ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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そもそも自分のことで精一杯では……というつっこみはとりあえずおいておくとして

広い意味での「革命」を起こそうと、穏やかに言えば「社会を変え」ようとしようとしている人がこの国にも無視できないレベルで存在する。どういうわけか、そういう人たちというのは、思想の根底のレベルではとても共感できることが多い。ただ、ぼくは自分の力で社会を変えたいと思うことがほとんどない。そうしたことにエネルギーを使う人生を考えられないんだ。思想も理想もシンパシィを感じることは多いけれど。影ながら応援はしたいし、元気も出てくるけれど、そこまでだ。そういうわけでぼくは最終的にエゴイストだし、世俗的だなと思う。そんなこと言ったって、お前の人生にも直接関わることなんだぞと怒られるかもしれない。ごめんね。少なくとも今のぼくは暫定的に今ある枠組みで妥協できるみたいだ。

 

そりゃ、ぼくの中にも、硬いものから柔らかいものまで、もろもろの理想はある。一時期はベーシックインカムの思想に傾倒していた時期もあったけど、今は少し極端すぎたなと見直してたり、まぁ細かいことは書く気はないけど、今よりも理想の経済のあり方というのはたぶんあるだろうと夢想することはある。でもそれは夢想の域を出ない。そういえば十代の終わりごろは、「早く経済学もかじって説得力のあることを言えるようになろう」とか考えていたりもしたな。けっきょく、経済学からは未だに逃げ続けているわけだけれど。そもそも、経済の話なのかということもあるけど。そうだったとして、それで社会を変革するために人生を使うような気がぼくにはない。

 

そういえばさっき本屋で『やさしさをまとった殲滅の時代』とかいうゼロ年代論の本を立ち読みした。全体としては賛否あるのだろうけど、個々のトピックの分析は思ってたよりじっさいの感覚に合っていて笑った。なんで突然その話をしたかといえば、その中で「若者はブラック企業という言葉を、犯罪だから悪だという意味合いで使うのではなく、自分が働くのがつらいのが困るというところだけを問題にして使っている」というような話がでてきて(うろ覚え)、なるほど的確だなって思ったのだ。ぼくはけっきょく、自分が生きやすいかどうか、しか気にしていない。それはぼくに特有のことなのかと思っていたけど、時代の空気でもあるらしい(まぁでもわりとぼくは極端なほうだとは思う)。

 

五年前の口蹄疫のとき、社会に対する自分の無力感を知った。いや無力感どころか、自分が大衆であることから簡単には逃れられないということを知った。それから進歩はしていない。それに気づいていない人を見て悲しい目をするだけしかしていない。そして本当はそれがいちばん虚しいことなのだと知ってもいる。行動しない人間に、何も言う資格はない。しかし、何が正しいというのだろうか。

 

口蹄疫より少し前だったか、某法案が通過しそうになったときにも、ずいぶんと色んな意見を探しては自分の納得の行く理屈を練ったりもした。あれから数年経って、忘れたころにあの法案は形を変えて成立した。ネット上を飛び交う議論に、なにひとつ目新しい意見はなかった。ぼくが高校時代に見聞きしたのと全く同じ論理の羅列だった。そう簡単には人は変わらないのだ。だから……と諦める姿勢はよくないのだろうけど、「それでも」という言葉をそこに使うほどの余裕が、今のぼくにはない。

 

 

今日はらららぎさんからお借りした本を何冊か読み終えた。同時並行で読んでいると、こうしてたまに同時に読み切る日があったりして楽しい。一定のところまで読む本は大量にあるけど、読み切る本って月に数冊程度なので、こういう日は嬉しい。どれもおもしろかった。とくに西垣通さんの『こころの情報学』は前読みかけて気になっていた本で、最後までおもしろかった。ここ数ヶ月、興味の方向が認知科学だとかそういう方向に寄っている気がする。

 

昼間に本を読みすぎると(あるいは勉強しすぎると)、夜になって頭の回転が突然ストップした感じになるときがある。いや、昼にエネルギーを使って夜に疲れるのは健全なので、そのまま活動を休止するのが良いのか。そんな感じで夜はあまり快適な気分ではなく、寝るには早いしとりあえずたまにはアニメでも見ようと思って、友だちに勧められてちまちま見ている『四月は君の嘘』の6話を見た。どうもこのアニメ、1話分見るだけで心にダメージがあって何話も連続で観られない。まぁ、止まらなくなっても困るからこれくらいがいいと思う。オープニングいいよね。なんでこんなに懐かしい感じがしてしまうんだろう。

