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ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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帰ってた

お決まりのというか、まぁ慣例にしていたわけでもないのだけど、帰省の終わり(KISEI NO OWARI)にはいつも何かしら書いてたので、今回も書いておく。いつだかとちがって映画のなんちゃらかんちゃらもないし、先生から変な頼まれごともしていないし、そんなに大勢の帰省ともかぶっていなかったので、今回はそれほどバタバタしないだろうと思っていたけれど、後半はわりと出かけることが多かった。前半は風邪でQOLが下がっていたのでそこをノーカンとすれば、実際に動ける範囲ではけっきょくバタバタしていたともいえる。

二月の末、進退に大きく影響する(影響力という意味ではたぶん過去最大の)手続き失敗をして、それに落胆する暇も無く人間関係上の(うすうす気づいていた)問題がはっきりして、自分のあまりのゴミ具合に、先の手続きの問題がどうでもよくなるくらいに落ち込んでいたところからの、帰省だった。どうでもよくなるくらいにというか、じっさい比較すれば手続き云々は大した問題ではなかったと思う。することがなければそのまま立ち直らないでいいやぐらいの状態だったけど、生きていく上でそういうわけにもいかないので(まして実家に帰ってそのテンションだとさすがに心配されるので)、とりあえず通常モードに戻ってるけど……というとこだろうか。どうでもよかったほうの話というか、現実的な今後の話については、直接会うことがある人にはちょこちょこ話すかもしれないし、タイミングがなかったら結局Twitterに書いたりするかもしれない。

前半は風邪で動けなかったので、病院帰りに図書館に寄って(動いてんじゃねえか)本を数冊借りてきて、それを読んだり文芸誌の原稿を書いたりして過ごしていた。東京にいるときと変わらんやんそれというツッコミはなしだ。風邪が治りかけたあたりで高校の友達とは何度か会った。

3月12日には、黒崎さんの語る世界史会という世界的なイベント(世界的とは言ってない)があって、県外から前日入り(いや日付的には当日入りなのか)していたねぎくん、エアリーズくん、セカペンの皆さんと一緒に、宮崎に実家があるぼくもなぜか一緒に泊まらせてもらって、合宿的な夜を過ごした。座敷というか、広い和室だったので、なおさら合宿っぽかった。気分をクールダウンするために散歩に出たはずなのに、真っ暗な大淀川の河川敷でぽんちゃんが突然(出てきて)走り出したり、なぜかまためがねさんごっこが始まったり、好きな色とは何かみたいな話で盛り上がってりして、むしろさらに高まったテンションで帰りついてしまって笑った。宮崎の3月にしては寒い夜で、もう少し暖かければもっと遠くまで歩いていただろうなと思う。そのあとはエアリーズくんはしんがりの記事をカタカタと仕上げ、ぼくは二号さんの原稿を読ませてもらい、ねぎくんは艦これをしていた。ねぎくんにぼくのまえがきを見てもらって、誤解されそうな箇所を指摘してもらって修正した。みんなで修学旅行っぽい話()をしたり、『回る』について話したりもした(回らない寿司を自分たちで回って食べればそれは回る寿司なのか?という話のところでねぎくんが合同説明会っぽいと言い出し、エアリーズくんが悲鳴をあげた)。エアリーズくんが「居心地がいい」といって終始楽しそうにしていたのが印象に残ってる。

翌日昼は高校の友達スギローと合流して、5人?でスシローに行った。「一貫性がある、寿司だけに」とか、あとから思い返すとすごくくだらないけどその場では絶妙みたいな発言がみんなからぽんぽん飛び出して大喜利会場みたいになり、太陽系基準で回らない寿司を実現するには太陽の中心に寿司をおくしかないのではないかという話から、宇宙寿司計画の話が始まったりした(あとで移動中ぽんちゃんが出てきたときに「スギローさんは何をしている人ですか?」「私は宇宙で寿司の研究をしている」「ほええ!」みたいなやりとりがあって面白かった)。

駅で黒崎さんとみさとと合流し(誰も時間通りに来ないのが宮崎クオリティである)、会場へ向かった。世界史会についてはまた書くかもしれないけど、黒崎さんが先生みたいに(先生なんだが)突然当ててきたりして、いい具合にみんなに話もふられて、なかなか楽しい会だった。最後に黒崎さんのおばあさまに挨拶し(しんがりの記事は伏線だったのか…!?)「いってらっしゃい! 広い世界へ!」と送り出される。やはりこの会は世界的な会合だったらしい。

その後はチキン南蛮で有名なおぐらで夕食を食べて、解散となった。ボリュームがあることで有名だったことを警告するのを忘れていて、物量に圧倒される人が続出であった。なおねぎくんが1.5人分くらい食べた。もう一泊エアリーズくんたちと泊まってもよかったけれど、一応帰省最後の夜だったので、その日は実家に帰ることにした。なんとなくまた会うだろうという予感もあったのでわりとあっさり別れた。十代のころだったら、こういうとても楽しかったあとの別れ際というのは、もっとなんというか、なかなか諦めつかない感じだったろうなぁとか思った。全体として、宮崎を出てからの縁の人たちと会えたのはなんだか不思議な感じだった。

先のことはわからないので何とも言えないけれど、順当にいけば帰省という形で宮崎に戻ってくるのは最後だったかもしれない。というのは(前々からわかっていたけれど)、高三の弟が無事大学に合格して来年から神戸に住むことになり、両親も今の家に住み続ける必要がなくなったということで、近い将来にそれぞれがそれぞれの理由でそれぞれの場所に引っ越すので、もうすぐ宮崎に実家らしい実家がなくなるからである。まぁ、最後だからどうということもなく、いつもの感じでいつもの宮崎だった。

汽笛が鳴っている。フェリーが出港するようだ。そういえば偶然だと思うけど、こちらで会った何人かが「久しぶりにこんな話をした」「長らく使ってなかった思考回路を使った」みたいなことを言ってて、場所が変われば考えることも変わるのかなぁと思ったけど、まぁそうだとすればしばらくここにいるぼくとはお別れということになるのだろうか。

なんてな(たぶんそんなことはない)。

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