ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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四月は君の嘘だとしたら、五月は誰の嘘だろう。

暑い。暑い。そうか、もう六月だもんな…と思いながら、三月から ― ここへ通うようになってからしょっちゅう着ていたジャケットを脱いだ。たまにしか家に帰らないから、季節の移り変わりのスピードについていけなかったけれど、そうか、もう夏なんだ。

そんなわけで(?)今月は一度もブログを更新しなかったし、たまに書きかけていた未完成文章をおいておく。おいて、六月へ行く。


5/10(日)

採光がないことがここまで人間を孤独にするのか。日の光というのはぼくたちを強制的に自然に引き戻す乱暴さを持っていて、ときに鬱陶しくさえあるけれど、それを完全に取り払った人工的な空間は、やはり恐ろしい。自分の色が空間をすべて染めてしまうような恐ろしい自由。逃走したくなる自由。

(31日の追記)ほんとうにまったく、地下というのはじわじわと人を蝕むときがある。あと、朝日が入らないから、気持ちよく起きられない。普通に起きるけど、ただ起きるだけ。


5/19(火)

家移り ― 何度目だろう、何度目になるのだろう。具体的に記憶として呼び起こせるものだけでも片手では足りないし、物心つく前のそれも含めれば両手でも足りない。この二十三年間、ぼくは何度も何度も住む場所を移してきたけれど、また、引越しだ。

そう離れたところに引っ越すわけでもないけれど、それでもまぁ、この辺ともお別れか…といった感傷的な気分には、やっぱりなる。ちくわはそういう回想が大好きだからね、という注釈も、ぼくが言わずともほかの人たちがつけてくれそうだ。

ぼくの引きこもっていた部屋とか、ぼくの迷っていた道とか、まぁべつに、そんなものはここじゃなくたって、どこかにはあったはずで、でもどういうわけか、しばらくのあいだそれがここだった。やっぱり思い入れがなくはない。ここを離れるんだ……と、そんなふうにわざわざ言葉にしてみたくもなる。

そうはいっても(さっきから二転三転している)今回は、ぼくのこの家での、この街での日常は、もうとっくに終わっている。片付けきっているとは口が裂けても言えないけれど、糸が切れて、切れたまま時が流れ、遠くに消えてしまっている。突然カットアウトして、時間をかけてフェードアウトした。ぼくの日常はもうここにはない ― 文字通りの意味でも、精神的にも。だから、じつはあまり現実感がない。(かといって「いまの日常」の舞台の地へ引っ越すわけでもないのが、またちょっと、きれいにまとめづらいところなんだけど、わらい)。

(31日の追記)先週に退去の立会いもして、無事前の家を引き払った。そういえばけっきょくここの定食屋行かなかったな…とか思いながら商店街を歩いた。その通りではおそらくいちばんお世話になった店であろう小さな本屋に入ろうとしたら、その日のその時間には閉まっていた。ぼくらしい。


5/20(水)

本当に全く、いろんなことが推移する。住む場所もほとんど年替わりと言っていいし、登場人物にしたって、キャラクターわんさかどっさりわっしわっし系のラノベよろしく、ガラリと推移する。環境と言ってしまえばそれまでなのか。実家暮らしだった18歳まではいいとして、つねに重石を背負いつつどことなく人目を気にしながらも年相応に彼ら彼女らとあの街ではしゃいでいた19歳、東京の真ん中で再び集った親友たちと同じ屋根の下で暮らしていた20歳、某ふぁらに振り回されつつ初めて未来について考えを巡らせた21歳、本当に半年限りだったとは思えないくらいぼくの日常に馴染んでいた友だちと過ごせた22歳前半、ひたすら引きこもっていた22歳後半……そして説明する気もないけど何もかもが全く異なったところに立っている23歳現在。

某回転寿司教の彼とか、伏線はあったとはいえ唐突すぎる再登場で番外編どころか本編打ち切りからの新シリーズを強引に開始してしまった某店長さんとか、そういう地元(ふわふわした表現だなぁ、地元って)の友だちをべつにすれば、ずっと会える位置にいるひとって、そう多くない。あれほど心に染み込んでいる予備校時代のつきあいにしたって、今でもネットの外でわかりやすく関係が続いているのは横浜の彼くらいのもので……いや、もちろんそんな移り変わりが悪いということではないんだ。何年も会っていなくとも、会えば一瞬で「あの日の続き」になるような友人ばかりだと思う。ただなんだろう、これだけ入れ替わりが激しいと、自分がどこへ行くことになってもそうそう驚かないし、誰がいなくなっても(哀しんだり淋しがったりはひといち倍するだろうけれど)受け入れてしまうのだろうな…なんて予感がある。

(31日の追記)でも、未来がほんとうに不意打ちだとすれば、それさえも覆ることもあるかもね。


5/30(土)

遠い、遠い、いろんなものが遠い。何かに近づくと、どこかが遠ざかる。どこかの世界に近くなれば、いっぽうでリアリティを感じない世界も増えていく。こんなふうにブログに文章に書き連ねる文化じたい、どうもいまのぼくは現実感を感じないというか、やるべきことにはまるかんじがしない。それでもまぁ、形は違えどぼくは昔から何かを言葉に落とし込むことはやってきたわけで、そこまで気持ちさかのぼってぽつぽつ書いておこうかと思う。

