変えられないんだったら、その上でできることをここから何とかやるしかないわけで。

ともかくこの数ヶ月は、多くのことを考えすぎて何もかもがめちゃくちゃになって、幾度も未来について心変わりしてあらゆる価値観が希薄になって、人間不信という意味ではないけれど「何を信じればいいかわからなく」なっていました。
結局そんな中で僕が最後に選んだのは、最近増えた余計な考えは全て雑音として忘れて、過去の”とある期間”の延長を意識して生きることでした。
具体的なことは書いてもしょうがないので省きます。

あと一文だけ書くなら、僕は「”あのとき”の自分がやろうとしていたのは、当時の自分がやろうとする程度には僕にとって意味があるモノだった」と信じることを選びました。

 

結局ですね。

どこにいてもまったく歩かないなんてのは、無理なんですよ。
せめて「いま・ここ」から自分が納得いくように歩こうと決めました。
前にもどっかで書いた気がしますが、結局自分が選んだ文化を肯定する方法は、その文化の中で自分が自信を持ち、その文化の外に対してもそれなりに胸を張れるようにすること、あるいはそこにいる自分が好きだとさらりと言えるようにすること、しかないんですから。

ま、決めたことはきっと揺らぐので、何度も揺らいで、また色々変わるんでしょうけど、それはそれ。
あぁ、長いけど、なんとか終われた。

「眠いのでこのへんで」みたいな切り方をせずに終われたの久々な気がするぞ!!!!!

ではでは、眠いのでこのへんで。おやすみなさい。

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なにかを売ってた日の手記(ねむみを添えて)

それなりの頻度で記事を書こうとと思ってたはずが、早くも三週間経ってしまいました。

今度こそ毎日書こう、と思っています。

 

大学関連のことを具体的に書けば記録としてはそれっぽくなる……けどそれをしてしまうと(実際の自分の気分よりも数段)悲壮感漂うものになってしまうと思われるので、しばらく書けるようなこともありません。

なにしろぼろきれのようなうんたらかんたらから這い上がっていく物語を練り上げることが当面の目的だったので、せっかく元気なのにわざわざクズアピールをしてたら本末転倒なのでして……。

 

今日は一日中某学祭で某雑誌を売っていたのでそれについてかけばいいんだろうけど、ちょっとした手違いにより現時点で眠らずにいる時間が24時間を超えているのでとても眠いのです。

眠いからそれについてあれこれ思索を深めることはできない……とはいえ、徹夜テンションで気持ちだけは昂ぶっているので、何か記事を書いておかないともったいないというわけ。

 

そうそう、東大のにぽっくす君が浪人中に書いた『浪人生の倫理』は、僕も大好きだけど、多くの受験生&かつて受験生だった人たちからやっぱり大うけのようです。

で、よく思うこと。

「それなりにまとまった人数が、『このネタの意味がわかるのはごく一部の少数に限られる!!』と考えるようなネタ」というのはそれなりにウケがよいのでは?

ちょっと皮肉っぽいかな。

でもそこらへん見極めるとツイッターでふぁぼRTが稼げるよ。(身も蓋もない)

ぼ、ぼ、ぼくはそんなこと考えてツイッターしてないよ……!?

受験ネタというのはどんなものでも多かれ少なかれこれにあてはまるといえるでしょうね。

受験というのは局所的な話題なようでいて、それなりの割合の日本人が経験する一大イベントなのです。

だ、だからあんなに売れたの……?

なんで100冊完売しちゃったの……こわい……

n+1度目の再開

もう日付が変わっていますが11月1日づけで更新します。

明日から学祭ということで午後が休講になりました。

去年は語学のクラスで屋台を出していたこともあっていかにも学祭ムードって感じでしたが、今年は特に関わっていないので、「あーもうそんな時期まで回ってきたのかぁ」の一言がすべてですね。

去年の11月といえば、某懸案事項を処理し終えて多少時間に余裕が出て来はじめ、気を抜いてたら飛行機乗り損ね奴~~~からのごたごたがあって色々(中略)あって、心に穴が空くこともあったけれど同時にとりあえず勉強を軸に日常生活が回り始めた時期でした。

友達と自主製作映画(笑)を撮りはじめたのも11月か。

そんなこんなから一年経ちましたが、結局どうなったかというと、客観的に「大学生としてまともにやれているか」という指標だけで見ると回復どころか悪化している気もs……まぁ、ほらあれです精神状態は格段に安定しています。

どんな生活を送るにせよ、最低限自分の納得する毎日を送ってはおきたいと思い、ひとつのきっかけづくりとしてなんとなくこのブログに戻ってきました。

誰も呼んでないだろうけど。

誰も読んでないだろうけど。

一度は誰でも考えたことがあると思いますが、「書く」の核は”何かを決めること”だと思います。(カクのカクが言いたかっただけなんてそんなことは)

「書く」ことも「決める」ことも、多分に緊張感を伴う行為なんですよね。

倍音のようにあるいは電子雲のように複数の考えが重なっている中で、ほかの全てを捨ててただひとつに絞らなければならない。

書くことでいえば、複数ある可能性の中から一本のロジックだけを選び取って偉そうに書きつけないといけない。一筆書きで。

それが最善かどうかなんてわかるはずないので、そのたびごとに、ラフなスケッチにペン入れをするあの緊張を感じることになります。

そして、書いた後ですらそれが正しいかどうかなんてわからないわけです。

それでも、何かを決断すること/何かを書き残しておくことは、次への踏み台になる、と思います。

去年自分が書いた記事を読み直しても、(文章や思考の稚拙さはさておき)何かしら足がかりになる程度のものは残せていたかな……とは感じられました。

これまで長い間、僕はあまりにも多くのことを「決めなさすぎた」、それがあれやこれやの小さな失敗の一因なのは間違いないようです。

だから、今度こそ……。

n+1回目の三日坊主、始まります!(ここでオープニング主題歌に入る)

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