 

アニメと言えば、昔は次回が待ち遠しくて一週間待ってられないみたいなのよくあったけど、最近もうそういうのないなぁ。むしろもっとゆっくり進んでくれーとさえ言うかも。「アニメ化決定!」とか見ると「待って! 2年ぐらい待って!」とか思ったり。時間の感覚が全然ちがう。雰囲気で書くとたとえば、数学の2,3の定理の証明を追って、好きなブログを巡回して、ロシア語だかフランス語だかの文章がちょびっとだけ読めるようになって、本屋を散歩して、哲学の入門書でも読んで、思い出したかのようにまじっく快斗のアニメを観て、文フリの戦利品めくってみて、友だちに突然呼び出されてお話して、また帰って言語学の本でも開いて……とかやってて気づいたら3日くらいのつもりが3週間くらい経ってたみたいな感覚。がよくある。だから半年くらい会ってない人がいても会ってないという感覚すら抜けて落ちてたりするんだよね。(森博嗣のXシリーズも気付かないうちに2冊出ててびっくりしたし、米澤穂信の古典部シリーズの5作目が(5年前に!)出ていたことも今日知って「あ、あれ…そんなに長らく意識してなかったのか……」と気が遠くなりそうだった。) 時間の流れこわいね。おわり(着地点を見失った)。

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10/48 おそくなったけど1月のことなど

(手違いで消してしまった。最新版じゃないかもだけど残ってたデータで再公開)

 

自由時間の長さのわりにtwitterの呟きが激減した。なんで?とたまに聞かれるけど、なんでなのか自分でもよくわからない。減らそうと思った動機はいくつかあるけど、どんだけ動機があっても減らなかったことは幾度もあるので。色々とあるから簡素な記事が続くかもしれないけど、まぁぼちぼちブログは書こうと思う。

 

早くも年明けからひとつきが経過し、2月になった。この5年のうち3年はこの時期が受験期まっただなかだったこともあり、変な言い方になるけど、ぼくらしい冬の過ごし方というものがよくわからない。1月で、2月で……といっても、なんだかイメージがつかない。そこらへん、春や夏とはやはりちがうなぁと思う。年明けてから何か変わったことと言えば、九州の地元に住んでいた中学時代から仲のよかった女の子が、関東に引っ越してきた。夢を追いかけてといえば少々情緒的すぎるし、かといって具体的に書いてしまえば現実的すぎるんだろうけども、ともかくやりたいことがあってこちらに住む運びとなって(以前からそのためのお金を貯めていたけれど諸々の目処が立ったらしい)、今はそれの見習いという形で順調なスタートを切っているようだ。仕事のアテもあるようで、3月から働き始めるらしい。他人と比べてどうこうはしないと言いつつも、こういうのを見ているとなんとも自分はどうやって生きていくんだろうかとか嫌でも考えてしまう(考えることじたいは悪くないんだけどさ)。

 

その他

・大学1年(の講義)が終わった。思うところ色々あるけど、書くとすれば今度まとめて書く。

・だらだら具合は去年から変わらないけど、人とは会っている(人と会うくらいの余裕はある)からひどいことにはなっていない。

・少し前よりも、ずいぶんと自分の問題点を自覚できるようになったように思うけど、ちっとも行動が伴わない。(最近自覚した問題というのは、細かく書けるメンタルがまだないから雑に書けば、他人のこと本気で考えてないよねってことで、こう書くと身も蓋もないけれど、じっさい身も蓋もない話なのでどうしようもない。)

 

1年前、未来を未来的に捉えて旅をするみたいなことをその年の(つまり去年の)抱負として書いたような記憶があるけど、ぼくは実際この1年、少しは未来と出会ってきたのだろうか。自分が予想していなかったような変化が、自覚できるレベルで何かあっただろうか。すぐには思いつかないあたり、やはりいつもと変わらず、自分のできることの中だけで動いていたかもしれない。 20年ちょっとしか生きていない人間のできることなんて、本当に狭い世界なんだ。いろんな言葉を使っていろんな人と話したが、多くの話が突き詰めるとそこに行き着く。できることは閉じている。できないことだけが未来側にある。未来側には、できないことへの可能性がある。

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