ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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5月も終わりますね。

なんとなく、今年は5月はこんな感じでしたよーってのを箇条書きな感じででも残しておきたくて、これを書いています。

さっきまでとある別の文章を書いていたせいなのか、指が勝手にですます調をタイプするようになってしまったので、今日はずっとこの調子で書いていくことにしますね。

 

・ゴールデンウィーク

もう2年だか3年だかのつきあいになるような宮崎のついったらーさんたちが、ここ最近少しずつ関東に進出(?)してきているのですが、GWに横浜に旅行しに来た人がいて、じゃあ横浜でオフ会やろうぜって企画して集まって、みんなで中華を食べたりしてました。

あとサークルで映画を撮ったり、某かこけんの記事を(なぜか入稿直前まで書いていなかったために)必死で書いたり、なかなか色々詰まったGWだったように思います。

 

・コナン展

赤レンガ倉庫で行われたコナン展に行きました。によによしていました。

 

・コナンのリアル脱出ゲーム

中高の同級生6人でチーム組んで参加したのですが、脱出失敗しました。

脱出ゲーム自体まだ2回目ですが、そろそろ脱出成功したいなぁ。

いつもだいたい最後の謎が解けずにタイムアップなのです。

関係ない話としては、終わったあと僕の家で終電ぎりぎりまで人狼してたんですが、数年来の友人とやると読み合いがめっちゃ面白いですね()

ところでその6人のうち一人は地元でバイトしながら社交ダンスやっててプロ目指してる子で、この日も含めた一週間ほど僕の家に泊まってこっちであったダンスのレッスンに通ってたのですが、あーなんか大人になったなぁって遠く感じました。僕が大学一年生だからなおさらそう感じたのでしょうね。

 

・コナン、『緋色』シリーズ

ネタバレは嫌いなので何も書きませんが、サンデーで久しぶりにコナンが盛り上がっていて、毎週楽しみに読んでいました。気分が下がっているときにはこれが元気の素でした。

 

・未来日記

とある理由から現実逃避したくなったときにアニメで見始めたのですが結局全話見てしまいました。

まぁ面白いですね。だらだら見るのには良かったです。

アニメのジャンルは全然違いますがゲームの形式で東のエデンをちょっと思い出しました。

あとあいつどうみてもカヲr(ry

 

・大学祭

五月の真ん中あたりにありました。3つほど企画に関わっていたので当日は完全に内部側でしたが、楽しかったです。色々な方が会いに(?)来て下さったのも嬉しかったです、ありがとうございました。

あと、この大学でも、良いクラスに恵まれたと思います。

 

・数学

二年前にも一応授業を受けた「線型代数学」「微分積分学」の講義を一から受けることになりました。

おまえちょこちょこ落してただろみたいな声が聞こえたような気もしますね、まぁなんにせよ一からやり直せるというのは頭の中を整理できてよいです。

高校数学をやっていたときからその傾向はあったのですが、僕はあきらかに解析の分野が弱いので、特に解析の演習をちょこちょこ空いた時間にやっています。

線型代数に関しては、先週あたりの記事にも書きましたが、前にいた大学の有志で自主ゼミをやっています。楽しいです。

さらに僕の大好物である位相ですが、松坂和夫の『集合・位相入門』の後半を地元の友達とSkype通話をしながら読み進めていたのですが、こちらで出来た数学専攻の友達も巻き込んで再開することになりました。

一度目を今週の水曜日にやりましたが、これもとても楽しかったです。

ほかにも力学なんかで、微分方程式だったり、ベクトル解析っぽいことも使うので、そこらへんも自分で勉強しないとなーって思っていて、数学だけでやりたいことがたくさんあります。

かつての同期が3年生になってやっているであろう本格的な代数や幾何もちょこちょこやりたいけれど、さすがにちょっとキャパオーバーですね。

なんで数学がこんな楽しいのかなーってときどき考えるのですが言語化するに至っていないので、また考えをまとめて文章にしたいなって思っています。

 

