ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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5/48 なつで、なつやすみだった。

(りあじゅーのふぇいすぶっくのような内容がたぶんに含まれます。そのような成分に拒絶反応を示す方は読まないことをお勧めいたします。……言ったからな!)

 

いつもより長めだったはずの帰省も気づけばもう最終日で、半日後には東京に戻っている。

たぶんこの夏のことを記述するなら今しかないだろう(向こうのぼくの感性で語られるものと、ここのぼくの感性で語られるものは決定的に違うだろうから)。

 

どこから話せばいいものか。ぼくはずっと夏の呪縛にかかっていて、たぶん今もかかっていて、夏が大好きで大嫌いだ。中学二年生の夏、『詩のボクシング』(リングに見立てた壇上で3分間詩を朗読しあい、どちらの言葉がより観客の心にとどいたかをジャッジが判定するゲーム)の中学生大会に友達5人で出場した。9月の頭にある大会に向けての試作や思索や練習という名目で毎日のように集まって、それはそれは楽しい夏休みだった。子どもと大人のちょうど中間のような年頃だったぼくらは、子供っぽいことや背伸びしたことを、いろいろやった。とても色々なことをした気がする。本当はそう長くはなかっただろうし、本当は何日間かしか顔を合わせていなかったのかもしれないけれど、たくさんのことを次から次へとやっていたようにぼくの記憶には焼きついていた。女の子もいた5人グループだったし(中学生だとドキドキだよね)、街で外食するだけでもわくわくできるような年頃だったし、あれやこれやが相まって必要以上に美化されているのだろうなと、今ならうすうすわかるけれど、まぁ、十代のぼくはその夏をずっと引きずっていた。端的に言えば、あの14歳の夏以来、ぼくは届かない夏を追い求めるようになったのだと思う。その後数年ももろもろあって、乗り越えたり乗り越え損ねたり、それを書くだけでもたぶん夜が明けてしまうので今回は省略するけれど、心境の変化を経てそれほどにあの夏にこだわらなくもなっていったけれど、夏と聞くだけで胸が一瞬痛むのは今でも変わらない。ふと思い出したので書くと、一躍有名になったアニメ『あの日見た花の名をぼくたちはまだ知らない』なんかは、去年の夏に一年遅れで観て本当に相当ダメージを受けた(大好きだけど、アニメにここまで刺されるとはってくらい刺さった)。

まぁ、ここまでは、いつでも書けた話。ぼくにとって夏ってそういうものだったよなって、さっきふと思い出したので、最初に書いておいた。このひと月は、不思議と今書いたようなことを必要以上に思い返すことはなかったのだけれど、根底にこういうのが流れているのだという前提を、この夏の手記にもなんとなく付しておきたくなった。

 

思い出話ついでに中学高校のこと。ぼくは中高一貫校に6年通っていた。多少なりともぼくと話したことのある人、もしくはぼくのツイイトだったりをずーっと見て下さってる方なんかは、ぼくが中高時代と母校が大好きなのをよく知っているかもしれない。世の中にはもっと暗い十代を送ってきたという人がたくさん居て、だからこんなこと言えるのはとても恵まれたことなのだ、ということも、あとあと嫌というほど思い知らされて、だからこそあまり公の場で語らないようにしていたり、実はそういうごにょごにょもあったりするのだけれど。ともかく、在学中から(いやたぶん在学中のほうがより切実に)学校が大好きで、ここを卒業したらぼくはどうなるんだろう、とそればっかり考えていた。未来を悲観的に見て、そのぶん現在に全力を尽くす、そういう生活をしていた。結果的には、それがプラスに働いたことのほうが多かったとは断言できる。とはいえまぁ、少々やりすぎで、高校を卒業してからかなりその価値観が尾を引いてしまったなぁとは思う。二十歳の一年で、そこらへんのバランスはようやく取れて、成人式のあった冬を持って、上位互換な価値観といえばよいのか、「これまでの自分も大切にしつつ、これまで破綻していた部分も包み込める、より余裕のある価値観」をようやく固め直すことができた気がする。一年半前ごろのブログを遡れば色々書いてあるんじゃないかなと思う(と言ったところで誰も興味はないだろうが)。ぼくは既に「そのあとのぼく」なので、もうそのときの感覚の変化を正確に書くことはできないけれど、「とっくに終わっただと思っていたものが続いていた」「花だと思っていたものがまだ種にすぎなかった」「回収されるはずなのないと思っていた伏線がバンバン回収されていった」「当時のぼくは誰かの意識の中で生きていてくれた」とか、そういう気づきの数々で少しずつ変わっていったように思う。

