ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

6/48 みんなにとっては、ただの秋の始まりかもしれない。

多くの大学で後期が始まっているようだ。自分の大学でも前期の成績がようやく発表され、いよいよ後期が始まるんだなぁという心持となった。10月になったこと、これはどんな意味があるだろうか。周りの大学一年生にとっては1年目の半分、年度の真ん中、その程度の節目でしかないのだろう。しかし、ぼくにとってこの地点は違った意味を持っている。ぼくは高校を卒業してから3年半が経った。そして、大学を卒業するのは(問題が起きなければ)3年半後である。つまり、今この時点が ― 「早くも」なのか、「ようやくやっと」なのか ― ぼくのモラトリアムの折り返し地点なのである。考えなければいけない、ここからは間違いなくこれまでの時間を活かした過ごし方をするべきなのだから。

 

まぁ、そんな節目だからと言って特別なことをやるわけでもなく、今日はのんびり「ぼくが愛情を注いでいることは何だろう」ということについて考えてみたい。この問いは、ぼくと平均的な22歳男子とのちがいはなんだろうか、という問いとほぼ同義だ。

 

たとえば生活を空から眺めて思索して、他人と延々話すことかもしれない。なんのことはない、人生論というか、愚痴というか、世間話みたいなものである。「こうこうこういうことがあるんだ」「それって見方を変えればこうなんだよね」「あ、それオレもある」「こういう風にまとめられないかな」「それって前話してたアレと通じる話じゃね?」「あ、そうか、じゃあこういう理屈の方がより辻褄が合うかな」「だから乗り越える第一歩としてはまずこうだよねー」「まぁそれが難しいんだよなー」「だよねーはぁー」「そんな話をしているうちにも明日もやってくる」「仕方ない、生きるか」みたいな話が大好きだ。これは外せない。禁断症状が来る。事実の羅列に終始しないこと(共通知識を消費して終わりではない)、極端に学問的でないということ(その二人の納得を必要とする以外に方法論の縛りがない)、そして殺伐としていないということ(その会話がその会話の外で評価されることはない)、などなどいくつか条件がつくようだ。多分もっともっと条件はあるはずで、今後生活しながら意識して探してみようと思う。

 

編むということの本質について考えたいといっている友達がいて、ぜひ思索が深まったら聞いてみたいのだけれど、ぼくは「編まれたもの」にも愛情を注いでいる。構造といってもいいけれど、ちょっと格好良すぎるし、思想的な意味合いを帯びてしまうので、「編まれたもの」ぐらいがちょうどいい。糸や結び目も大事だけれど、素敵なのは編まれ方である。どの糸がどの糸とどう絡まって、どう次の糸を支えているのか、それが美しい。すぐ出てくる例は数学である。数学世界に現れるひとつひとつは現実世界に(きれいに対応していることにはすぐ気付くとはいえ)直接は関与しないものかもしれない。しかし、それらの組み上がり方、編まれ方は、それ自体が感動できるものだと思う(もっとも、そもそも構造についての学問が数学だと言う人もいるだろう)。続いて、歴史。人類が数千年をかけて編みこんだもの。さらに、言語。あるいは知識の体系そのもの。記号論や情報学は以前から興味があった(というのはあとから振り返って授業の履修や読書の軌跡のようなものを辿ってわかることだが)けれど、最近もまた少しはまっていて、体系や意味ということについて考えることが多い。あとで読み返して、この時期はこんなことを考えていたのだなと思いたくて書いているだけなので、具体的に何を考えているか知りたい人は直接会ったときにでも聞いてほしい。あまり深いことを考えているわけではないけれど。自分の人生も、編まれたものだ。もっと視覚的には、折り紙やあやとりは好きだし、単純なボードゲームに対する愛着も、案外似たところにあるのかもしれない。ちなみにブロックスというゲームが大好きなので、持ってる人誘ってください。

 

派生して、頭を使った巧妙な嘘。これも編まれたもので分析可能じゃないかと思うのだけれど、まだきれいな理屈が舞い降りてこない。まぁ、気長に待とう。たとえば推理小説。たとえば奇術。たとえば人狼ゲーム。(これ繋がりで言うと、ブラフというボードゲームいつかやってみたいので、持ってる人が居たら誘ってください)

 

編まれたものというと、立体や面、少なくとも線だけを愛しているように思えるけれど、あんがい点そのものも愛おしんでいたりする。つまりは、それ自体では何の意味もない知識や雑学といったものたちである。どうでもいいことを暗記したり、クイズが好きなのはそういうことだろう。といっても本気で覚える気がないので、47都道府県の県庁所在地を全部言うことすら危ういのだけれど。

 

あとなんだろうな。ラーメンとか。本と書店と図書館と。知らない街に行くこと。親しくなった人と何かを創ること、表現すること。そんなところだろうか。ちょっとした自己紹介みたいになった気もする。またもう少しちゃんと書ける日が来るといいな。

 


この一ヶ月は本当に何もせずに過ごした。いや、決まった予定がなかったという意味で、たぶんそれなりに何かやっていたのだろう。本当に、本当に微力であるのだけれど、友だちの活動を手助けすることができたようで、良かったと思っている。ぼくが「ヒマ」でなければできなかったのだとすれば、そのためにヒマだったってことでいいやってぐらいの気分にはなってる。まぁ、楽しかったしね。あとまぁ、ちびちびとは勉強もした。前回の記事ではあえてネガティブに書いたけれど、あれはぼくが学問を馬鹿にしているわけでもなければ勉強が嫌いだと言いたかったわけでもない。ただただ、ぼくのやりたいことは「大学生」ではなかったのだとつくづく感じたという、ただそれだけのことである。それから、部屋にこもってたので自炊することが増えて、料理に関してはいくつかの小さなメンタルブロックを壊せた気がする。今後の目標は、まぁ少し前に書いた通り。せめてひどいことにならないようにしたい。せっかく、一緒にいて楽しい人もちらほらいるのだし、じっくり暖めていきたい趣味もあるし、読みたい本もたくさんあるし、こんなところで倒れるわけにはいかない。

 

(10月1日に設定して投稿しているが、本当は日付が変わって友人との通話を終えたあとにぺちぺち書いた記事である)

スポンサーサイト
最新記事
最新コメント
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カレンダー
09 | 2014/10 | 11
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。