ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

移動日記

のんびりと帰省して、どたばたと東京に戻ってきた。

 

3月16日朝に東京を出発。一年ぶりの青春18きっぷ。

昼ごろに熱海で乗換だったので、ふらっと改札を出て、近くの店でまぐろ丼を食べた。500円、安い。この日は夕方に名古屋に辿り着きさえすればよかったため、のんびりしていこうと思って駅の周りを少しだけ歩く。坂につくられた商店街というのは面白い。全体的に、ザ・観光地という感じだった。横浜くらいまでは日常だったので、ここへきて日常を離れたのだなと思った。旅行客ばかりでなんだかほわほわと。自分も旅行っちゃ旅行なんだけれど。あと、小ザルが竹馬に乗っているのを見た。

夜は名古屋でとある会合に参加。食事もおいしかったし、楽しかった。状況だけ見ると、かつて(2011年度)の名古屋の河合塾生が「久しぶりだねぇ」って会っている中に混じらせてもらった感じだった。彼らには彼らの予備校時代というものがあったのだ、ということを思い出す。思い出すも何もないけれど。自然、福岡で浪人していたころの仲間に想いを馳せた。

 

旅!!とか旅行!!!とか銘打ってると、ある意味でハードルがあがる気がするけれど、この移動の目的はあくまでも「実家に帰ること」で、その途中にあちこち寄っているだけなので、好き放題できるのがよいね。完全に気分的な問題だけなんだけれど。安宿に泊まるだけでハイテンションになれる人間なので、単なる移動のほうが楽しかったりする。

 

3月17日。午前は名古屋にいる高校の友人と会っていた(ベタな「金時計で待ち合わせ」を二日連続ですることになるとは思わなかった)。昼からは移動。東京で知り合った福山出身の友達が偶然この日に帰省するということだったので、名古屋―福山間を乗り合わせることにした。時間が空いたから姫路でちょっとだけ時間を潰したけれど、それ以外はずっと乗っていただけ。立っている時間も長かったような気がする。ひとりで本を読みながらの移動も楽しいけれど人と一緒も良いものですね。もともと広島あたりまで行くつもりだったけれど、疲れていたので福山で降りる。そんなに遅い時間ではない感覚だったのに、意外とお店が開いていなかった。夜の9時くらいだったので、考えてみたらそんなもんだよなぁ。知らないうちに自分が都会の時間感覚に染まっていたことに気づく。シャッターの閉まった商店街をうろうろしていたら広島焼きの店が見つかったのでそこで食べることにした、おいしかった。(とくに意識していなかったけれど広島焼きって初めてだったなぁ、これは満足感あるね) サラリーマンが飲んでいて、ここにはここの生活があるんだよなぁと当たり前のことを思った。駅の近くの飲み屋から広島弁の大学生の集団が出てきたときも、似たようなことを思った。そんなのを横目に見つつ、予定通りネカフェに泊まる。こういうのもすっかり慣れてしまった。寝坊しないようにいちおう携帯のアラームをセットするものの、ネカフェで鳴り出したらちょっといやだなぁと思いながら眠りにつく。

 

「あぁ、ぼくは東京に来たのだなぁ」ということを移動中に何度も思った。この日本の中でさえ、たくさんの土地があって、そこに住んでいる人でそれぞれの生活というものが行われていて、ぼくは(幼い頃から西日本各地を転々としていたからなおさら思うことだけれど)それらのほかのどこかにいてもおかしくなかったのに、東京にいる。なんていう当たり前のことをまた実感した。ぼくは選んだのだ、この場所を。

 

3月18日。アラーム設定時刻の直前に目が覚めたので恥をかかずに済んだ。人間の体内時計って謎ですよね(これは偶然だろう)。そんなこんなで問題なく始発で福山を出発。始発なのに高校生も乗ってきて、すごいなぁと思う。この日は大半の移動で寝てたような気がするので特に道中の記憶がない。岩国にミスドがあったので朝ごはんに肉まんを買った。14時半ごろ博多について、バスで天神まで移動。目的はもちろん一風堂総本店である!!!の前に新天町のソフトバンクショップでちょっとだけiPhoneを充電してもらって……。1年半ぶりの一風堂総本店!!!いつもなら、白の並の粉落とし、と頼んでいたところだけれど、来る機会もなくなってしまったので「中」にする。このどろっとした感じは総本店だけなんだよなぁ。懐かしい味。一口食べただけで浪人時代の記憶が一気に脳裏に甦る。そういえば、こうしてひとりで食べに来ることってあまりなかったな、なんてことも思う。替え玉はバリカタ。すぐ某県行きの高速バスに乗らないといけないので、替え玉は一回だけにしておいた。噂には聞いていたけれど、卓上から辛もや(辛いもやし)がなくなっていた。ふああ、おいしかった。ごちそうさまでした。さよなら、一風堂総本店……また来るからね……! おしまい。(んっ!?!?)

