ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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5/48 なつで、なつやすみだった。

(りあじゅーのふぇいすぶっくのような内容がたぶんに含まれます。そのような成分に拒絶反応を示す方は読まないことをお勧めいたします。……言ったからな!)

 

いつもより長めだったはずの帰省も気づけばもう最終日で、半日後には東京に戻っている。

たぶんこの夏のことを記述するなら今しかないだろう(向こうのぼくの感性で語られるものと、ここのぼくの感性で語られるものは決定的に違うだろうから)。

 

どこから話せばいいものか。ぼくはずっと夏の呪縛にかかっていて、たぶん今もかかっていて、夏が大好きで大嫌いだ。中学二年生の夏、『詩のボクシング』(リングに見立てた壇上で3分間詩を朗読しあい、どちらの言葉がより観客の心にとどいたかをジャッジが判定するゲーム)の中学生大会に友達5人で出場した。9月の頭にある大会に向けての試作や思索や練習という名目で毎日のように集まって、それはそれは楽しい夏休みだった。子どもと大人のちょうど中間のような年頃だったぼくらは、子供っぽいことや背伸びしたことを、いろいろやった。とても色々なことをした気がする。本当はそう長くはなかっただろうし、本当は何日間かしか顔を合わせていなかったのかもしれないけれど、たくさんのことを次から次へとやっていたようにぼくの記憶には焼きついていた。女の子もいた5人グループだったし(中学生だとドキドキだよね)、街で外食するだけでもわくわくできるような年頃だったし、あれやこれやが相まって必要以上に美化されているのだろうなと、今ならうすうすわかるけれど、まぁ、十代のぼくはその夏をずっと引きずっていた。端的に言えば、あの14歳の夏以来、ぼくは届かない夏を追い求めるようになったのだと思う。その後数年ももろもろあって、乗り越えたり乗り越え損ねたり、それを書くだけでもたぶん夜が明けてしまうので今回は省略するけれど、心境の変化を経てそれほどにあの夏にこだわらなくもなっていったけれど、夏と聞くだけで胸が一瞬痛むのは今でも変わらない。ふと思い出したので書くと、一躍有名になったアニメ『あの日見た花の名をぼくたちはまだ知らない』なんかは、去年の夏に一年遅れで観て本当に相当ダメージを受けた(大好きだけど、アニメにここまで刺されるとはってくらい刺さった)。

まぁ、ここまでは、いつでも書けた話。ぼくにとって夏ってそういうものだったよなって、さっきふと思い出したので、最初に書いておいた。このひと月は、不思議と今書いたようなことを必要以上に思い返すことはなかったのだけれど、根底にこういうのが流れているのだという前提を、この夏の手記にもなんとなく付しておきたくなった。

 

思い出話ついでに中学高校のこと。ぼくは中高一貫校に6年通っていた。多少なりともぼくと話したことのある人、もしくはぼくのツイイトだったりをずーっと見て下さってる方なんかは、ぼくが中高時代と母校が大好きなのをよく知っているかもしれない。世の中にはもっと暗い十代を送ってきたという人がたくさん居て、だからこんなこと言えるのはとても恵まれたことなのだ、ということも、あとあと嫌というほど思い知らされて、だからこそあまり公の場で語らないようにしていたり、実はそういうごにょごにょもあったりするのだけれど。ともかく、在学中から(いやたぶん在学中のほうがより切実に)学校が大好きで、ここを卒業したらぼくはどうなるんだろう、とそればっかり考えていた。未来を悲観的に見て、そのぶん現在に全力を尽くす、そういう生活をしていた。結果的には、それがプラスに働いたことのほうが多かったとは断言できる。とはいえまぁ、少々やりすぎで、高校を卒業してからかなりその価値観が尾を引いてしまったなぁとは思う。二十歳の一年で、そこらへんのバランスはようやく取れて、成人式のあった冬を持って、上位互換な価値観といえばよいのか、「これまでの自分も大切にしつつ、これまで破綻していた部分も包み込める、より余裕のある価値観」をようやく固め直すことができた気がする。一年半前ごろのブログを遡れば色々書いてあるんじゃないかなと思う(と言ったところで誰も興味はないだろうが)。ぼくは既に「そのあとのぼく」なので、もうそのときの感覚の変化を正確に書くことはできないけれど、「とっくに終わっただと思っていたものが続いていた」「花だと思っていたものがまだ種にすぎなかった」「回収されるはずなのないと思っていた伏線がバンバン回収されていった」「当時のぼくは誰かの意識の中で生きていてくれた」とか、そういう気づきの数々で少しずつ変わっていったように思う。

