ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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学生を語る語彙って意外と豊かではないのかもしれない(2015年の手記)

アドベント書く時間がないので(?)ちょいとずるいですが1年以上前に下書き段階で公開していなかった文章を放流しておきます。
いまとなっては当時感じていたリアリティがわからないのですが、それだからこそ逆に残しておく意味もあるかもしれませぬ。

(以下は 2015/11/05 に書かれたものです

卑下するだけが誠実な内省ではないと信じているので、そうじゃないことも書いてみる。とはいっても元をたどれば後ろめたさに囚われているからこその話にはなりそうだけど。書きながら考えていくタイプの記事なので結論を気にしないでくだしあ。

最初は単なる言い訳かと思っていたんだ。大学とかにぴたりとはまらない(自分の内面的な違和感という意味ではなく、現実に結果を出せないことを指す)のは、努力が足りないからで、「努力してるひと(&ごくまれに努力なく同程度の結果を出せるひと)」と「怠けているひと」という区別こそが本質的で、ぼくは怠けているのだから、勉強してるのにーという言い訳はすべきではないと、とりあえずそのように考えていた。もちろん、それは事実であり、忘れてはいけないことであり、ぼくもあほではないのでそのくらいつねに頭にある。個別に見れば、たとえば三年前に微積の単位を落としたのはこつこつ勉強しなかったからで…という話に「還元」はできるだろう。

またあるいは、それらを引き起こすぼくの問題がどこにあるのか、そういうのは、つまりそこを言葉でぽんぽんぽんと三つくらい箇条書きにすることは、そう難しくないし、これまでもやってきた。し、あやめさんのブログを読むという手もある。

問題なのは、なんでだかそのような話では全体に説明がつかず話が噛み合わないことがある、というところだ。

意味がわからないんだよ。ぼくはなにひとつ結果を残せていないのに、なぜかぼくになにかを期待していると明に暗に言ってくる友だちが複数いる。それじたいは、つまり、そういう友だちがいることは、本当に嬉しいことなんだけど、それとは別に今書いているような戸惑いもずんずん積み上がっている。

もちろん、評価されているのがなにか個別的具体的な、大学生的サムシングと何にも関係ないようなことでなら(ぼくに評価されるべき特殊能力があるかはさておき)まだわかる。だけどそうじゃないんだ。ぼくがなんか、なにかしらの意味で「学生として」「あかでみっくな場に生きるものとして」悪くないものを持っていると言われることがしばしばある。いやいや……それはおかしいでしょうと。謙遜でもなく自虐風自慢でもなく(と信じたい?)、それなら普通にうまくいってる段階がこれまでに何度もあったわけで、しかし現実には普通のひとの百倍くらいどうでもいいところでつまずきまくってるわけで、そしてぼく自身、生きる価値をもっと通俗的なところに置いているわけで…。むしろ、良質な行動をとることに関していえば、大学生のどのタイミングより蕎麦屋のときのほうがまだしもできていたんじゃないのかな(もちろん問題だらけではあったので低レベルな比較だよ)。

ぼくはつねひごろからぼくは俗的な人間だと言っているのだけど、あんまりそれを認めてもらえないというか、「お前はひととはちがうんだから諦めて受け入れて生きろ」と言われたりする。ぼくとしてはそもそも、「特別じゃない、残念ながらね、ワラ」みたいなつもりで俗的だと言っているのに、どうもそこで価値判断が逆転したりするのだ。

で、まぁ、これは一例だが(あんまりいい例じゃなかったかなぁ…)、こういうのが「学生とは…」みたいな話になるともっと顕著に、具体的になる。具体的になるというのは、そこが噛み合ってないことがあとあとぼくの人生に差し障りそうだという意味で具体的になる。

つまり、ぼくは自分が怠けているんだーで話を終わらせようとしたのだが、いろいろ見ていくなかで、そっちにも入れてもらえないようなもやもやにぶつかってしまったのだ。

先に書いたような直接言われることに限らず……というかそっちを先に書いてしまったけどそちらはほんらい瑣末な話で……ネット上などでいろんな学生あるいはそれを取り巻くひとのことばを読んでいて、とくにその人なりの「最近の学生って」とか「学生かくあるべし」みたいなのを読んでいるときに現れる。どうもしっくり同じ立場に立てそうなひとがあまり見当たらないのである。中二病のようにぼくそのものがスペシャルなのだと言いたいのではなく、多くのひとの主要な関心事および問題設定と、自認や他認によりつくられる「ぼく」とが、相性が悪い(概念の決め方として?)ということである。あるひとが「学生は〜ではいけない」と叫んでて、ぼくはそれにはあてはまっていないのだが、かといって叫んでいるひとにはまったく同意もできない、みたいなことがある。かといって、ぼくが事なかれ主義だから強い意見を持ってなくて…というだけの説明で済むものではない。具体例を書けばいいんだろうけど…それもいずれはしてみたいけど…とりあえず今日は抽象的に話を進めたい…まぁひとつだけ例を書いておくならたとえば「勉強ほったらかしでめいっぱい遊んでる学生を見ても羨ましいと思うし、きちんと学問にコミットしている学生を見ても羨ましいと思うし、実学に打ち込んでる学生を見ても羨ましいと思うし、単位だけ取れればいいやってうまいことやってる学生を見ても羨ましいと思うし、(……)、そのどれかを叩こうとも思わないのに、どれかに当てはまるでしょって前提にだけは反抗したくなる」とかかな。無気力だからどれにも当てはまらない、というわけでもない。ふつうに元気なのだ。んんん、書けば書くほど枠組みを再生産しててコレジャナイ感が…。

まぁ、パラドキシカルな言い方をすれば、ここ最近ぼくが大学生一般に以前よりずっと親しみをおぼえるのはそういうわけなのだけど…(という書き方で伝わるだろうか)。

書いてて思ったけど自分じたいが昔とだいぶ(思想の表面的な部分なのかもしれないが)変わったからなんとも言えないというだけなのだろうか。高校生のころとか予備校生のころとか大学一年目のころに見てカチンときた勉強絡みの意見でも今ならすんなり受け入れられるみたいなのもあるしたまに逆もある。ただそれを大人になったというひとことに回収させたくはない…。


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