スポンサーサイト

現実に生まれる感情はいつだって雑然として無秩序な断片

数日前から実家に帰っている。

現在進行形で感情がうねうねしていて、うまく捕まえることはほとんど不可能だと思う。それでも無理して残しておかないと本当に明日には消えてしまいそうなので、事実の羅列程度になってしまうけれど何かしら書きつけておく。いつも以上に読みにくい文章になるだろうことが予想されるので、先に謝っておきます、ごめんね。……いや、というか怖いから読まないで、か、帰ってください……。

今日は昼すぎに起きた。この一週間ずっと放置している問題がひとつあって、それが心に重くのしかかってどんよりした気分だった。とりあえず入学後の諸手続き書類やら後期試験の受験料の返還手続き書類やらを書いたり、神のみの25巻を読んだりしつつ半日をすごした。

夕方になり、街中のとある小空間に向かった。演劇と朗読などが組み合わさったイベントがそこで行われたのだけれど、なんとアルコールや軽食などを飲み食いしながらの観劇で、小さなライブハウスに似た雰囲気だった。お芝居の見方としてはかなり珍しい形だと思う。

正直、気分が落ち込んでいたので予約してあったとはいえあまり乗り気ではなかった。けれど、さすがは田舎、それほど広くもない会場にもかかわらず何人かの知り合いに偶然に会ったりして(9年来の親友のお母さんと妹さんとか、5年前にお芝居で共演して以来会っていなかった方とか)、始まる前にじゅうぶんに回復してしまった。

いちばん書きたい箇所を書けないまま布団に入ることになっては悔しいので、このイベント自体については深く触れずに進むことにする。とても楽しい雰囲気で、良い時間だったことは書いておく。

今日の役者の中には、中学生や高校生、春から大学へ進学する方なんかもいた。ぼくも彼らの歳だった頃、ああして舞台に立っていたなぁと思い出す。小さい頃から演じること体や声で表現することは好きだったけれど、具体的に演劇らしい演劇をしたのは中学三年の文化祭だったろうか。高校では演劇部を創ろうと奮闘するも失敗し、有志で数ヶ月に渡って稽古を続けていた劇も、全員のやる気をまとめ切れず公演中止にしてしまった。高校二年になって、県の演劇祭で地域のアマチュア劇団の方々と一緒に舞台にあがらせて頂く機会があり、その後もさらに二本ほど芝居に参加した。受験生になってゆくにつれ(受験生の終わりはわりあいはっきりしているものだけれど、受験生の始まりはどうしたってフェードインである)演劇からは離れ、そのままあれからは芝居をつくる側には関わっていない。

高校一年時代いっしょにアングラ演劇部(笑)をやっていたある友人は京都の大学に進学し、大学の劇団に入った。今となってはトータルでぼくより長く演劇をやっていることになる。一年ほど前には、脚本と演出を手がけた芝居を京都の学生演劇祭で公演していたので、観に行った。

その彼のことを思っても、今日の地元で活躍する十代たちを見ても、いやたぶん演劇を観に行くたびにいつも、心に残るのはただただ悔しい気持ち。ぼくがなんだかんだと言い訳をしながらのらくら生きてたこの三年で、これだけのことをやってる人たちがいるんだというどうしようもない悔しさ。なんなのだろう、これは。

それでも、ここまでは、想定の範囲内だった、のかもしれない。

そのイベントが終わり、ぼくは友達が通っている地元の社交ダンスのレッスン場に向かった。ぼくの母校の中では珍しく進学はせず、地元でアルバイトしつつ今は社交ダンス(ぼーるるーむだんす)やってる女の子、という雑な説明でいいのかな……眠い……。

