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ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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10年あとの備忘録(もしかしたら、2006年のぼくのための)

あんまり中身のある記事ではなく(重要)、2016時点の備忘録みたいなものとして書く。
忘れないだろうと思っていたことを、ぼくらは案外忘れるものだ。

   ⊂('ω'⊂ )))Σ≡=─༄༅༄༅༄༅༄༅༄༅

10年前、ぼくは14歳だった。そして14歳はぼくにとって特別な数字だった。19歳と同じか、それ以上には。

しんがりのどっかにもちらっと書いた気がするし、このブログのどこかの夏の話にも書いた気がするのでなにがあったか詳しくは書かないけれど(とかいって延々書きそうな気がして怖い)、夏休みにとあるイベントに男女5人で出場した。

なんて説明するのがいいんだろうか、文学的であり演劇的であるイベントとでもいうようなものがあって、それ自体がいろいろとぼくの原点になっているんだけど、それだけじゃなくて、とてもいい思い出だった。

いい思い出、なんて言い方で今ならさらりと言えるんだけれど、当時のぼくにはもっと重くて、なんというか、それからの中学高校生活を、ずっとその夏を思いながら過ごしていたのだ。(そしてめがねさんの証言によれば、近年のちくわもしょっちゅう「あの夏」とか言ってたらしい。)

あの夏みたいなことがしたい。あの夏の体験を追体験したい。あれが完成形なのだ、と。美化といえば美化だし、ほんとうにその夏が楽しかったといえばやっぱりほんとに楽しかったんだろう。

翌年、中学三年生になったぼくは、そのメンバーで同じイベントに出ようとしたのだけど、中学生らしい男女関係のあれやこれやがあり(珍しくぼくはそれに絡んでいないのだが(!))今風に言えばサークルがクラッシュして、出場は叶わなかった。ぼくとスシロー好きな(とのちに形容されることになる)友人だけが残り、ほかのメンバーを総入れ替えして出場した。

ありがたいことだけど、そこで初出場になった友人とかは、けっこうそれも原体験のひとつとして覚えてくれてるみたいである。そして実際ぼくにとってもひとつの思い出ではあるのだけれど、まだ14歳の夏から1年しか経っていなかった当時のぼくは(ひどい話だが)これはコピーにすぎなくて、ぼくの求めていた夏には届かないという気分を強めていた。

その直後の文化祭で、初めて役者として演劇というものを経験した。似たようなことは小学生からやってきていたので初めてという感じでもなかったけど、それはまあ楽しくて、これを使ってあの夏へ! みたいな感じにたぶんぼくの中でなった(奇しくもそのときにやったのは成井豊の『ナツヤスミ語辞典』という、夏を懐かしみたくなるような作品だった)のかどうだったか、よく覚えてないけど、高校生になって演劇部をつくろうと奔走することになる。

稽古とか演劇部っぽい活動はめっちゃみんなでしてたんだけど、演劇部もつくれなくて、精神的にもそこでもいろいろと挫折があって(あみめでぃあの第4号参照)、いつかみんなで芝居しようねと約束(あみめでぃあ第1号参照)し、その話はそこで終わった。高校1年生。ミクロレベルだといろいろドラマチックな展開があって、そのときの「日誌」がかなり読んで面白いものだったのだけど、紛失してしまって未だに見つからない。もう見つからないのかもしれない。

それから高2になって地域のアマチュア劇団に参加させてもらったりとか、1年で3本ほど、役者としてお芝居に参加することになる(そのへんははぼくの本名でぐぐると最初に出てくるやつに書いてあるから割愛)。

それはとても良い経験だったし、演劇としてはすごく楽しんだのだけど、ぼくはやっぱり学内の友人となにかに向けてがんばる、みたいなのが理念型(つまり14歳の夏のイメージ)としてあったので、これじゃあないんだよってずっと思い続けていた。今思えばなんだかなあという感じでもあるけど、当時の日記とかを読む限りは本当に切実だった(っぽい)のだ。

高3になって総文=全国高等学校総合文化祭、いうなれば文化部のインターハイみたいなのが地元であって、そのときにぼくが抱いた複雑な感情はとても書ききれるものではない。見る側、聞く側、楽しむ側としての参加はとても楽しかったけど、自分がつくる側ではない悔しさでいっぱいだった。

写真を見たときのことっていつか書いたかなあ。忘れてしまったけど、写真部の展示を見て「ああ、これを撮るために3年間を捧げたひとがいるんだ」と心から思って、そのときは友達と見てたんだけど、あとでひとりでもう1回見に行ったくらいには心が揺れた。まあ、吹っ切れたとも記憶してるし、逆にコンプレックスみたいなのが最高潮のまま保存されたともいえる。つながり的なことでいえば、その中に(県内のものの展示という形で)あめ子さんの写真もあったらしいという話があとからわかった。

そういうわけで(どういうわけだ)ぼくは総文大好きマンとなったのである。総文大好きマンになったあたりと、口蹄疫の問題(しんがりのHNの由来について書いてる記事を参照)と、本格的に受験生になったあたりと、ツイッターを始めた時期がほぼ同時期で、ツイッター上で総文つながりで仲良くなった宮崎や九州のひと(黒崎さん、ねこさん、あめ子さん、凪瑳さんetc、あと総文とは別のつながりでねぎくんetc)が、19歳のぼくに多大なる影響を与えることになって、そこで人生観がいろいろ変わったぼくが東京に出てきて、このブログを書き始める「田舎から出てきてあたふたしてるちくわ」に接続されるというわけである。

ああ、書いてて気づいたけど、ぼくの断片を断片的に知ってる人に、ああ、それがそこにつながるのね、みたいな「なるほど〜」感を持って欲しいという気持ちは多少あったのかもしれない。でもほんとは、そういうのはブログに書くより会話でする方が好きだ。ちょっと個人情報っぽい感じするしね。だからというわけではないけど、今日もずいぶんと削り削り書いている。無味乾燥になっちゃったな。細かいことっていうのは、もっと関係ない話をしてるところで滲み出るものだと思う。

はい。これがぼくが大好きだったぼくの過去、というか過去が大好きだったころのぼくが大好きだったぼくの過去、のメインラインですだ。10年という記号を2016年のぼくはどう使うのだろうと、たぶん10年前のぼくはドキドキしながら想っていたけど、けっきょく2016年のぼくはそれを単なる数字にしか思っていない。14歳から10年経って、19歳から5年経って、でもどうも今年は象徴的な年というわけではないらしいね。

大切だった思い出はほんとうに大切で、それがいまのぼくよりもっとほんとうのほんとうに大切だったころのぼくも大切だけれど、それを10年という数字をそれっぽく用いて情緒的に語れる感覚が、いまのぼくにはほとんどない。今日もアドベントカレンダーとかがなければ、こんなこと書かなかっただろう。年末に書くのも大げさで自分の気持ちにそぐわないから、先に消化したという感じが強い。

それはあのころのぼくにとっては失望することだろう。それこそが怖かったのだというだろう。ごめんね、だけど、ちがうんだ。忘れたんじゃない。世界は広いし、その広さは過去をきちんと包み込んだうえで広いんだ。そして未来はとんでもないことが起こる。2006年のぼくには無茶な要求だけど、君にこそあみめでぃあ5冊に書いたことを読んでほしい。大事な節目をこんなに雑に扱うとはぼくも思っていなかったけれど、ぼくにはぼくの考えたいことというのがあるんだ。

それじゃあ、いつの日かまた会おう。
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