 

あまり具体的に書けなかったけれど、まぁこれも前口上のようなもので。

 

ようやく、この夏の話。今年は、現役で大学に入った高校の同級生たちが学生でいられる最後の年で、だから何となく「最後の夏」という感覚が強かった。当時の友人と、最後の夏はなんかしたいねって話をずっと前から漠然としていたので、できるだけ長く地元に帰ろうと思って、8月の上旬には東京を出る計画にした。9月までもっとずっと居たかったのだけれど、期末試験第二弾が9月の頭にあるせいで帰らないといけないのでそうもいかず、8月末までの滞在となった。それでもまぁ、かなり長いほう。

 

青春18きっぷでのんびりと6日かけて(電車移動したのは4日)宮崎まで帰って来た。ぜんぶ電車なのは初(福岡まで電車+福岡からバス、は過去2回ある)。名古屋の友達の家で台風をやりすごしたりとかいろいろあったけど、この千キロ移動のことは別のとこで書く気があるので飛ばす。でも、それなりに考えることもあった。帰った日には宮崎のtwitter-erさん何人かと会ったりした。

 

中3、高2、成人式のあった冬、と三度映画もどきを撮った友人と、この夏にそれらの完結編を撮ろう~とかいう話が前からあった。夏までには脚本書くか~とか思っていたものの忙しくてそうもできず、白紙のまま帰ってきて、もう撮らないかなぁと思っていたのだけれど、なんだかんだ変なのを書きあげて、撮り切ってしまった(ぼくが帰ったあとにぼく抜きでできるシーンを撮ってもらっておわり)。

 

何人かの友人が帰省してたり大学やめて地元に戻ってたりするんだけど、ぼくの想定以上にみんな行動力があって、映画も撮る前提で話を進めてきたり、集まりを企画してしばらく会ってないような顔ぶれを集めてみたり、なんやかや。いろんな流れの中で生きてるなぁと思った。眠くなってきて何書いてるかわかんないな。高校の時わりと人を「巻き込む」側だった気がするので、こちらに帰ってきて、こういうふうに引っ張り回してくれる人がたくさんいるのが、不思議な感覚で、嬉しい。

 

高校の先生に頼まれて友達と二人で母校の文化祭のエンディング動画をつくることになり(三度目)、撮影に行ったりとかして、うん、なんか、ね、早く寝たいのでごちゃごちゃと書かないけど、母校の制服を着た女子高生をみるとわりと本当にライフが削られていくよ……。そうやって母校に関わることができるのは嬉しい限りなんだけどね。ただまぁやっぱりそこは内部せいでやったほうが楽しいだろうし、その先生も「そろそろ俺が文化祭に本格的に関わるのも今年が最後にしようと思ってる」と言っていて、まあさすがにそうですよねってなった。その先生と友達と三人で飲みに行って(ごちそうになって)、「お前たちの文化祭を見てあんなふうにしたいって二個下の学年が張り切って、それを見てあんな風にしたいって張り切ってるのが今の高3なんだ」みたいな話をきかされて、多少の美化も入っているにしても、単純に嬉しかった。それはそれとして、母校の見慣れた講堂や教室で、見慣れた制服を着た高校生たちが文化祭準備やステージでの発表をしている映像を編集するのは、なかなかに心をえぐるものがあるね。よりによって曲が『ひまわりの約束』になってしまったのも相まって編集しながら泣きそうだった。

 

あと、中高のときの終わったはずの恋愛を蒸し返したりする時期なんですかねぇ、なんかそういう話も多数きいてにやにやしていた。便乗して原点回帰しようにもぼくが回帰する先には片想い(笑)しかないので、そういう話はあまりないですね~~(書きながら、べつに理由はそれじゃないよなーと思う。いやでも蒸し返すようなイベントは過去数年にあった(ありそうになった)わけなので。今回はそこは穏やかだったということで。めも。)。誰かと再会しても、だいたいくだらない話というか、文字通り単なる近況報告や他人の噂だけで終わってしまうことって多いけど、今回の夏はわりとそういう感じにならなかったなって思う。何がどうとは言えないし、なぜなのかわからないけれど。


