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ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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2013冬休み前 最終週(水);学問と演劇のこと

先週の金曜、劇団綺畸の冬公演を見に行った。
今回はざ・えんたーていんめんとといった感じ(じ・えんたーていんめんと、にしなきゃいけないか…)。
とても楽しい時間だった。

考えたこととか雑多な感想とか色々あるんだけど、今回書きたいことだけに絞る。

演劇って突き詰めると「再現」なんだけれど、それが素晴らしい。
現実世界を生きる僕たちは瞬間瞬間で様々なことを考えて、何かしらの言動をとる。
そこにまた他人の言動をはじめとした様々な偶然がおりかさなって、ミクスされて、全く予想できない場が生まれながら次の瞬間へとうつっていく。
演劇も、見ている側(特に、知らないストーリーを初めて見ている人)からするとまさにそういう現実が展開されるわけなんだけど、ご存知の通り、お芝居には脚本がある。
舞台上で「偶然の連鎖」を繰り広げる彼らは、実はシナリオ通りの行動をしている。
その二重性がとても面白いと思う。
僕も何度か舞台側にいたことがあるので少しだけ感覚的にわかるんだけど、例えば誰かにひどいことを言われて悲しくなる、というシーンがあったとして、役者はそのセリフが言われることは当然知っている、知っているけど、その場で今言われたセリフを受けて「悲しくなる」。
本当に悲しくなるんですよ。うん。
もちろんその後の流れも全部わかってるんだけど、その流れになるのは今そこで自分に今起きたアクションを受けてリアクションを今とるからなのであって……。
つまり、脚本に描かれている世界、何度も稽古で繰り返した世界を、そこでも一から内側から再現していくんだよね。
その場の、本物の、個別的な、現実として。

そんなことを哲学の講義のときに考えた。
なんで考えたかというと、たぶん哲学……というより学問を僕たちがやるってのはそれに近いものがあるんじゃないかと思ったから。
全部が全部そうだとは言わないけれど、「昔に誰かが積み上げたものを、内側からもう一度演じ直す」という作業が学問のひとかけらになるんじゃないだろうか。
僕の経験は浅いので、実際にそれに近い営みは数学書を一から読んでいく作業くらいしか思い出せないけれど、他人の証言から類推するならたぶん哲学書を読むのもそう。
一見すると、他人と全く同じ言葉を使って、全く同じ筋道を辿って何かを探究するなんてことは、ありえないことだけど、演じることによってある程度可能になる。
演じるというのは、外からみれば真似をしてるだけかもしれないけれど、やってる当人にとっては今まさに当人の中で考えが現実につみあがっているということ。

うーん、演劇に関わったことない人にこの比喩で伝わるのか心もとないけど……ともかくこれが、(たとえば)「哲学史を学ぶ中で哲学をする」とはどういうことか(などの問い)の僕なりの暫定解。
喩えをさらにスライドさせるなら、演じなかったら決して味わえなかったような重層なドラマを僕たちは「経験」することができるんじゃないかなぁ、とか少々大げさに希望をもってみる。
だって学問って壮大すぎてこうでも思わないととても近づける気がしないから、ね。
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