Twitterですらほとんど書いたことはなかったと思うけれど、ぼくも大学に入って半年+α ぼーるるーむだんす〔男女ペアになって踊る、ワルツとかタンゴとか、サンバとかルンバとかあーいうのです〕をやるいんたーかれっじな部活動に参加していた時期がありまして……。当時頻繁に「懸案事項」と呟いていたのはそれのことで、要するにそれ自体はトータルでわりと黒歴史なのだけれど、まぁ楽しいことももちろんあったし、その手のダンスにそれなりの関心と愛着をもつきっかけとしては十分だった。そういうこともあって、帰省すると誘われるので、彼女が練習しているところを見に行ったりしている。

ともかく、今日は気を抜きすぎていたな、と思う。ぼーっと、ただ友達(およびペアの方)が踊っているのを見ていただけだったのだけれど、まさかこんな色んな感情が溢れ出てくるとは予想外だった。懐かしさと切なさと淋しさと、演劇のところで書いたのと似た悔しさ。これを少しでも絞り出しておきたくてこの文章を書き始めたのだけれど、何を書けばいいんだろう、こんなの、直線的な言語という表現に載せられる気がしない。

まずはそう、彼女に関しては踊りが夏に見たときよりも滑らかで、端的に言ってうまくなっていたと思うし、というか夏の時点でもきれいに踊っていたと思う。何が言いたいかというと、ぼくがのらくら生きていた数年間を彼女はこれに使ったんだな、というのが見えて、痛かった。泣きそうだった。ひとつにはそれ。

次は単純に、楽しそうだな、やりたいなと思ってしまう自分がいたということ。まったく触れたことのないものだったらこんなややこしい感情は抱かなかったかもしれない。中途半端に、雰囲気だけ、知ってしまっているのがよくなかったのかもしれない。曲を聴けばダンスの種類はわかるし、自分ができるかどうかを別にしてみれば、ひとつひとつのルーティンはよく見知ったものだったりするし……。

ついでに色々思い出すよね。例えば合宿でサンバを踊るペアだった子のこととか。お互いそれぞれいちばん下手だったけれど、ぼくの中ではいちばん楽しく踊れたこととか。その子に「やめないでね約束だよ」って言われたときにはぼくはもうやめる気でいたこととか。まぁこれは一例で、ほんとはもっとごちゃごちゃと大学一年の黒歴史(とあとで無理やり名付けた記憶の束)一挙に思い出していた。

芝居を見ても、ワルツを踊る人を見ても、あるいはたとえば陸上競技場で走ってる人を見ても、ほかにもたぶん様々な箇所で、こんな感情を感じている。そうやって色々思い出したり楽しそうだなって思ったりぼくは今まで何をやってたのかなぁって考えたり切なさと懐かしさと淋しさとどうしようもない悔しさとぐちゃぐちゃと混ざり合って、混ざり合った上で、だからといってそういうことを続けておけばよかったとまで思うかといえば、そんなこともないのだ。少なくとも現実的なレベルでは考えない。これはぼくの選んだ道で、そこに大きな間違いはなかったとは言える。ぼくは自分の好きなことを勉強する時間、ゆっくり本を読む時間が欲しかった。欲しくて、それを優先するために面倒なことまでいくつかやった。だから今がある。ひとばん寝て明日になれば、何もかも大したことじゃない昔の趣味(「そのうちまたやりたいとは思ってるんですけど、なかなか忙しくてね…笑」)として収納されるだろうなというのははっきりと予想できる。それなのに、感情はどろどろと湧き上がる。説明しきれないような多くの感情が。それがまた、客観視すると痛々しい。無理に例えるなら、修学旅行先に「また行きたいね」と言って本当に旅行を計画してしまうような痛々しさがあるように思う。って伝わるのかな。ビールを持ったおじさんが、テレビに映るサッカー選手を見て「おれ、あいつより上手かったんだぜ……」って言う何かのCMが昔あったけれど、あの感じも近いかもしれない。

どうしようもなく断片的で、史上最高にまとまりがないものになったけれど、Twitterの呟きをまとめたとでも思って「やれやれ」してくれると嬉しいな。ぼくはこの断片を失いたくないからこそ、書いている。だから今までなら出したくなくて出さなかったような部分まで触れている。