雨にも負けず風にも負けず街を駆け回ったり、毎日集まって映画撮ったり、安いうどん屋でみんなで昼ごはん食べたり、夜道をのんびり歩いて帰ったり(ぼくの自転車が実家になかったせいなんだけど)、また明日も明後日も会う前提で別れたり、学校にも何度も行ったり、文化祭準備のあの独特の空気に包まれたり、進まないはずの物語の続きをきいてによによしたり、なんか、昔よくやってたこととか、昔あこがれてたようなこととか、気づいたらたくさんあって、あれ、これってぼくが好きな、「夏休み」ってやつじゃないのって、最終日になって思った。ああそう、8月末に焦って試験勉強しなきゃいけないあたりが夏休みの宿題じみててちょっと笑える(笑えない)。

帰省のたびに、いや東京をはなれるたびに、ああこれ現実逃避だなって思ってて、今回もじっさいその通りだったと思う。正直問題を放置して帰ってきたし。逃避だからこそ、帰りたくないと感じるんだと思う。そして、現実に戻るとこちらの感覚は六割くらい消える。それでまた生きていけるんだろう。だけど淋しいし、かといってここにずっといるわけにもいかないし、ねぇ。今回はでも、いつも以上に、ぼくは東京で何をやってるんだろうって考えてた。友達の就職が次々に決まって、とか、そういうのもあるのかもしれない。けどそれ以前に、高校のときのぼくはこんな感じで、こんな感じであることが幸せだったのに、何で余計な基準をつくって自分の求めてない(かもしれない)ハードさを人生に設定してるんだろうな、って思ってしまったのだ。去年までの状況が状況だっただけに、選択じたいはそれほど間違ってなかった気がするけれど、でも辿り着いた先がこれか。向こうに戻ったぼくは何を大事にして生きていくんだろうか。また彼(ぼく)の望んだような学生の姿になるべく努力するんだろうか。わからない。端的に言ってしまえば、そんなものが大切だとは、今のぼくには思えない。たぶん、大切なんだろう。彼(ぼく)が必死で、その価値観を見失わないようにして、自分の立つ場所を確保したのだから。それで壊せたブロックも無数にあったのだろうから。だけど、今のぼくはそれが大切に思えない。東京に戻って会いたい人はいるから、ほとんどそれのために帰るような気分でしかない。試験?なんだっけ、それ……

 

いっぽうで、人間関係については、わりと中立的に捉えられるようになった。人間関係に優劣を書けるのは何の意味もないと思う。中高の友人をほかの友人が超えられない、という表現をよくする友達がいて(そういってもらえるのは大変うれしいのだけれど、)やっぱりそれはおかしいと思う。中高の友人はぼくだって大好きだけれど、それをほかが超えられないというのはおかしい。その「表現が」おかしいという意味で。ぼくは、それ以降にも本当に素敵な人たちに会えたとはっきり言える。ただ、「中高のときのぼくの状態を保ちつつ、中高のときのようなコミュニケーションを求めるなら、中高の友人でないと難しい」というだけだ。それは、中高の部分をほかの単語に置き換えればやはり成り立つし、順序で語るものではないと思う。いつが楽しい、あの頃がよかった、という議論もまた同様なんだろうな。こういうこと言うようになったのは、大きな変化だけど、火は必死に守らなくても簡単には消えないってことに気付けたからで、そうでなければいまでもまだ必死に小さな火を守ることだけを人生の目的みたいにしたちょっと怖い人生を送ってたかもしれない。

 

さすがにそろそろ寝ないとなので後半が思考垂れ流しみたいになってしまった、明日以降なにか思い出したら別の記事で書く。いやあこんなに笑顔でいられる夏はいつぶりなんだろうね。ほんとうに中学生か高校生のような、明るく忙しい夏だった。いろんなエネルギーをもらって、反面いろんなエネルギーを削られて(主に高校生に)、明るい気持ちになる反面、ああぼくはもう東京でやっていけないんじゃないかって同時に考えたりもしてた、そんな夏。いや、ごちゃごちゃ書くのは良くないね。楽しかった。それだけ。