(31日の追記)以下に譲る。


5/31(日)

5月31日 ― エヴァリスト・ガロアの命日。Mais je n'ai pas le temps ― 「しかしぼくに時間がない」と書き残し決闘で命を落とした彼が成ることの叶わなかった21歳を全うし、22歳さえも越えて、ぼくはとうとう23歳に……いやいやちくわさん、どうしてきみはいつもそんなにガロアの話をするんだ、それほどガロアの業績だったり人生だったりに興味津々というわけでもないでしょう。うーむ。まぁ、そうなんだけどね。そうなんだけど、なんでだっけ、まぁいいや。

そんなこんなで23歳になって早くも6分の1年くらい過ぎてしまったわけだけど、ぼくはなにをやってるんだろう? なんて問いをとりあえず書いてみるも、そんな問いを投げてばかりいたころとはずいぶんと枠組みが変わってしまったことに気づく。そんな問いを誰かと根をつめて考えよう、みたいな ― それこそおとししみたいな ― ノリを、ぼくはいま別に求めてないじゃないか。たぶんそうできたらそれはそれですごく楽しいことをぼくは知っているけれど、いまのぼくがずいぶんとそういう世界から外れてしまった。30日の手記にもあるように、こうやってブログを書いていることにも違和感があるのだ。違和感はあるけど、言葉は出てくる、手は動く。

人と話したいけれど、人と話せるコトなんかないじゃないか、とも思う。考えようとしても頭が回らない、とかじゃなくて、頭を回さない、というか。たぶん一年前のいまごろ、五月、六月、七月あたりがいちばん、面白い…とは言えないまでも適度な緊張感を保った会話を人とできていたんじゃないかなって思う。最近はなんか、普通の世間話って感じだ。まぁ、べつにいいんだけど。

一般的に言っても、あっちこっちの世界をいったりきたりするのは疲れるものだ。頭の切り替えが、前提の切り替えが、枠組みの切り替えが、道具の切り替えが、世界観の切り替えが、言語の切り替えが、 「すくい方」の切り替えが、めんどうだからだ。それを自然にできるときもあれば、できないときもあるし、しばらくしなくて済むようになれば、じゃあいいじゃんって安穏と暮らしたくもなる。切り替えなくてもひとところで平穏に生きているから、そっとしておいてほしいというのが、いまの状態かもしれない。なんとなくこれが仮初めなそれだということにも気づいているけれど、今はなんていうか、そんなメタ的なことをあまり語りたくない。いいじゃないか、楽しけりゃ ― とまでは言わないまでも。

そう、ざっと言って、おおむね楽しく生きている。ここ数年もそんなふうに言っていたけど、それらとはまたちがう質の楽しさの中を生きている ― あれおかしいな、ちくわさんって「つらいって去年も言ったけど、今はまた別のつらさが」とかなんとか言って、過去を讃えて今を嘆く芸風だったような気がするんだけど、まぁいいか、まぁいい、楽しく生きている。

(堂々と言ったあとこんなことを書くといつもと変わらんやないかーいって感じだと思うけど)ほんとうは微妙にめんどうごとは残っているし、ほんとうはイライラすることもあるし、ほんとうは不安なこともあるんだけど、でも、ぼくが満たされてほしかったいくつかのことが、一時的とはいえ ― この世界に一時的でないものなんてあるのだろうか ― 満たされている。つまり、かなり特殊なことに、現在のぼくが肯定する価値観から見ても、過去のぼくが肯定していた価値観から見ても幸せに生きているということで、(特に二番目の部分において)高校卒業以来では相当にレアだといえる。半分ネタで言っていた「ぼくって大学生向いてないんだよ」がやたら真実味を帯びてくるから怖いね。かっこ苦笑。

ああそういえば、と脈絡がありそうであんまりない話をさせてもらうと、「大学出て、どうするの?」と最近きかれた。「そのうちまた大学生に」って話になったときに、間髪いれずそう返ってきたのだ。「どうするんでしょうね」とぼくは笑い、「どうするかも考えてないのに行くなんて、信じられない」とあの子は笑わなかった。ぼくの頭には「そんなもんだよいまどきの大学生なんて!」という自嘲と、「あのね大学っていうのは学ぶところであって進路につなげるだけの場所じゃあないんだよ!」という正論のふたつが浮かんだけれど、どちらもぼくが使うにはあまりに虚しい逃げ口上だと思った。

そういうわけで、いつにも増して文体がふわふわしているのは、ぼくがふわふわしているからというわけではないと思うけど、ともかくふわふわと何も考えていないうちに三月は四月になり、四月は五月になり、そろそろまた次の月になるらしい。ふわふわしているときにこうやって文章を紡ぐのは何度もいうように変な感じが拭えないけど、ぐらふくんの言うように(ちくわさんの言うように、だったか)書いていて後悔したことはないので ― 翌朝に読み返したとき以外はないので ― 書いておこうと思う。六月も。
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