 

あまり具体的に書けなかったけれど、まぁこれも前口上のようなもので。

 

ようやく、この夏の話。今年は、現役で大学に入った高校の同級生たちが学生でいられる最後の年で、だから何となく「最後の夏」という感覚が強かった。当時の友人と、最後の夏はなんかしたいねって話をずっと前から漠然としていたので、できるだけ長く地元に帰ろうと思って、8月の上旬には東京を出る計画にした。9月までもっとずっと居たかったのだけれど、期末試験第二弾が9月の頭にあるせいで帰らないといけないのでそうもいかず、8月末までの滞在となった。それでもまぁ、かなり長いほう。

 

青春18きっぷでのんびりと6日かけて(電車移動したのは4日)宮崎まで帰って来た。ぜんぶ電車なのは初(福岡まで電車+福岡からバス、は過去2回ある)。名古屋の友達の家で台風をやりすごしたりとかいろいろあったけど、この千キロ移動のことは別のとこで書く気があるので飛ばす。でも、それなりに考えることもあった。帰った日には宮崎のtwitter-erさん何人かと会ったりした。

 

中3、高2、成人式のあった冬、と三度映画もどきを撮った友人と、この夏にそれらの完結編を撮ろう~とかいう話が前からあった。夏までには脚本書くか~とか思っていたものの忙しくてそうもできず、白紙のまま帰ってきて、もう撮らないかなぁと思っていたのだけれど、なんだかんだ変なのを書きあげて、撮り切ってしまった(ぼくが帰ったあとにぼく抜きでできるシーンを撮ってもらっておわり)。

 

何人かの友人が帰省してたり大学やめて地元に戻ってたりするんだけど、ぼくの想定以上にみんな行動力があって、映画も撮る前提で話を進めてきたり、集まりを企画してしばらく会ってないような顔ぶれを集めてみたり、なんやかや。いろんな流れの中で生きてるなぁと思った。眠くなってきて何書いてるかわかんないな。高校の時わりと人を「巻き込む」側だった気がするので、こちらに帰ってきて、こういうふうに引っ張り回してくれる人がたくさんいるのが、不思議な感覚で、嬉しい。

 

高校の先生に頼まれて友達と二人で母校の文化祭のエンディング動画をつくることになり(三度目)、撮影に行ったりとかして、うん、なんか、ね、早く寝たいのでごちゃごちゃと書かないけど、母校の制服を着た女子高生をみるとわりと本当にライフが削られていくよ……。そうやって母校に関わることができるのは嬉しい限りなんだけどね。ただまぁやっぱりそこは内部せいでやったほうが楽しいだろうし、その先生も「そろそろ俺が文化祭に本格的に関わるのも今年が最後にしようと思ってる」と言っていて、まあさすがにそうですよねってなった。その先生と友達と三人で飲みに行って(ごちそうになって)、「お前たちの文化祭を見てあんなふうにしたいって二個下の学年が張り切って、それを見てあんな風にしたいって張り切ってるのが今の高3なんだ」みたいな話をきかされて、多少の美化も入っているにしても、単純に嬉しかった。それはそれとして、母校の見慣れた講堂や教室で、見慣れた制服を着た高校生たちが文化祭準備やステージでの発表をしている映像を編集するのは、なかなかに心をえぐるものがあるね。よりによって曲が『ひまわりの約束』になってしまったのも相まって編集しながら泣きそうだった。

 

あと、中高のときの終わったはずの恋愛を蒸し返したりする時期なんですかねぇ、なんかそういう話も多数きいてにやにやしていた。便乗して原点回帰しようにもぼくが回帰する先には片想い(笑)しかないので、そういう話はあまりないですね~~(書きながら、べつに理由はそれじゃないよなーと思う。いやでも蒸し返すようなイベントは過去数年にあった(ありそうになった)わけなので。今回はそこは穏やかだったということで。めも。)。誰かと再会しても、だいたいくだらない話というか、文字通り単なる近況報告や他人の噂だけで終わってしまうことって多いけど、今回の夏はわりとそういう感じにならなかったなって思う。何がどうとは言えないし、なぜなのかわからないけれど。