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ループすることもなく

ぼくが実家に帰っている間も、時間は進んでいて、それぞれの場所にいる人はそれぞれの場所で今まで過ごしている文化に従って生きている、ということがなんだかとても不思議だ。自分のいた場所、つまりはまた来月になれば戻るはずの場所を相対化してばかりいる。相対化しただけでは単なる安全圏からの物言いにすぎず、そんなことはわかっているのだけど、やっぱり、少し冷めた目で見てしまう。この数年、「ぼくはこれが大切だったのだ」と自分を納得させるための幻想をいくつか用意したが、考えてみれば十代の頃のぼくはそんなものなくても楽しんでいたのだし、それがいま全てにおいて再現不可能なものかといえば(かつてのぼくは再現不可能だと思っていたからこそ諦めていたが)そんなことはなくて、じゃあぼくが必死に組み立てているものはいったいなんなのだろうかと、考えてしまう。手を止めると、考えてしまう、ということか。ここ数年のぼくの選択は「とりあえずその場ではそれが一番マシだった」といえるもので、とくに間違ってなかっただろうと一応ぼくは言ってきたし、その点については今でもそうだったと思うけれど、じっさいのところ今ぼくはどうして向こうであんな生活をしているのだろうか、とついつい考えてしまう。ほかにどうすればよかったのかと言われればとくに代替案があるわけでもないし、どうせ向こうに戻れば向こうのぼくがそこそこにうまいことやってくれるのだろう。ああ、もっとずっと夏に続いていてほしい。

「懐かしいね」の切なさを踏み越えて

共感だとか感情の共有だとかについてはよく思考の俎上にのぼる。

ぼくたちはどれほど同じ経験をしたところで、寸分たがわず同じ感情なんてものを持つことはない。それはもちろん、ぼくたち一人一人の性格の違い、立場の違い、経験の違い、そのときの気分の違いによるもの。しかし、ときどきぼくたちは「私のあのときの気持ちと、君のあのときの気持ち」を同一視することで何かの安心感を得ようとすることがある。これはあまりにも無自覚だと暴力的になってしまうけれど、適度な範囲であれば悪くないやりかただと思う。というかこれを禁ずると、離散位相よろしくあらゆる感情がどれひとつとしてお互いに近づくことのないものとなってしまうだろう。そんな世界では感情に感情という名前をつけることすらナンセンスだろう。だからこそぼくたちには、何かを捨象することによる同一視というものが必要になる。

これはもちろん何にでもあてはまることなのだけれど、初めの文脈に即して例を出すならば、「懐かしいね」という言葉がまさにそうだろう。昔の話をして、昔の曲を聴いて、昔の写真を見て、「懐かしいね」と言うときに、間違いなく私とあなたは別の風景、別の匂い、別の感覚を思い出している。けれど、そんなことを言い出すとキリがないし、そんなことは心の奥ではわかっている。だけど、それでも、(私もあなたも)懐かしいね、なのである。

懐かしいね、と言われたとき、ぼくはとても切なくなる。ぼくの思い出しているこの肌感覚や、頭の中のざわざわした感じを、目の前の旧友にそのまま渡せたらどんなに素敵だろうかと考える。あるいは、相手も全く同じそれを感じているのならどんなに救われるだろう、と切に思う。けれど、そんなことはありえない。だからぼくも笑って、懐かしいね、と返す。心がめちゃめちゃ痛むけれど、でも、そんなことが言い合えることだって、とても奇跡的なことで、だから同時にとても幸福感も感じる。

同じものを懐かしいねと言える、そんなものをシェアしていた、それって素晴らしいじゃないか……なんて思えるくらいの強さ、あるいは鈍感さはさすがに身についてきたように思う。「人は他人と分かり合えない?それはたぶん、君が分かり合うという言葉の意味を間違えてるんだ」なんて、自分に言い聞かせている。

記号的な「思い出づくり」は、画一的な意味付けをすることで同一の記憶を持ちやすくしようという意図ゆえに、現実には決してそうできないことの淋しさを際立たせるのかもしれない。これを、全国のお茶の間に流されるアニメやドラマに例えるならば、対称的なのは演劇かなって思う。これはどこかに書いた気もするけれど。演劇は完成された作品を展示したり上映したりするのではなく、そこで今まさに起こることを観客も一緒に体験する。だから、ぼくの体験と、ぼくの隣にいた人の体験は「ちがう」ということが、理解しやすい。理解しやすいから、「ちがう」をきちんと踏み台にした上での、「一緒に同じ空間でこれを体験した」という、共通体験の部分へのポジティブな気持ちが持てる、気がする。これが映画だと、同じ(何らかの見せ方を意図して作られた)完成品を見ているという意識が先行するせいで、鑑賞後の意見の食い違いによってカップルはすぐ喧嘩する(という都市伝説がある、本当に映画の内容で喧嘩しているカップルは見たことない)。