・ポーランド語

いやーポーランド語の授業なんてどこにでもあるもんではないので、この大学に来た甲斐があったなぁと思いながら(?)受けています。
以前にロシア語は少しかじったことがあるのですが、ポーランド語は単語も、発音も、文法も、ロシア語とそっくりなので、とても親しみやすいです。
世界史をやった方はご存じかと思いますが、ポーランドはあっちにとられ、今度はこっちにとられ、となってきたような国でして、実際語彙をみてもフランス語の影響もドイツ語の影響も受けているのがわかるのですが、意外なことに言語文化そのものは途切れることなく続いているのだそうです。
そうやって発展が途切れないスラブ語って珍しいらしく、ほかはロシア語くらいしかそういうのはないとのこと。
その手のスラブ語の歴史だったり比較だったりの話もすごく面白いので、そういう本も借りてきたりはしてるのですが、だいぶ放置されてますね……。

 

・フランス語

よ……読めない……ポーランド語の倍のコマ数があるはずなのに……

毎週小テストがあって、みんなで何点だったー?とかワイワイやるのは、高校みたいでなんか好き。

 

・言語とか哲学とか歴史とか文学とか

の講義がとりたくてとりたくて仕方なかったんだけどまぁしばらくは理系のふりをしているので仕方ないね。

本を読もう!!!!

 

・五月病は?

来なかったようです。何年ぶりでしょうね。高校卒業してからは毎年何かしらどよ~んってなってた気がしますが。

といっても、状況というか生活というか現象だけみればかなり崩れているのですが、要は気持ちの面ではとくにぶれることなく過ごせたということですね。

3月9日に某所でだらだらと話した中でも言ったような気もしますが、表面的なことより奥にある「何がしたいのか」を意識するように最近はしていて、それが良かったんだろうなぁと思います。

抽象的な書き方してますが、まぁ本当はいろいろ具体的なことで。

(ていうか言い訳せずに授業はちゃんといけ。)

 

・チャーハン

一人暮らしをしてからチャーハンを作ることが増えたのですが、チャーハンは皿ではなく、茶碗に盛りつけています。

なんだかそのほうがおいしそうに見えるのですが、料理としてのステージではなく、ごはんとしてのステージで戦えるからなのでしょうか。

そんなこと考えながら、もぐもぐ食べています。

 

・その他

バイトとサークルのことはあまりネットには書かないようにしているのであまり触れていませんが、まぁそれなりに日常の一部を成しています。

あと近所に遊べる友達が住んでるのがとても楽しいです。

(なんでもいいけど今回いつにも増してボキャブラリィが貧弱な気がするな……)

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ふわふわしたことが多いので、落ち着いた話を書こうかなと思う。

まさにタイトルの通りで、大学一年生としてのぼくはとてもふわふわしていて、それは大学一年生としてあるべき姿だし、なかなか悪くないと思っているのだけれど、ぼくは大学生をやり直すために大学一年生になったのであって、ときどきはそっちの、22歳のぼくにも出てきてもらわないと困るのである。

 

てーわけで、思い出そう。

といっても、再受験した理由は、前回も書いた通り半分以上なりゆきだったといっても過言ではないので、そこはまぁ掘り返してもしゃーなくて、大事なのは再受験したその先にどういう青写真を描いていたかという話のほう。

 

ぼくの通っている大学は2年までは全員教養学部に放り込まれ、3年次から様々な学部に分かれて進学する。

現時点の考えでは(考えは変わっていないので、つまり半年前の考えでは)、3年次では文学部の言語関係の学科に進むというのが第一の候補にある。

気が変わる可能性は大いにあるけれど、何も決めていない状態と、暫定案が状況に応じて変わっていくのとでは天と地ほどの差があるというのは前の大学でいやというほど経験したので、まぁ書いておこう。

(前の大学は今いる大学以上に専攻選びが自由だった。しかーし、それは入学段階でいくつかの明確な選択肢を持っている人にこそ恩恵を与えるもので、ふらふらしていたぼくのような人は当然おたおたしているうちに時間がすぎてゆき……以下略)

 

現在は森ミステリィに出てきそうな理系理系した感じのところにいるので、世間体としては再来年に文転とかいうのをすることになるわけだけれど、数学とか物理は大好きなので、今は今で課せられたものをきちんと勉強するつもりでいる(すべてに全力を出すかどうかは別問題として)。

