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ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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いつだって準備不足なんだ

ついにというのか、ようやくというのか、あの子が上京(厳密には東京ではないけれど)してきて、こちらで久しぶりに会った。相変わらず、かなわないなと感じた。

こういうとき何に対してそう思ったのかを記号的な事実の羅列で説明したくはないなともたまに考える。しかしそもそもぼくが最近他人に対してすごいなって思うことのひとつが、最終的にそうやって「記号的に他人に一瞬で説明できるあれこれ」をきちんと丁寧にひとつずつ準備して実行に移せていることそのものなのではないだろうか。「そんな言葉で説明しきれない」なんて言ってしまいがちな、そこに至るまでのそのひと独自のエネルギーというのは、なんだかんだそこにあらわれているものなのかもしれない。書いても仕方ないので書かないけれど、既存の枠を自分の必要に応じて壊したあとでも、自分に必要なひとつひとつのことをちゃんとこなすこと、それはとっても難しい。そしてそれはまず最初に大事なことで、ここ数年のぼくに絶望的に欠けているものだ。

自分が崩れれば崩れるほど、そういうことの大切さを痛感する。一緒に会いにきた彼は、彼女の話を受けながらことあるごとに「それに比べてこいつは…チラッチラッ」と言ってきたけど、まったくそのとおりで、ぼくにはこんなことすらできないのだ。いつまで経ってもスタートラインに立てない、そんなふうにぼくはずっとずっと思っている。こんな段階での足踏みをしている場合じゃないんだ。こんなんだから余裕ないんだ。

…まで寝る前に書いていた。本当はあと数行書いていたけれど感傷的にすぎるのでいったんお蔵入りして、以下は今考えていたことを書いていく。

余裕がない。余裕がない。最近それが頭の中でぐるぐるしている。あまりぐるぐるすると言葉が意味を失うので、遠からず時間をとって練り直さなければならないとは思う(向き合わなければとか練り直さなければとか、言えば言うほど嘘っぽいけど、そう言うしかないんだ)。偶然にもあの子が「余裕がある/ない」という表現を会話の中で頻用していて、込めている意味もわりと近かったので、やっぱりそこは多くの人がピンを打つ概念なんだなぁと思った。

ともかく余裕がない。ぼくは「部分的に自分勝手」にする余裕がないのだ。自分勝手って言葉は良くない響きがあるから、適切ではないと思うけど、あえて使ってみる。要するに、自分勝手なのがいけないんじゃない、自分勝手に生きる必要がある瞬間は存在するのにそうじゃないフリをしようとするのがいけないんだ。自分勝手じゃないことだけを拠り所にして生きようとしているから、いざというときに大胆な、つまり究極的に自分勝手な、行動ができなくなるんだ。誰かの目から見て正しいことだとか、誰かの目から見た一貫性だとか、それは場合によってとても重要かもしれないけど、それにこだわって大局を見失う。経験豊富な人ほど余裕があるように見えるのは、総じて自分勝手になるべきタイミングを弁えているからなのだと思う。

部分的に自分勝手といえば、予備校時代に「受験生でなくなるまではえらそうなことは言えない」みたいな身動きのとれなさと戦っていて、そこから脱したいまはといえば「自分で稼いでもないのにえらそうなことは言っちゃいけない」と感じていて、なんだかな…となる。しかし正直、前者より後者のほうが現実味がある(19歳にとってのリアリティという意味では、浪人の枷というのは比較にならないくらい重かったけどね)。少なくともぼくにとっての余裕は、泥々した現実を積み重ねた上にようやく準備できるものみたいなイメージがあるんだ。

部分的に自分勝手だの、余裕だのという言葉にこだわるつもりはないけど、そういうのは他人との関係においてもあると思う。自分の中でのつじつま合わせに終始して、ほんとうに大事な目の前の一対一の関係に目が行かない(目の前なのに目がいかない、なんと笑えることだろう)。それをあとから状況が悪かったなんてまた言い訳をする。ちがうんだ、余裕を持てなかっただけだ。余裕も持てないのに、それを自覚せずに、気をつけることもせずに、ぶつかるときだけぶつかっていく。困ったら全力で撤退することしかしない。後先考えているようで、誰よりも後先考えてない。

人間関係に限らず、状況なんてのは、機会なんてのは、思ってた以上にそのへんに転がっている。チャンスの神様はたぶん言い伝えよりも髪の毛ふさふさで、田舎の路線バスみたいに追いかけたら止まって待ってくれる優しささえ備えていたりする。少なくとも同世代のいろんな人を見ている限りそう思う。そういう流れに不慣れながらも必死に乗ってバランスを取りつつ進み続けているような人たちもたくさんいて、そういうのを見るたびにぼくにもそれができた(できる)はずなんだって気づかされる。重要なのは、ひとつのシーンの直前に書かれたト書きのような「狭義のシチュエーション」ではなくて、どんな心の余裕を持ってそこに立つことができたかなのだ。毎日が最終回、毎日が伏線回収のクライマックス。そこに立つぼくはいつだって準備不足なのだ。状況だのなんだのはぼくの都合など無視してやってくるから、準備不足なことそれ自体は仕方ないのかもしれない。問題があるとすれば、そこで起きた不都合を準備不足のせいにせずに、状況のせいにしたり、ひどい場合には「望んでいた状況が訪れない」せいにしたりしてしまうこと。状況が訪れない? 訪れた(ときに準備不足だった)から不都合が起きてるんじゃないか。問題をすりかえるなよ、という話だ。自分が数年前に願ったことが次々静かに実現している。当のぼくだけが、その事実に追いつけていない。準備不足を今からでも取り戻そうという気概が感じられない。そしてまた次のチャンスにも同じことを繰り返す。そりゃあ、神様にも周りの人にも見限られるだろうってものだ(なぜか見捨てずにいてくれる人ばかりなので甘えてしまうけれど)。足りなかったと気づけた準備不足を次に活かさなきゃいけないなんてこと、理屈ではきっとわかっていたはずで、記憶をたどれば八年前にも二年前にも似たような言葉でそういうことを言っていたはずなのに、まるっきりわかってなかった。

似たような迷い方をしている人もたまに見かけるから、たぶん陥りやすい穴なんだろうけど、ぼくの場合はこれがかなりひどい。「余裕のある」人たちとの比較で明らかに目に見えるようになってようやく気づくなんて、それまで放置しっぱなしだったなんて、根は深そうだ。それに支えられてきたことも多いから、簡単にひっくり返したくはないけど、じわじわ剥がしていかなきゃいけないと思う。そのためには現実に沿って生きなければいけないと思う。

ここまで書きながらいくつか想定していた現実の問題があって、適当に混ぜながら抽象化して書いたから、読む人の持っているぼくについての前提次第では、変に具体的な意味で読み取られるかもしれないけれど、たぶんあなたの思っているそれだけじゃなくてほかのいくつかの問題にも絡めて書いてるやつだよっていう言い訳を一応つけておく。当人も書きながらどの問題について書いているのかわからなくなったくらいなので。それくらい通底しているクズポイントということなんだろうけど。

現実。現実。現実。最低限済ませたい連絡とかあるから土日中にしないと。話が始まらない。
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