現実の「誰かと体験を共有する」ということも、一回きりであると理解しやすい体験から始めて慣れていくのがよいのかもしれないなぁと少し思った。ちがうということを認められないと、ちがうことがつらい。十分にわかってても、ときどきつらくなるくらいだから。だれもぼくのことわかってくれないんじゃないかと。いや、わかってくれないんだけどね。わかってくれないのはひどく哀しいことなんだと勘違いしそうになるときがある。そのくらいつらいから、最初に認めておこう。踏み台に使うのだ。君とぼくの見てる世界は別物で、別物だからこそ、何かが同じかもしれないとみなせたときに、喜べる。

昔のことを誰かと話すときの気持ちのすれ違いに、昔はもっと苛立ちややるせなさを感じていた。それがだんだん薄れてきているのに気づいて、何でかなって思って、これまで考えてきたことも含めて書いてみた。(もちろん、中高の地元にいるから、こんなことを考えた)

その断念の先が私の望んだ未来なのか

体調は回復に向かいつつはあるけれど全快はせず。寝て明日の朝に治ってるといいなぁ。

編集と執筆をしている共同ブログで 断念してきたこと のテーマで前々から書きたいことがあったのだけれど、今日ある人たちとある話をして、これからもそれを断念しつづけるのか、自問しなければならない状況が生まれた。いや勝手に生んでるだけですけどね。うまく言葉にまとまらないのは最近では久しぶりだけど、中高の地元で誰かに会うとわりとこういう感じになる。自分の備忘録として抽象的にでも書き留めておく。

色々なことを継続することによって生まれる達成感や喜び、それをぼくは人並みには知っているつもりだった。そして、十代のぼくはそれを礼賛して、それを求めて、周りの人をそこに引き込もうとさえしていた。けれど、なんだか、疲れてしまった。なんなのだろう。疲れたというのも無理やりあてはめた言葉であって、疲れたしやりたくないーというのとも本心はたぶん違うのだ。疲れたなんてセリフには、それは違うぞとコトダマをぶつけたいところなのだけれど、しかしそのための根拠は見つからない。これが大人になることだと言ったら、きっと熱意あふれる真の大人たちから怒られてしまうのだろう。けれど、少なくともぼくにとって、子ども時代の終わりと並行して、「何かに自分の時間を捧げて打ち込むという姿勢」への躊躇、あるいは怯みがどんどんと膨れあがっているのだ。高校を卒業してすぐは、これについて「子供時代のように、自分を見てくれる人がいない(※後見という考えも関連するかもしれない)」からだ、と暫定したけれど、どうも問題はそこだけではないようにも思える。わからない。

中高生のころは、自分で言うのも何だけれど、平均的な中高生よりも多くのことをやっていたと思うし、うまくいったかどうかはさておき(少なくとも充実はしていたのでうまくいっていると言っても差し支えなさそうだが)うまくいくことを目指してやろうという心があった。今は、自分より何もしてない人を探すほうが難しいかもしれない。どこで誰と話しても、その人の世界というものが伝わってくる。その人の生きている時間というものが見えてくる。ぼくも決して何もしていないわけではないけれど、ほかの人が今のぼくと話しても、たぶん、そういうものは見えてこないだろうなと思う。

乗り越えたい気もするし、もうそんなこと忘れて平穏にぐだぐだ生きたい気もする。どうするのだろう。どうなるのだろう。十代半ばの自分に見られたら、鼻で笑われそうだ。

深く考えるのはもう少し先にしておこうと思う。物語は、いつも予想外に展開する。

ばたり

半ば予想していた感じもあったけれど、体調を崩した。暑さにやられたのか夏風邪なのか。別に急ぎの用事があるわけではないし、ゆっくりしたかったのだから、まぁ、余計なことは考えないほうがよいかもしれない。線型代数の期末試験の去年の過去問を解いた以外ほとんど何もしていない気がする。体がだるくて昼寝を繰り返していたというのもあるけど、何もしないうちに一日が終わった。天国へのカウントダウンを放送していたのでぼーっと見て、ダーウィンが来たのアリ特集をぼーっと見て、何もしなくても夜ってすぐ来るんだなぁと思った。仲間内でちょっとした映像作品をつくるチャンスがまだ残っているのだけれど、以前に湧いていた創作意欲がどんなものだったのかを思い出せない。やる気がないのとは違う。しかし、何をするにも意味を考え出してしまう。意味なんて考える前に、あれやこれや作っていたのになぁ。あの日も、あの年も、あの夏も。

