ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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【ネタバレver.】デジモンアドベンチャーtri. 第一章「再会」 【感想】

こちらはネタバレ感想です! まだ観ていない方は読まないことを推奨いたします! いちおう「ネタバレなし?ver」という別記事もあります! いいか! 言ったからな!

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【ネタバレなし?ver.】デジモンアドベンチャーtri. 第一章「再会」 【感想】

ネタバレがないと書いたな、それは嘘だ ― いや、嘘ではないけれど、だって、ネタバレってあやふやな概念じゃないですか。どんなに関係ないことを書いたって、これを書いているぼくはデジアドtriを見たあとのぼくなわけで、そのぼくを通して何かしらのネタバレを感じとることは絶対あるです。そもそも、こんなブログをわざわざ書いていること自体が、書きたくなることがあったんだな、というネタバレなわけで、だからまぁ、心配なひとは読まないほうが良いわけですが、ちくわの感想記事は読んでおきたいし(ちくわさんはときどき記事を消してしまうし)、でもそのうちデジモンも見るつもりだし、ストーリィの核心に触れない感想なら少しだけ読んでみたいのだ、それもいますぐに読みたいのだ、という、微妙な立ち位置のひとがいるかと思って分けただけなので、明らかなるネタバレはないけれど、突き詰めていけば何かしらのネタバレはあります。先入観なしで観たい方は読まないことを強く推奨します。

 

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「こうこうでこうこうだからこうにして」ベルトコンベヤに乗れなくなった

早寝したら未明に目が覚めて、そうしたらLINEが来た。環七を「かんしち」と読んでいたぼくに「かんななだよ!」と教えてくれた人だった。一年以上会っていなくて、もう会うこともなさそうだけど、ともかく充実した時間を過ごしていたらしい。よかった。この人から連絡が来ることがこんなに嬉しいものなのか、と思った。しばらく布団でぽちぽち長文を書いていたが、お蔵入りとなる。だらだら考えごとをしているうちにまた眠りについていて、めざまし時計が鳴った。


誰もかれもありえないくらい優しくて、理解不能なほど他人を理解しようとしていて、それはときにはエゴゆえだったりもするけれど、しかしとにかくみんな周りのことをあんなに考えていて、それなのにびっくりするほどうまくいかず、それはもうギャグみたいにうまくいかず、噛み合わず、空回りして、歯車がふっとぶ。……前を向いて生きていこう。


ちょっとだけ日記の断片。学内某所で思想地図をぱらぱら読んでいたら、O田急バスが非情だ!という話をおもしろおかしくしている声が聞こえてきた。盗み聞きは(大声でしゃべってるにしても)あまりほめられたことではないけれど、大学生の会話ってほんとに面白くてラブだ。「なんか、キラキラグループがいるのね!」と話しているあなたたちもぼくから見ればキラキラグループだよって頭の中でつぶやいた。いやみじゃなくって、微笑ましくて。ところが、会話にモンテスキューとかとつぜん出てきて、フランス語の文章をその場で訳したりしだした、ハイスペックキラキラグループだ! 「ねえ、岐阜県民に会ったことある?」「あの、あれ、あやのごう」「会ったことある?」「ない」

自分が大学生なのだということを、キャンパスを歩くたび言い聞かせないと忘れそうになる。

雨なので、というわけではないけど、あめくんの日記も少し読んだ。じつはこないだ聞くまで存在を知らなかった。心地好いリズムで、素敵なすくいかたで、ぼくがつねづねぼくにないと思っているような描かれかたの日記だった。ちょっと感動した。遠からず本にするらしいので、できたらぜひ読みたい。


家で森田真生さんの『数学する身体』の最初の章を読んだ。ぼんやり考えていたこととガシッとはまることがたくさん書いてあって面白い。

  たとえば、素数が無限にあることがわかれば、今度はその分布が気になる。正多面体を発見したら、今度はあり得るすべての正多面体を分類し尽くそうということになる。数学によって解決すべき問題が、数学の中から生まれてくるのだ
  数学的道具を持って実世界に立ち向かう、という数学者像はもはや通用しない。数学者は、数学的道具と技術と無数の定理や知識に取り囲まれている。その取り囲む人工物の総体は、数学者の行為を可能にする足場でありながら、同時に数学者の行為が向かう先でもある。それは、行為としての数学が展開される場所そのものである。数学者は、自らの活動の空間を「建築」するのだ



なんとなく、数学の抽象化は幾重にもなっているのだと最近気づきつつある。世界(具体)←→数学(抽象)、という単純な話ではなく、世界を抽象して生み出された実用的な数学がだんだん自然に世界に組み込まれ、今度はその「数学がある世界」を数学が相手にしはじめる。するとその数学も世界に組み込まれ、また数学がその世界を相手にする。そういう過程で、これまで抽象的だと思っていた物が実はあるていど具体的、恣意的だったのだなと逆に気づいたりもする。たぶん、数学でなくてもそういうことはたくさんある。デジモンテイマーズの世界観にはデジモンカードが存在する・・・。


「既存の枠を自分の必要に応じて壊したあとでも、自分に必要なひとつひとつのことをちゃんとこなすこと、それはとっても難しい。そしてそれはまず最初に大事なことで、ここ数年のぼくに絶望的に欠けているものだ。」今年のはじめにブログにそう書いた。そういうものをぼくは解体することで逃げ続け、解体したまま放り出してしまった。解体しても再構成しなきゃ意味がないとは本当にそのとおりで…。

学校がうまいことできてるなぁと文芸誌(あみめでぃあ)にちらりと書いた、そういう学校的なものをぜんぜん活かせてないんだよなぁ。何かにのっかるということが、こんなに下手だったのか、ぼくは…。いつからだろうか(いや、いつからかはわかってる。高校を出てからだ)。
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