ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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ブログを書いているということは、もう1日が経ったということなのか

アルフォースの『複素解析』をようやく借りてきたが、借りてきたことで満足してまだ手をつけていない。ずっと借りられっぱなしだった松本幸夫の『多様体の基礎』も返されていたので、ついでに借りてきた。ほかは大体借りようと思っていたものをごそごそ探していたが、一冊だけティリッヒの『諸学の体系』とか言うのを見つけて、面白そうだったのでそれも借りてきた。借りてきて、積んでてもしょうがないんだよなぁ。本の上に本。本本本本本。

 

某ふぁら氏がいつだったか「自分の本棚には個人の思想を書いた本がほとんどないと気づいた」みたいなを反省をしていたが、ぼくの部屋もそうだなと思うようになった。でもまあ、「読む価値がある」かどうかなんて、数ヶ月単位でバンバン変動する基準だと実感するし、その程度のものだ。いつだって、ただ読みたいから読んでるんだ。

 

読む世界が広がったことは純粋に嬉しい。本だけじゃない。人の言葉はそこら中に溢れている。他人の切実な、ある種やけくその心情吐露、あるいは記述というのは、読んでいる側の輪郭を浮き彫りにする。たとえば自分の無価値さに反吐が出るという人がいる。それを見てぼくは大変だなと思う。ぼくは自分は無価値だと思っているが、別にそのことで落ち込んだりはしない。無価値だと思われると、雇ってもらえないかもしれないし、困っているときに手伝ってくれる人が減るかもしれない、とかを心配することはあるが、そういうのは問題さえ解決すればよくて、ぼくの価値などどうでもいいのだ。こうやって、誰かから漏れ出した本音から思考が広がって、輪郭がつかめてくる。観点が増える。

 

何かを読んでいて感じるそのズレを積分したものが、たぶん自分だ。否定を重ね続ければ、絶対にほかの誰かと同じものにはなりえない。哀しいことかもしれないし、そうじゃないかもしれない。「個性」という言葉で悩む人がいるという。世間でよく話題になる。教育と絡めて問題提起されることも多い。本当にそんな抽象的な言葉に苦しむ人が大勢いるのだろうか。自分が個性がない、と悩む人が。何人かいるだろうというのはわかるけれど、どうも大げさに盛り立てすぎじゃあないかと思う。芸人が、何かほかの人のしないことをやらないと食っていけないとか、ケーキ屋さんが、うちならではの新商品を考案しようとか、そういうのはわかる。それの延長なのだろうか。わからない。ぼくが悩むべきはそんなことではなくて、今ここにある自分が自分だということだ。他人と比べるより、ありえたかもしれない自分と比べるので精一杯なんだ。

 

ハリポタの中で、ダンブルドアが言うんだよな。

――自分がほんとうに何者かを示すのは、持っている能力だけではなく、自分がどのような選択をするかということなんじゃよ。

 

偉そうにしんがりに書いてたじゃないか。選択だけでなく、選択した先を信じること、あるいは選択する前に信じること。逃げるなら逃げるで、逃げる先を信じる覚悟を持つこと。無根拠でもいい、評価を変えること。そうせずには生きていくことなどできないんだ。劇場版の紅莉栖が、岡部をシュタインズゲート世界線に引き戻して固着させるためにやったことはたぶんそれだった。ぼくの隣には紅莉栖は居ないのだから、自分でどうにかするしかないんだよね。

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