寝つけないので書きたいことを書き殴る

もう何年も言い続けていることで、いい加減なんとかしろよと思うのだけれど、頭を流れゆく思考を残すことが下手だ。下手というか、気にするくせに真剣になっていない。いろんなことを考えるのに、そういうときに限ってメモもとらないし、ブログなどにまとめることもしない。中学から高校前半にかけての紙の日記全盛期のぼくを見習いたい。これも数年言っている。あの期間がぼくの原点となっているのも、ぼくが原点に"した"からなのだろう(つまり日記という現実に確実に存在するものを踏み台に使うことで)。

日記は良いことづくめなのだけれど、それに対比して、何のために公の場で書くのか、ということを最近またときどき考える。以前にも似たようなことを考えることはあったけれど、今回のこれはわりとネガティブな意味で。それ、みんなの見てる前で書くことなの?って自問が始まると、よくわからなくなる。かこけんについて某氏とお話ししたからかもしれないし、自分を無理やり落ち着かせるために恋愛についてドライなことをTwitterで呟きまくってたら体調崩しかけるまで止まらなかった一件のせいかもしれないし、もっと違った要因かもしれない。ずっと前に出していた暫定解は「未来の自分を含めた他人の踏み台にするために公の場に出している」だけれど、よくよく考えるとこれは言い訳というか、「こういうプラス面もあるからこの文章をここに置いとくことを許してくださいね!」的な取引材料に過ぎないのではないかと思えてくる。もちろん内的動機は明らかで、書きたいから(考えをまとめる快感と、自己顕示欲と、被承認欲)なのだけれど、それが他人に何かしらの悪影響を及ぼしうるとき、それを補う建前はそんなのでいいのか、と考えてしまう。嫌なら読むなみたいな言い草は、第三者が言うのは良いけれど、自ら言うのはどうも座りが悪い。これについては答えは宙ぶらりんである。


さて、南九州の某県にある実家に帰ってきている。実家といってもまた実家が引っ越していたので見知らぬ部屋なのだけど。しかし紛れもなく家だった。ぼくにとって家は「どこにあるどんな家か」ではなく「誰がそこにいるか」に規定されているのだなと再確認した。

ここ数日でいろんな人に会って、いろんな話をした。こういうことが一時に重なるという状況も、なんだか慣れてきていることに気づく。端的にいうなら、学期中は大学メインで長期休みになると立て続けに多様な関係の相手と会う、というような。

年に一度会うか会わないか、というような緩やかなスパンの人間関係にも慣れてきた。次に会うのが数年後かもしれなくても、まるで明日学校で会うかのように別れるようになった。そういったことを、それほど淋しいことだと思わなくなった。有限性とかいう幻想の過度な束縛を、少しは脱せたのかもしれない。過去のぼくは、そういう終わりが何よりもつらかった。

中学高校(一貫校だった)が特殊だったのだろう。六年間は確かに有限だ。その後の人生と比較しても、「うん、限りあるね」とわかってしまうような、意味ありげなギリギリの有限ぐあいだった。しかしまぁ、その特殊性はあの頃のぼくには概ね良い方向にはたらいたと思う。有限性をバネにして、今のぼくからは想像もできないようなたくさんのことをやってのけた。副作用として「当時の高校卒業後についての価値観」が高校卒業後も現実に尾を引き、目を覚ますのに二年以上を要したということはあったけれど、だいたいカタがついた現時点から見てみれば、それも安い代償だったと思う。大惨事にならなかったのは、やはり19歳の予備校時代の一年のおかげなのだろうか。総じて、ここまで良い十年間だった(と半年後に言いたい)。

そんなわけで最後の夏休み。ぼくは大学一年生なうだからホントは最後でも何でもないけれど、中高の同期がほぼみんな学生でいられる最後の夏休みだから、やはり最後という気がしてしまう。予定はそれなりにいろいろある。けどまぁ、メタ的なことを言うのはここが過去になってからでいいかな。
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