ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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六月八日に書いたやつ

(追記、某合宿で「ちくわくんがブログ書いてると書きたくなる」と言われたので、ろーかるにあった記事をとつぜん公開した)

ろっくがっつむいかに雨ざーざー降ってきて。
今日はろくがつようか。

人生は楽しい。楽しいことに満ちている。だけどもちろん楽しくないことはたくさん混じっていて、それに対する耐性が弱すぎることが、ぼくの弱みなのだ。楽しくないことは楽しいことに無関係に現れるとも限らない。つまり、生活は楽しいことで溢れていて、溢れたものがお互いに競合して、ぼくはたびたび選択を迫られる。文字通り邪魔ものに思えてしまう。どちらが本物で、どちらが邪魔ものなのか、その決定を強いられる。

何かを見ているときには、その何かを見続けることを邪魔しようとするものはすべて不要なものに見えてしまう。何も見ないと選択なんてできないし、すべてを同時に見ることもできない。選択は常に「何かを見ながら」行われている。

ぼくは自分のいっときの考えがアテにならないことをよく知っている。この数年でよくよく身に染みて知っている。しなくてもいい選択をわざわざ掘り出してきて、いっときの気の迷いで未来が大きく ― 世界線変動率数パーセントレベルで ― 変化してしまうような二択三択のなかで迷いを繰り返してきたからこそ自覚しているけれど、一瞬の感覚なんてほんとうにあてにならない。

某所にも書いたことのほとんどコピペになるけど、「空腹や眠気や体調で変わるし、暑いか寒いかでも変わるし、アルコールが入ってもカフェインが入っても変わるし、やらなきゃいけないことが目の前にあるかどうかでも変わるし、自分なんてそういう意味では信用ならないやつナンバーワン」なんだ。

正直、ブログを書くうえでいちばん気が重いのもそれで、元気なときに書いたことを元気じゃないときに思い出すと、消したくなるどころか消えたくなる。ぼくの場合はそれでもそこそこ一貫性の感じられる「ぼく」の範囲におさまっているけれど、これが極端になると躁鬱とかになるのかな。わからないけど。Twitterはその点、その上下のリズムを音楽的なものとして記録している感じがあるから、よほど変なことを書いてない限りあまりあとから後悔することはないのだけれど、ぼくはまだブログをそういう感じに捉えるには至っていなくて、だからどうしても気が重くなる。固定的な思想なんてひとは紡げないのだっ、ということを常に識っているべきだし、わがままながらぼく周辺のひとにもそういう空気が漂っていてほしいなって勝手に思う。

それはさておき、選択の話だった。ぼくたちというか少なくともぼくは、ちょっとしたそのときの気分で重大なものごとを決定してしまう。それは良いこととは言い難いけれど、先に書いたように不可避なものだ。ほんとうのじぶんというタイミングが客観的に存在しない以上、「選択に最適な精神状態」なんてものは存在しないし(眠い今より明日起きてからのほうが明らかにマシとかそういう比較は多少できるにしても)、やばそうだから選択を先延ばしにするというのは大概それ自体が最悪の選択だったりするし、選択を迷っているその瞬間に「自分が(その選択肢のどれかにつながるような)どこにも属していない」なんてことは稀なケースだからそもそも中立での判断など臨めない。

ハウツー的に対策するとして、運命(それを判断したタイミングがたまたまそのタイミングだったのだという偶然)に身を委ねるか、過ぎし日の自分(こういう価値観であるぼくのほうが、こういう価値観であるぼくより、たぶん多かった)を言い訳に使うか、くらいしか落としどころはないのかもしれない。
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