帰りはその友達に車で送ってもらった。またしても話の毛色が変わって(ぼくの中では繋がっているけれど、文章としてはぶつりと途切れて切り替わるという意味)申し訳ないけれど、ぼくはふと、この子はやっぱりすごいなと思った。昔からすごい子で、いろんな意味でぼくの心を奪ってた子ではあったけれど……というかそれもここまで感情が錯綜してる要因のひとつなのは間違いないはずなのだけれど。ぼくと時間差で演劇やってたりもしたし、そんな表面的な共通点がありながらぼくとは全く違った歩き方をしているひとなのだ。だから悔しいし、妙に人生が交差しているせいでこういうときに感情と感傷が止まらない。そのとき思った「すごいな」っていうのはもちろんダンスの話だけじゃなくて、ぼくがせっせと記号的なあれこれを積み重ねている間に、彼女は何かをやって……たとえばカナダに住むためにお金を溜めようとしたりとか地元のラジオ番組のパーソナリティやってみたりとか……いやこういうまとめ方こそ記号的だな……ともかく何かをやって三年を生きてきたんだろうという、そのことを素敵だなと思ったのだ。

少々感傷的すぎるのも自覚しているけれど、ともかくあれとこれとそれとが頭の中を渦巻いてパンクしそうだった。ぼくが大学を受け直して合格したなんて話、その子にするのも忘れていた。そんなことちっぽけすぎてどうでもよかった。

2014年2月25日の記録

2月25日、火曜日。たしか晴れ。


6時40分ごろ起床。そこそこよく眠れた気がする。3年前も2年前も前夜はあまり眠れなかったので、コンディションは今までで一番良いかもしれない。ごはんをよそう。お湯をそそいでインスタントの味噌汁をつくる。さば味噌缶を開ける。二次試験の朝に自分の部屋で朝食をたべるのは、なんだか不思議な気分。そういえば前夜に食べすぎて朝に食欲がなかったのは現役のときだったっけ。色々やらかしてるので今年はその手の体調面だけは気を遣っていた。

 

そこそこ時間に余裕を持って部屋を出る。2年前や3年前に泊まっていたホテルより今住んでいる寮の方が本郷に近いのがなんだか可笑しい。昼ごはんと飲み物をコンビニで買ってから、地下鉄の駅へ。南北線、東京に来てからもたまに乗るのでもう日常の一部ではあるのだけれど、あの浅葱色の車体も、SFに現れそうなホームドアも、東京メトロのほんわかアナウンスも、なんだかとても懐かしい。車内にちらほら、古文の勉強をしている受験生などいる。

 

開門時間前に駅に到着。確か改札でて左だよなーと思いながらも右に進んでしまい(何でや)知らない出口から出てしまう。まぁ方向はわかったので問題はなし。弥生キャンパスの前で色んな予備校のひとがうごめいている横をすりぬけて進む。K塾に思い入れなんかないつもりだったけれど、あの青文字が目に入って少し心が揺れたのが悔しい。今年は弥生門から入るので交番で左折。キットカットたくさんもらおうと思ってたのにこっちではほとんど配ってない。残念。構内へ入ったので携帯の電源を切ろうとしたら、母から応援のメールが入っていた。ふむ……。

 

「~大学第二次学力試験、前期日程の……」教室に入って30分後、聞き覚えのある説明が始まる。どうやら地震の話はもうテンプレに組み込まれたようだ。ところで今回は科類を変えたので、これまでとまったく違う試験場になった。少し心配ではあったけれど、行くまでに上下の移動もなく、教室もわりと新しく、座席もいちばん右の列で、扉も近く、今年も当たりだなと思う。どうもいつも座席運だけは良い。軽く見渡して、やっぱり理二はそこそこ女の子がいるんだなぁと思ったけれど、先入観によってそう見えただけかもしれない。

 

国語の問題と解答用紙が配られる。科類や名前を書いているあたりで、後ろの席の人が慌てて入ってくる。前の席の人はセンター試験の受験票を忘れていたし、こんだけ周りがドタバタしていると緊張する気も起きない。ありがたいですね。しかしこの手記は試験が始まるまでの話で何百文字使うつもりなんでしょうかね。そろそろ始めますか。はい、ここで鐘の音。ぱらっとめくる。

 

To be continued…



たぶんずっと未完
最新記事
最新コメント
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カレンダー
02 | 2014/03 | 04
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。