雨にも負けず風にも負けず街を駆け回ったり、毎日集まって映画撮ったり、安いうどん屋でみんなで昼ごはん食べたり、夜道をのんびり歩いて帰ったり(ぼくの自転車が実家になかったせいなんだけど)、また明日も明後日も会う前提で別れたり、学校にも何度も行ったり、文化祭準備のあの独特の空気に包まれたり、進まないはずの物語の続きをきいてによによしたり、なんか、昔よくやってたこととか、昔あこがれてたようなこととか、気づいたらたくさんあって、あれ、これってぼくが好きな、「夏休み」ってやつじゃないのって、最終日になって思った。ああそう、8月末に焦って試験勉強しなきゃいけないあたりが夏休みの宿題じみててちょっと笑える(笑えない)。

帰省のたびに、いや東京をはなれるたびに、ああこれ現実逃避だなって思ってて、今回もじっさいその通りだったと思う。正直問題を放置して帰ってきたし。逃避だからこそ、帰りたくないと感じるんだと思う。そして、現実に戻るとこちらの感覚は六割くらい消える。それでまた生きていけるんだろう。だけど淋しいし、かといってここにずっといるわけにもいかないし、ねぇ。今回はでも、いつも以上に、ぼくは東京で何をやってるんだろうって考えてた。友達の就職が次々に決まって、とか、そういうのもあるのかもしれない。けどそれ以前に、高校のときのぼくはこんな感じで、こんな感じであることが幸せだったのに、何で余計な基準をつくって自分の求めてない(かもしれない)ハードさを人生に設定してるんだろうな、って思ってしまったのだ。去年までの状況が状況だっただけに、選択じたいはそれほど間違ってなかった気がするけれど、でも辿り着いた先がこれか。向こうに戻ったぼくは何を大事にして生きていくんだろうか。また彼(ぼく)の望んだような学生の姿になるべく努力するんだろうか。わからない。端的に言ってしまえば、そんなものが大切だとは、今のぼくには思えない。たぶん、大切なんだろう。彼(ぼく)が必死で、その価値観を見失わないようにして、自分の立つ場所を確保したのだから。それで壊せたブロックも無数にあったのだろうから。だけど、今のぼくはそれが大切に思えない。東京に戻って会いたい人はいるから、ほとんどそれのために帰るような気分でしかない。試験?なんだっけ、それ……

 

いっぽうで、人間関係については、わりと中立的に捉えられるようになった。人間関係に優劣を書けるのは何の意味もないと思う。中高の友人をほかの友人が超えられない、という表現をよくする友達がいて(そういってもらえるのは大変うれしいのだけれど、)やっぱりそれはおかしいと思う。中高の友人はぼくだって大好きだけれど、それをほかが超えられないというのはおかしい。その「表現が」おかしいという意味で。ぼくは、それ以降にも本当に素敵な人たちに会えたとはっきり言える。ただ、「中高のときのぼくの状態を保ちつつ、中高のときのようなコミュニケーションを求めるなら、中高の友人でないと難しい」というだけだ。それは、中高の部分をほかの単語に置き換えればやはり成り立つし、順序で語るものではないと思う。いつが楽しい、あの頃がよかった、という議論もまた同様なんだろうな。こういうこと言うようになったのは、大きな変化だけど、火は必死に守らなくても簡単には消えないってことに気付けたからで、そうでなければいまでもまだ必死に小さな火を守ることだけを人生の目的みたいにしたちょっと怖い人生を送ってたかもしれない。

 

さすがにそろそろ寝ないとなので後半が思考垂れ流しみたいになってしまった、明日以降なにか思い出したら別の記事で書く。いやあこんなに笑顔でいられる夏はいつぶりなんだろうね。ほんとうに中学生か高校生のような、明るく忙しい夏だった。いろんなエネルギーをもらって、反面いろんなエネルギーを削られて(主に高校生に)、明るい気持ちになる反面、ああぼくはもう東京でやっていけないんじゃないかって同時に考えたりもしてた、そんな夏。いや、ごちゃごちゃ書くのは良くないね。楽しかった。それだけ。

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