とはいえ、ぼくの選んだ将来はあくまでも2年後のほうなので、ときどきはそこに照準も合わせて、できることは少しずつやっていこうかなと考えているところ。

前の大学でも言語学の基礎の基礎の授業はいくつかとっていて、いわゆる学問の『目次』的な部分はおぼろげにわかっているので、それを活かして少しずつ勉強を進めていこうかなと。

受ける講義だったりそういう面では人文系から少し離れることになってしまうので、できるだけ、それこそ前の大学にいたときのテンションを保てる程度には(言語系に限らず)人文系の森もさまよい続けたままでいたいなーということも思っている。

まぁ実際にやることはせいぜい本を読んだり程度だと思うけれど、その本にしても、様々な分野での入門書や定番の書の探し方だったりとか、そういう「勉強の道を準備する」ことに関しての経験値が多少なりともあるところからスタートできるのが嬉しい。

強くてニューゲームとはとてもいえないけれど、一周目(笑)よりはうまくやれそうだなって思う。

 

高校生の頃、ぼくが今いる大学で研究している(高校の)OBの方が講演に来たことがあって、その中にあった話でずっと印象に残っているものがある。

その彼もやりたいことが決まらずにこの大学に入ったらしいのだけれど、「『とりあえず○○大』と入るからには、その代わり入学したあと本気でやりたいことを絶対に探そう」と決めていた……という話。

「何をやるかは大学に入ってから考える!!」で逃げ続けてきた、自他ともに認める優柔不断なぼくとしては、その話がずっと心に残っていた。

それで、2年前に大学に入ったあとにわりともごもごともがいていたのだけれど、まぁ正直あまり目に見える部分には現れず、周囲からはお前なにやってんだと言われ、それに対して自分でも大して中身のある答えを返すこともできず、わりと虚しい思いもしていた。

でもまぁ気づいてみれば、2年分に見合うかどうかはさておき、十代の頃に比べればそれなりに考えは深まっていて、学問に対する見通しも多少は立つようになって、時間ができたら順次こういう勉強をしていこうというリストが脳内に貼ってある状態にもなっている。

あとはそう、とりあえずで何かを選んでみる程度の決断力も身につきつつあるかもしれない。

あーなんか、受験期にずっと言い続けていた「大学に入ってから考える!!」が、そろそろ言い訳じゃなかったと言えるようになってきたのかなーと、感慨深かったり。

 

とにもかくにも、この状態で大学一年生としてスタートできたのは幸運なことだから、先のことも忘れずに、今のことも忘れずに、頑張ろうかなということ。

こういう話、適当に誤魔化してあまりきちんと説明することがなかったのだけれど、よくよく考えるともう別に隠す意味もないし、自分としてもきちんと意識しておきたいことだったので、かなり大雑把ながらも書き残してみた。

この間ねぎくんとも話したことだけれど、自分の興味にまつわることを説明できる限界をもう少し先に広げたいので、そういう意味合いでもう少し詳細に書くことがあるかもしれない。

考えそのものはまた少しずつ変わると思うけれど、こんな感じの「あとから見直した自分が少し安心できるように書いておく」ような文章は少しずつ増やしていきたい。

いつか願ったこと、近況報告も兼ねて。

お久しぶりです。

ちらほらと「ブログはよ」みたいなお言葉を(各所から)頂き続けていまして、そうだよねそろそろ何かしら更新しよう……というわけでパソコンに向かっております。

といっても今日のこれは、要約のしようによっちゃあ「最近とても楽しいです」の一文で終わるような内容になってしまうはずなので、あんたの自己満話なんか聞きたかないよって人はここまでで引き返して頂いたほうがよいかと思います。

 

で、本題。ココカラ常体。

「これこれこういうことさえあってくれれば全力で楽しむのだがなぁ」なんてことを思うことがしょっちゅうある。昔からあったと思うし、今年の冬、受験一週間前に書いていたこの記事なんかもまさにそれ。もっともぼく自身としても、その種のセリフは所詮はないものねだりというか、釣り落とした魚というか、隣の芝はなんとやらみたいなそんな戯言でしかないんだろうと考えていた。……いたけれど、どうやらそういう形での「願い」を言葉にして残しておくという作業は、願いが叶うために……じゃないな、「『願いが叶った感』のために」必要なのかもしれないと最近は思う。

