ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

影響とか参加とか所属とか、だらだらと

世界に、というと大げさだけれど、どうやら何かに影響を与えているらしいという確認を積み重ねて、ぼくは生きている。先日ひさしぶりに会った友人が、他人に与える影響という話をしていたのを思い出す(その友だちの出した例は面白くて、自分がサークルの部室にロフトをつけてみたら?と軽く提案していたところ、自分がサークルをやめたあとに「ロフトつけましたよ」と後輩から連絡が来た、という話なんかをしていた)。


以下ごちゃごちゃとそれっぽいことを書くつもりだけれど、準備を重ねて気を張って書いている文章とかではまったくないので、適当に読み流してほしい。高三のとき、ぼくは数人の友人とともに、文化祭の司会を務めた。みんな張り切っていたので、オープニングでは講堂を真っ暗にしてケミカルライトを使ったライトパフォーマンスをしてみたり、エンディングでは友だちの手作りの動画を流してみたり、などなど、色々とそれまでにないことをやってみた。この夏までで、ぼくたちが卒業して以来4回ほど文化祭が行われているわけだけれど、どうやらライトパフォーマンスやエンディング動画は、伝統になってしまったらしく、未だに続いているらしい(いや、エンディング動画に関しては、その当時動画を作った友だちとぼくが頼まれて毎年作っていたのだが…という裏話はさておき…)。あのころは冗談半分で、何か残せたらみたいな話をよくしていたけれど、本当にこんな影響を与えてしまったと聞くと、何だか不思議な気分になる。前にもちらりと書いたけれど、ぼくが高三だったときの高一の代が高三になったとき、「あの二年前の先輩たちのときみたいな文化祭にしたい」と言ってくれたらしく、そういうのをきくといろんなことが報われた気になる。高校に演劇部を創る活動を一緒にやっていた友達で演劇の道にずんずん進んでいった人とかいるし、それを影響というのは少し違う気もするけれど、未来の変化に関わっているというのは本当に妙な感じ。絶対なにかにはかかわっているのだから、影響は与えているのはそうなのだろうけれど、目に見える形だと、不思議な気持ちになる。いろんなことに意味が与えられたようで、安心もする。

 

数年前に nipox25 くんが「自分の出た中学や高校は好きで誇りも持っている一方で、大学に対しては何も感じないのはなぜだろうか」というような内容から始まるブログを書いていて、とても共感したのを覚えている。一部引っぱってくる。

 

中学や高校の時は、学校に対して積極的に参加していた。参加というのは、その所属に対して自分が何らかの変化を与えることである。僕のいた中学や高校には、僕がいた形跡が今でも残っているはずだし、無かったとしても、残っていたという記録は確実に残っている。
部活でもそうだ。自分がいた形跡がある。自分がその所属に所属していたというよりも、自分がその所属自体の一部または全部になっていたということである。


なんだ、結局自己愛か。


僕は今東大に対して何か投げかけているわけではない。ただキャンパスにいるだけ。なるほど。


所属を手段として利用しようとする間は、その所属はいつまでたっても自分にはならないから、特に特別な感情を抱くことは無いのであろう。自分と切り離していることになる。

 

所属に対する愛と誇り」 - 逆にこの時確かにそうなる。

 

参加するは英語で take part in だし、結局「その所属自体の一部」になってしまうくらいの影響力を持って初めて「参加」なのだろう。そしてそれは自分自身への愛と同様に愛することができるというわけだ。ぼくは中高時代「誰かと協力して何かをやる」ことに関しては、かなりいろいろ手を出してきたと自負しているけれど、大学のサークルはやめてばっかりで何も続かなかった。結局これなのだろう。自分たちで始めた活動、自分たちが作った団体というのは愛着がある。存在意義も自分たちにあり、よく知っている。説明の必要などなく、知っている。第一期生というのは、それが最大の強みだ(だからがんばってねって言ってるんだよ、読んでね)。具体例を列挙するのは止すけれど、十代のぼくがやっていたのはどれも、自分が一から始めたことだった。部活ですら、もともと超弱小の陸上部だったのが自分たちの代から改革が行われたりした。性格が変わったわけでもなく、ただ単に、もともとかっちりある団体に入るというのが苦手なのだろう。いや、つまり自己愛でしか動けず、社会に適合できていないということなので、正直、ぜんぜん褒められたことじゃない。どうにかしたいところだよ。はぁ……。

 

(ちなみに、そんなぼくも予備校にはわりと帰属意識を感じているのだけれど、あれは一年分の人間しかいなかったからじゃないかと思う。その年にあの校舎に居たのは、ごく少数の多浪生を覗けば、「初めて予備校に入ったぼくたち」だけだった。すんなり「今年の河合塾F校の一部」だという錯覚をしやすい。)

 

何が言いたくて書いた記事でもなく、自分が他人に与える影響があるとなんだか安心できるね、以上でも以下でもない話。(それほど気にもしていなかったとはいえ)春からこっち、帰省中を除くと、ほとんど何もしていないような気がしていたけれど、ある人によると、それなりにぼくの言動が与えた影響というのはあったようで、ほっとしたというか、嬉しかったというか。それだけ。

スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
最新記事
最新コメント
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カレンダー
05 | 2018/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。