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ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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ぼくのかんがえたさいきょうのじかんわり

毎学期、履修登録の時期になれば、自分のとりたい授業を決めることになる。もちろん、4年間(4年間とはいってない)履修計画もあるし、そのときどきの都合もあるし、完全に自分の好きなように決められるわけではないけど、それでも、細かい部分での選択はそれが自分に合っているか、どれを自分がやりたいか、という選択になってくる。

〈「教えて」には、どういうことをどういう風に教わりたいのか見えない註釈がたくさんある〉ーーらぎさんが昨日そんなことを言っていたけれど、好きな学び方とか、好きな知り方とか、恋愛とかでいえば好きなタイプとか、ぼくたちはすごくわがままにそういうのを持っていて、そういうのは名詞では説明しにくい。タグづけによって、特定の共通項を持つものを一覧するのがたやすくなったこの時代にあっても、「こういう感じが好き」というのは、ひとつひとつ目で見て肌で感じて、ことばにしにくいイメージで判断してゆくしかない。

それはたぶん、みずきさんが「あみめでぃあ」の3号に書いていたように、「居心地がいい」「居心地がわるい」というのが、ぼくたちとその場所との、どちらに属するともいいがたいものだからだろう。厳密さを捨てていえば、二重主語をとるからだろう。ぼくはあの街が懐かしいとか、ぼくは水泳が得意じゃないとか、二重主語をとる述語は、その心地がぼくと対象のどちらにあるものなのかを簡単にきりわけられない(それなのにこうしてすっぽりことばに収まっているという事実には、感動さえ覚える)。

みずきさんが「あのレストランの居心地は36点くらいだな」とはいえない、といういいかたで指摘している通り、「居心地」というものはたぶん「居心地がいい」「居心地がわるい」ということを離れて名詞だけとりだすことが適切ではない。

そしてそれは前提として、そうやって目の前に取り出せないものだからこそ、それは自分にとって都合が良いだけのもの、精神的コストが低いだけのものになってやしないか、ということが不安になる。

(恋愛的な意味での)好きなタイプをきかれても、たしかにこういうひとと付き合いたいみたいなのが想像のレベルではあるけれど、それはけっきょくはたとえばぼくのコミュ力を補ってくれたりするような能力をやんわり言い換えていたりするのであって、そんなことを願望として口に出すのはどうなんだ、と思う。

自分にとって居心地の良いクラスだけを選んでつくった「ぼくのかんがえたさいきょうのじかんわり」を眺めながら、そんなことを想った。

はあ、せっかくの休みなのに携帯とパソコンでそれぞれ問題が起きてあんま書けなかったなあ、また続きを書くことがあるかもしれない。
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