 

ところで、このブログはこれ単体で読む人を想定しておらず、ぼく自身の情報を(前提知識として必要なものも含め)あまり書かずに話を進めているのだけれど、念のため今回は書いておく。ぼく、かっこ22歳。高校卒業後に河合塾で一浪し、翌年に某私大に入学、二年間をその大学で過ごすも、この春に某国立大を再受験し、入学して現在に至る。

 

再受験を考えた要因はたくさんあった。けれど、最終的に再受験を「やめるわけにはいかなかった」理由は、情けない話ながら、もともと通っていたほうの大学で取得単位数的に四年卒業ができそうもない状況だったという、その一点が大きい。逆に言えば、それ以外の多くの点ではまだまだ前の大学に思い入れも残っていたのだ。そういうわけで、いくら迷わず中退したとはいえ、「あそこに残っていたらこういうこともできたかもしれないなー」なんてことを考えることも時々あったりする。けれど、そういうことって現実の中でも無理のない形で実現していたりして、それが面白い。

 

たとえばぼくは、前の大学に居続けることになった場合は数学を専攻する予定でいた。あの大学の数学専攻は少人数でとても居心地もよさそうで、みんな楽しみながら本気で数学をやっている空間だった。どこの大学でも数学科の闇というのは定番のネタだけれど、あそこの場合は変な競争もなく、和やかな場所に見えた。セミナー室には数学や物理を専攻する人たちが入り浸り、誤解を恐れずにいうとちょっとした同好会の部室みたいになっていて、あーここで3年4年を過ごしたらそれはそれで楽しいかもなーなんてときどき考えていた。中退してしまったことで、そういう未来が今はもうないわけで、そのときはちょっと淋しくも思ったものだった。……けれど、今もぼくは毎週月曜の夕方にその大学に足を運び、数学の自主ゼミに参加している。じつは、去年の時点で数学専攻の友人と「春から線型代数の自主ゼミをやりたいね」と話していたのを、彼がちゃんと実現してくれたのである。しかもどういうわけか参加希望の一年生や二年生が多く、それなりの規模のセミナーとなっている。そんなこんなで、ぼんやり憧れていたものと「まったく同じ形」ではないものの、あの大学の数学専攻の彼らと一緒に数学ができているし、自分が多少なりともわかっていることを新入生に教えたり、終わったあとにはそれぞれが勉強している内容について3年生と話したり、いろいろぼくの味わいたかったような時間がそこに流れている。

 

また別の話。一度目の大学一年生頃、ぼくは大学内の学生とあまり深い交流がなかった。それなりに友達はできたけれど、あまり深く関わることはなかった。大学から一時間ほどかかる都心の寮に住んでいたこともあって、気軽に大学周辺で人と会ったり誰かの家に行ったり、ということも特にしなかった。二年目はまた少し状況も違ったけれど、ともかく一年目はそんな感じだったので、いわゆる大学生活(もちろん、相当に限られた文化)の話を他大の人がしていたりすると、それが何となく羨ましかった。もっともこれは大学の違いではなく、ぼくがその学校で最初にそういう生活を選ばなかったというだけの話なのだけれど。その代わりに選べた生活もあったので、べつだんそれ自体が失敗というわけでもなく、ただ何となーくそういう大学生活もしたかったなぁ程度に考えていた。……でまぁ、二度目の大学生活がやってきて、多くは書かないけれどわりとその当時に思い描いていたような生活を今している。新しいクラスメイトの家で課題をカリカリやっているときに、そのことにふと気付いて、なんだかちょっと笑えた。

 

もっと小さなことでいうと、こういうのもある。今学期ポーランド語の授業をとってみたところ、受講者は15人くらい、半数以上がロシア語選択者(スラブ語派なので当たり前っちゃ当たり前の傾向か)で、ほとんどの人が様々な外国語に興味を持っている人たちだった。直接の交流は今のところないけれど、何だかんだんでそういうクラスで勉強する機会も得られてなんとなく嬉しい。というのも、ぼくは入学手続きの締切ぎりぎりまで、フランス語クラスとロシア語クラスで迷っていて、最終的にやったことのないフランス語を選んだのだけれど、ロシア語を選ぶような変わった人たち(失礼)の中にも居てみたかったかもなぁという気持ちも多少は残っていたからだ。そういえば、再受験先として阪大の外国語学部あたりも真剣に迷っていたことなんかも思い出す。あっ、フランス語クラスという選択は、それもそれで、正解だった。(詳細はご想像にお任せします)

