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ここは、田舎から出てきたどこーにでもいそうな学生≪ちくわ≫が、日常に流れているあれやこれやを拾い集めて、ある日はすりつぶし、ある日はこねまわし、ひそやかに物語に練りなおしてゆく――そんな場所なのです。

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2014春休み前 最終週(火) ;現代思想のこと

意外と色々な人に読んで頂けてるみたいであたふたしている。あたふた。初めてコメントもついていたし転げまわった。はいあのコメントは通りすがりの方も含めていつでも待ってますですえぇ。……そういえば、僕が一年間浪人していたときに書いていたブログですら、最近わざわざ掘り返して読んでくれる人がいる。どうでもいいギャグとかを拾ってくれたり、感想を言ってくれたりする。ありがたいことだ。僕自身、もうそれを書いたときのことなんて忘れかけている。でもきっと、書いているときは誰かに読んでほしいと思って書いていた。ちゃんとそれが報われてる。感動。先週末に書いたお手玉の話にもつながるね。

さて、今日はコミュニケーション学の最終授業だった。ゆるふわとか言ってばかにしてるひとがいたが(ん?)、いい授業だったと思う(いやあんた最後のほう出てないだろみたいな意見もある)。いったん現代思想にくぐらせてから日常の問題に戻ってくるという形は、ある意味で僕が昔漠然と抱いていた「やりたかったこと」のありかたに近い気がするんだなぁ。そういうオオモトの気持ちを忘れかけている。最近それを必死に思い出そうとしている。学問に対する原体験みたいなものを。そのとき抱いた初心みたいなものを。

「現代思想」って言葉が固有名詞として僕の頭に収納されるようになったのは、ごく最近のように思う。例えば高校生くらいのときにも単に「現代-の-思想」という意味で「現代思想」という言葉を使うことはあったかもしれないけれど、”いわゆる現代思想”といえばいいのか、例えばフランス現代思想だったら実存主義があって構造主義がきてというようなその現代思想を意識することはなかった。というか、漠然と知りたかったそれをそういう括りにするということがなかった。回りくどい言い方になってしまったけれど、「漠然と知りたかったそれ」というのは僕(ら)がそれと知らずに触れてきた現代思想の一角みたいなやつだ。僕は恥ずかしながら小説ぐらいしか読まないのほほん中高生だったので、世の中でどんなものが書かれているのかもまともに知らず、何が主流で何が極端なのかなんてわかるはずもなく。そういうわけで、僕がいちばん直接的に現代思想に触れたのは、国語の教科書やテストだったのかもしれない。あるいは小説などでときには自然にときにはやや衒学的に流れる、いろんな教養だったり文化だったり。あるいは高校や予備校の先生の雑談の端々に現れる「ちょっと変わった世界観」みたいなやつだろうか。あのとき僕が面白いと感じた”あれ”はどうやら思想という括りに入り、そして今の思想は多かれ少なかれ「現代思想」の大きな流れの中にあるようだ――というごく当たり前のことに気付くのに、大学に入って一年以上を要したように思う。ごく普通に人文系の世界に浸っていたような人なら、こんなの15、16くらいで当たり前に通過してたのだろうか。ともかく気付けたときはほっとした、あぁイメージしてたものにまた一歩近づいた、みたいな。まぁそれからも大して本を読んでるわけじゃないし、外から見たら何も変わっていないんだけれどね。

いつか考えがまとまったら書こう、と思っていることが山ほどあるけれども、いつかはいつまで経ってもいつかなので、書かないと消えていく一方だと心の片隅では気付いている。さっき見たらローカルの下書きに、「僕、つくりあげられ気づくと自分になった自分」というタイトルの記事(3行くらい書いてあった)があったのだけれど、何が書きたかったのかさっぱりわからない。わざわざ大仰な題をつけてるので何か表現したいことはあったのだろうと思う。そういうことはままあるし、やっぱり浮かんだことは拙くてもできるだけアウトプットしておいた方がよさそうだと判断。というのが今回の言い訳。

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