 

いくらでも書きだせる気がする。そもそもどういうわけか十代の最後の二年間に行きたいと思っていた大学にいま在籍しているし、高校卒業後も普通に会えたらいいなぁと思っていた昔好きだった子は東京にやって来るたびに会えているし、浪人時代に夢みたいに語っていたかこけんとかいうのは何故か同人誌を出しているし、数学を一から勉強し直したいと思っていたらうまいこと学部一年生になったし(?)、休み時間に思想系の本を読んでいたら隣に座ってる女の子が突然「アーレントとか読んだことある?」って訊いてくる事件も起きるし、憧れの文学部に行くこともどうやらできそうだし、拘束時間的に劇団は断念したものの別の形で「演じる」ことを楽しむチャンスができた(映画サークル)し、小規模ながらも本に囲まれた一人暮らしができているし、この辺に住みたいなって話していた場所に結局住んでいるし……いつか願ったことがこんなにも叶ってるのか……。

 

思い返せば、こういうことはもっと以前にもよくあった。たとえば、長くなるので(あとすごくくだらない内容になるので)詳細は書かないけれど、僕にとって19歳の頃の福岡での浪人生活は、14歳以降のぼくが心のどこかで願っていたような生活の具現化だった。不思議なことだけれど、本当にそうだった。今ならそれがわかる。あの一年でぼくは中高の自分を縛っていた呪縛がようやく解けたのだと思う。(そこからまた別の呪縛が最近まで続いていたりもしたけれど…苦笑) ……ちょっと私小説じみてきたので話を戻そう。

 

某占い師のお兄さんが「あなたの実現したいことのほとんどは、あなたの進路を先に進んでいけば実現するかもしれない」という一文をつい先日書いていて (『問題なのは視野が狭いことではなく、自分のなかに文化と文明が立っていないことである』 – ケルクショーズ・イリヤ2) 、まさにそういうことを次々に実感しているときだったので、とても心に響いた。人生は一本道なので――まぁ分かれ道はあるけれど引き返してやり直すことができないという意味で一本の道なので、同時にあれもこれもは選べず、同時並行しえない複数の願いを叶えることはもちろん不可能。なのに、現実的に可能なレベルであれば、ぼんやり願ってたことって案外ちょこちょこ実現したりするもんなのだよね。不思議なものだ。あぁ、そう、そういうことが言いたかったから書いてたのだった。

 

どっかの同人誌の序文に書いた話ではないけれど、目標というのは時として、自分を引っ張り上げるために形式的に用意するだけで終わってしまうことがある。いうなれば猫の前に垂らした猫じゃらしのようなものだろうか。そういうとき、目標はイコール「欲しいもの」ではなく、とりあえず進むための引っ張り役にすぎなかったりする。そういうものは、それを追うことが終わってしまうと、忘れ去られてしまう。(註) いっぽうで願いというのは、言葉にしておけば消えにくいので、あとあと予想外なところで実現していたときにそれに気づくことができる。あぁあのときこういうことがしたかったんだよなって。そこが強いと思う。「約束」とか「記念」とかも似た概念なのかなって、ぼんやり考えているけれど、いまそこまで話を広げる気力がないので、これはいつか書く。あ、うん、つまり、いつか書くことを願う(逃)。

 

願えば叶う、なんてことは思わない。今回これを書きながらもいやというほど思ったけれど、ぼくはただただ幸運なだけなんだろうと思う。それでも、少なくともぼくは自分がかなり幸運だということを自覚できている。それができるのは、かつて願ったことを残しておいたからだと思う。隣の芝は青い、青いからこそ、いつか自分の芝が同じ色になった時に、うおおおすげえええ青い!!って言えるようにしておきたいなというお話。

 

 

(註):~なんて、ネガティブな表現に偏っていますが、もちろん目標には良い面もあるわけで、こうした目印をうまーく作って利用している人はたくさんいることと思います。ここではその面には触れていないだけということにしておいてください。

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